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11/22 私と地元と就職と、そしてテセウス野球軍。

0.
俺は地元で「大学四年のこの時期に就活もせずフラフラしている」というレッテルを貼られているらしいが、よく考えたらレッテルではなく事実だった。同級生の親に、あの子は大丈夫かと思われているらしい。東京の人間は他人に興味がないというのは大嘘で、地元駅前のカラオケに行けばそこでバイトをしている同級生によってその日のセトリが噂になる。地域社会というのはろくでもない。地元の店などすべてグローバル資本のチェーン店と東急電鉄による開発事業にぶっ潰され、狭くて古いが味のある、雰囲気の良くて素敵なお店はマクドナルドになれば良い。

1.
クリエイティブな人々が闊歩するオシャレで都会的なイメージと、古く下町情緒ある都会のオアシスみたいな顔を都合よく使い分ける狡猾な戦略を長年展開してきた俺の地元
は、その甲斐あってかしばしば憧れの対象になっている。ここが地元だというとまずマイナスなことは言われないし、そして立地が良くて素晴らしいという点は俺自身認めざるを得ない。だからといって好きかと言われればそうではない。

さきほど下町情緒が云々と書いたが、その象徴とも言えるのが駅裏に広がる飲み屋街である。そこらの店ではコロナが流行りだした頃でも狭い店内でガンガン酒盛りが行われており、俺は彼らを横目に見ながら「こんなに普段通りで大丈夫なのだろうか……」と心配していたが、案の定しばらく経って休業する店がドカドカ現れた。聞くところによるとクラスターになったそうである。当たり前だと思ったのは言うまでもない。

地元のなかでも俺の偏見と不当なみくびりを一身に受けるこの飲み屋街だが、俺がこの一帯の象徴のごとく思っているのは地元の少年野球チームのOBがやっているという店である。もちろん俺自身行ったことはないのだが、この店の存在こそかの飲み屋街に対する俺の被害妄想的な悪印象に一役買っているのだろうと踏んでいる。それはひとえに俺が野球を好きではないからだ。


2.
そもそも俺は野球に良い印象を持っておらず、観客のヤジが文化であると聞いたときは野蛮人によるカスのスポーツだとほとほと呆れた。日本最大のインターネット掲示板「5ちゃんねる」でもっとも下品な盛り上がりを見せる「なんでも実況j」が元々野球実況板であるという事実は、野球という国民的スポーツを支持する人々の民度を表している。となればプレイヤーの方も大概である。俺の知る限りもっとも素行の悪い人生を送ってきたとある先輩は、野球のスポ薦で高校に入って寮生活を送ったのち、その寮でタバコを覚え酒を覚え、挙句盛り場で人を殴って退学になったという経歴を持つため、俺は「高校野球の寮」=半グレ養成学校か何かだと思っている節がある。俺が先輩と出会ったのは彼が退学後に入れられた自習塾であり、大変可愛がってもらったのでここまでボロクソに野球をコケにして申し訳ない限りである。先輩は俺にとても良くしてくれたので、俺は忘年会で酔いに酔った先輩を介抱したり、一足先に大学へと入った先輩が課題でもらったレポートを有料で代筆したりしたのだった。先輩には塾を出た後も一年に一度くらいは会っており、いつだったか非合法ドラッグを吸うと蛍光灯の光に感動して涙が出てくるのだという刺激的な体験談を聞かせてもらった。

しかし、先輩が大好きだからといって野球が好きになるわけではない。俺が、小学生の頃から公園で友達と遊んでいても野球が始まれば帰宅していた人間だったことに変わりはないからだ。良い機会だから、野球について書いてみたいと思う。


3.
野球は個人競技的問題点と団体競技的問題点の両方を持つスポーツだ。まず、前者が指しているのはピッチャーとバッターの攻防である。ピッチャーが投げる、バッターが打つ。打てれば点が入る。その攻防は一見個人競技のようだが、実際のところチーム全体の勝敗に関わってくる。これが第一に腹立たしいところである。そもそも、スポーツで個人競技が団体競技よりまだマシなのは勝負がどうなろうと自分にしか関わりがないということだ。プレッシャーは格段に減り、心は平静を取り戻す。しかし、ピッチャーとバッターの攻防は個人競技のような顔をしながら実際のところ野球という団体競技に組み込まれた最も重要と言っていい局面であり、俺の期待を大きく裏切ってくる。悪質なトリックプレーだと言わざるを得ない。

次に後者である。野球で最も団体競技の様相を呈すのは、バッターがボールを打ったあとに展開される守備のターンであろう。

想像して欲しい。外野手を任された俺がグラウンドのセンターポジションでグローブを構え立っている。バッターが打ち、ボールが守備側に飛んでくる。どこへ来るのか。ライトかレフトか。風が吹いた!センターへ飛んでくる……しかし残念、俺はキャッチできなかった。チームメイトはがっかりした視線をこちらに向ける。「今のって俺が悪いのか!?!?」これを読んでいる人にもぜひ聞きたい。俺が悪いのだろうか。

たとえばこれがバスケだとしよう。チームメイトが俺にパスをして、それを俺が取り落とす。俺が悪い。そりゃそうだ。ではこれならどうだろう。卓球のダブルスで私がラリーを返し損じる。悪いのは俺。ペアが交互に打つことになっているルールがある以上、相手は俺に向けてボールを打っているからだ。ルール上そう考えざるを得ないため、俺も「まさか自分に向かってボールを打たれているとは思わなかった」と主張することはできない。先のバスケの件も同じである。チームメイトは俺に向けてボールをパスしている。余所見をしているところにパスされたのでもない限り、それは自明である。このようなケースであれば、俺もこちらに向けられた「ミスするなよ……」という視線も受け入れる。

しかし、野球の守備は違う。バッターは俺に向けてボールを打っているわけではない。彼らはとにかく遠くへ飛ばすぞと意気込んでバットを振り、その結果、ときおり俺の守備範囲にボールが飛んでくるだけだ。これは完全に確率の問題である。違うか?
バッターには「どの辺りにボールを飛ばそう」という意志があるのか?しかし、あったとしても守備に立つ人間にそれはわからない。まったくのランダムにボールが飛んできて、それが偶然自分の守備範囲に入ったらキャッチせよというギャンブル性の高い勝負を迫られているとしか思えない。「頼むからこっちに飛んでこないでくれ……」と俺は祈る。

少し話が脱線した。要は、いくら俺の方に飛んできたからといって、俺に向けて飛ばされたわけではないボールをキャッチできなかったという理由で失点の責任があるかような雰囲気になるのは理不尽だと思うのだ。恨むべきは運と風向きだろう。もちろん、取るに越したことはない。だがそれは「自分に向けて飛ばされたものではないが、偶然自分の方に向かってきたから取った」という親切心であって、それをできなかったからといって責められる筋合いはないと思う。親切心を強要してはならない。

ではバッターがボールを打った直後、センターを守る俺に「そっちに飛ばしたから打ってくれ〜!」と叫んだとしたらどうだろう。それは漢の約束である。俺は彼との約束を果たすべくグラウンドを駆けて駆けて駆け抜けてボールを取らねばならない。しかし実際はどうなんだ。俺にボールを飛ばした当のバッター本人はこちらに目もくれずベースに向かって猛ダッシュしている!スライディングとかして調子に乗っている。打ったら打ちっぱなしか!半グレ養成学校の無責任なハゲは三振しろ。


4.
そんなわけで俺はスポーツがあまり得意ではない。同じような人間は山ほどいるだろうが、スポーツが得意ではない人間というのは運動部に対して理不尽な怒りを燃やしていることがあり、彼らの展開する見苦しい言説の一つに「運動部のやつらはコミュ強というだけで就活に強い(実力ではない部分で評価されている)」というものがある。
実はこれ、嘘なのだ。ただ彼らが就活に強いというのは本当で、その理由がコミュ強のみという点は嘘だ。運動部に所属する人間は現代企業が求める能力を持っているからこそ就活に強いのだ。

野球部員をはじめとした運動部員たちが特別力を入れて取り組む活動が何かご存じだろうか。ミーティングである。彼らは試合後に必ずミーティングを行う。試合後でなくともミーティングを行う。四六時中ミーティングをするのが運動部だ。そこで彼らはチームの問題点や改善点を挙げ、次なる試合の作戦を組み立てはバラして練り直し、勝てば反省負けても反省、練習以外はひたすらミーティングばかりやっている連中なのである。


この過剰なミーティング漬けが彼ら運動部員を現代企業が欲してやまない人材へと育て上げる。
コロナのおかげで無駄な会議がなくなったという話がそこかしこで出ていたが、日本社会はとかくミーティングをしたがる癖がある。おそらく世界各国の野球チームで一番ミーティング回数が多いのは我が国に違いない。学校は社会の縮図とよく言うが、その中で「ビジネス界」にあたるのが運動部であることは間違いないだろう。このように、運動部員は実に正当な理由で就活に強い。決してコミュ強だからとかいう訳の分からない理由ではないのだ。


5.
ここまで書いていてわかったが、俺は野球について語ることが好きかもしれない。息子とキャッチボールがやりたいと私を近所の公園へ連れて行き、めちゃめちゃつまらなそうにするから帰ってきたと肩を落として母に話した父のDNAが、やはり俺にも根を張っているのか。かつて高校に入って吹奏楽部員となった俺は、かねてよりふつふつと燃やしていた野球への無根拠な怨念を更に加速させていき、野球部専用応援団の如く駆り出される吹奏楽部員の悲哀を嘆いた。アニメ『響け!ユーフォニアム』に坊主頭の影がちらりとも描かれないことに喝采を送った。野球部員と吹奏楽部員の恋愛模様を描いた傑作少女漫画『青空エール』に憧れて部に入ってきた同級生の存在を知ったときは「うちの高校、野球部ないけどな……」と思ったものである。そうだ、俺の高校は今でこそ共学だが、かつては伝統ある女子校であったためかソフトボール部こそあったものの野球部がなかったのだ。にも関わらず「野球部専用応援団の如く駆り出される吹奏楽部」とかごちゃごちゃ抜かしていた当時の俺はちょっと変かもしれない。

!気づくと私は、野球に対するネガティブな感情が消えていた。野球について語るのは楽しい。こんど、野球漫画でも描こうか。毎年8月、甲子園で惜しくも敗退した野球少年たちは「俺たちの夏は終わった……」と涙をのんで甲子園球場の土を集めて持ち帰るという。入学したばかりの主人公は、初めて足を踏み入れたグラウンドにどこか違和感を感じる。するとそこに坊主頭の野球部員が現れ、こう叫ぶ。

「この学園の土は!すべて甲子園から持ってきたものである!!」

そう、この轟学園は毎年毎年甲子園へと駒を進めるも、あと一歩というところで敗退し雪辱の涙を流しながら土を持って帰ること数十年、今や学園のグラウンドはすべて甲子園の土になってしまったのである。人呼んで「テセウス野球軍」……悪くない。この設定で野球漫画を描こう。そのためには野球についてもっと知らねばならない。野球部OBの居酒屋にも行ってみよう、地元の飲み屋も悪くないではないか。こんど誰かとキャッチボールをしてみよう。父を誘ってみようか。今さらではあるが、まだ遅くはないはずだ。


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