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人生行路が変わりかけた(第2章)

営業を25年間やっていた僕は、きっぱり辞めて転職した。
その理由は後述するとして、転職先では管理部門に配属された。

最初の印象は、「静かだなあ」「皆んな会社に一日中居るなあ」「仕事楽しいのかなあ」「皆んな同じに見える」であった。
お互い話し合うのも遠慮して、ひそひそ話をしているようだった。
そのなかで僕は今までとおりの姿勢だったので、浮いた感じを持たれたようだ。
もちろん自覚意識もあったが、人間は急に変えれないし変えるつもりもなかった。

あとで分かったんだが、それが社長にとっては面白なかったんだろう。

でもそんなことは知ったことでは無いので、自分のスタイルで仕事はした。
会社はそもそも仕事をするところなので、皆んなと同じように振る舞うことが正しいとは毛頭思っていなかった。
むしろ仕事で成果を出せば誰も文句も言わないだろうと思い、僕なりに精一杯頑張った。

そもそも何故、皆んなと同じでないといけないのか?
僕には全く理解できない。
今でこそ、「働き方改革」や「多様性」と言われているが
実情と伴っていないとずっと思っている。
“黒のスーツに黒のバッグ” “地味なネクタイ“ が代表で、それじゃ電車やバスに乗っても見分けがつかない。
おそらく日本は軍国主義の影響をずっと引き継いでいるんだなと思っている。
個性なんてあったもんじゃない。

少々話がずれたので、元に戻そう。
その会社で僕は人事採用をメインに行った。
とにかく人員をたくさん入れないと回らないので、厳選しながら多数採用した。
要するに会社の方針に正しく従い、業務を遂行した。

ところがあることが起こった。

僕の会社には「障がい者」がたくさん働いている。

結論から先に言おう。

僕はその精神障がい者のひとりをいじめたらしい。
そう。「ら し い」なんだ。
身に覚えがないと言うか、間違いなく正しいことをしたと思った。
だが、それは認められず会社から、一から精神障がい者の気持ちを考えろ!と言われ、会社の指示で大学に入り直し、資格を取るよう命令された。

結局大学は2年で卒業し、国家資格である「精神保健福祉士」を取得してしまった。

でも、気持ちは全く晴れ渡るものはなかった。

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コロナ禍の時に、僕の考え、環境、生活が変わりました。 ただコロナの影響ではないです。たまたまです。 記事をまとめてマガジンにしました。 コンビニで缶ジュース買うと思って購入して貰えたら嬉しいです。

僕は現在、一応精神保健福祉士ですが、支援も活動も一切してません。 むしろ今までは、ゴリゴリの営業マンでした。 訳があって、資格とりましたが…

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