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「パラリンピックとレジリエンス」

「レジリエンスing」by「レジリエンスの焙煎士」ほりしん

 ちょうど1年ぶりにカムバックしました。みなさんの「レジリエンス」を泡立てて心に薫らせる「レジリエンスの焙煎士」になりました。

「レジリエンス」を研究者目線ではなく、普通の人が意識して発揮できるようにわかりやすくお伝えして行きたいと思います。

 今回は「東京パラリンピック」を見て感じたことを書いてみます。 

 みなさんに質問です。 

 「パラリンピック選手」と「オリンピック選手」ではどちらがより多く「レジリエンス」を発揮していると思いますか?

 先日NHKのパラリンピック中継を見ていたら、解説の方が「レジリエンス」の説明をしながら、パラリンピックの選手の「レジリエンス」は普通の人よりすごいのではないかという話をしていました。

確かに病気や事故で体や精神に大きなダメージを受けたにもかかわらず、そこから立ち直ってパラリンピックの舞台までたどり着いた精神力は並大抵のものではないと思います。 しかしそれが同じように逆境を乗り越えてきたオリンピック選手やコロナ禍で様々なストレスと戦っている医療従事者のみなさん、あるいは飲食業のみなさんの「レジリエンス」と比べてより多く発揮されているとか、ましてや「レジリエンスの価値」が高いと表現されるのはちょっと違うのではないかと思います。

 トップアスリートの「レジリエンス」を「パフォーマンスの改善」で評価してはいけないのと同じように、パラリンピックの選手の「障がい」というハンデキャップを「レジリエンスの価値」に換算してはいけないのではないかと感じました。

 「レジリエンス」はリスペクトするものです。

「レジリエンス」はすべての人が備えている「心の資源」であり、その「価値」はすべて「リスペクトの対象」ではないではないでしょうか。

 今回の「東京パラリンピック」には様々な「驚き」と「発見」と「リスペクト」がありました。そして「レジリエンスは自分応援思考」という思いを一層強く感じました。 (ほりしん)

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