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『幼稚園時代』と、わたし。~泣いた記憶とガンダムと~

声優・ナレーターの、日置秀馬(ひきしゅうま)本人が綴る自分史&エッセイ。『○○とわたし』シリーズ。


今回は、幼稚園の頃に焦点を当てていきます。


幼稚園時代で一番記憶に残っていること


わたしの幼稚園時代の記憶で、なぜか強く印象に残っているのは、

近所の友人や親御さんと、一緒に歩いているとき、友人に何かからかわれたのでしょうか、ものすごく泣いているんですね。わたしが。

泣きじゃくっていたわたしは、母親にしがみついて助けを求めます。

しかし、母親までもがクスクスと笑い、困ったような顔をしているのです。

少し離れたところで。


そう、わたしは友人のお母さんの足にしがみつき、泣いていたのです。


瞬間的に振り返り、そこに見えたのが母親の足だと思ったのでしょう。

5歳児ながら、とても恥ずかしく、取り繕うことも出来ず、それはそれで泣いてしまったことを記憶しています。


今でも記憶に残っているこの出来ごと。

そのときの場所を通るたびに、思い出し、何だかむず痒い、気恥ずかしい感覚が走ります。


とにかくよく泣く子だった幼稚園時代

幼稚園時代のわたしは、とにかくよく泣く子でした。

クラスの中での班決めで、「いちご組」とか、「アンパンマン組」のように、自分たちが決めた名前をグループ名に出来るのですが、グループ名が気に入らなかったのでしょうか、駄々をこねて泣いた記憶があります。

何故泣いていたのかは覚えていませんが、とにかく班決めで泣いていました。


ガンダムとの出会い

記憶の中にあるのは、『ドラゴンボール組』とか『ガンダム組』とか。

先生が書いてくださったお手製のイラスト付きで、班の名前が書いてあるものです。

今の自分からしたら、『ガンダム組』なんて泣いて喜ぶような名前だと思うのですが。

当時はガンダムのことはよく知りませんでしたが、年長か小学校低学年のころに、『元祖SDガンダム』という、BB戦士とは違うタイプの、ギミック満載且つ丈夫なプラモデルを、ディスカウントストアで親に買ってもらいました。青がメインカラーの、ダイバーの形をしたガンダムです。ゴーグルのようなパーツもあったかと思います。


今思えば貴重な時代

泣いた記憶といえば、歩いて数十秒の幼馴染の家から帰ってきたとき。

『5時に帰るよ』といったものの、相手のお母さまにはそれを伝えず、夕方6時まで遊んでいたことで、母に玄関を開けてもらえない事案が発生しました。

もちろん、相手方の家には母からの電話が入り、「大丈夫なの?怒られないの?」

と相手方のお母さまにはかなり心配されましたが、「だいじょうぶです!」

と自信満々で帰っていきました。


案の定、わたしは玄関のドアを開けてもらえず、玄関のドア越しに、説教をされ、わんわん泣きながら謝り、ようやく入れてもらえました。

こう考えると、幼稚園時代のわたしというのは、とても手のかかる子だったなぁと反省します。


大人たちも安心できた時代

当時は周りの大人たちが必ず見ていてくれているし、見守ってくれることが当たり前でしたので、何も心配することなく外で遊んでいましたが、昨今であれば、何か事件・事故に巻き込まれてもおかしくないような状況は多々あったかのように思えます。

もしこの時代に生まれていたら、何かかわっていたのでしょうか。

どちらにせよ、母親の叱咤は、とても身に染みています。

当時は母に怒られることが怖くてたまりませんでしたが、今思うと、本当に心から心配して怒ってくれていたのだなぁ…と、改めて本当の優しさをかみしめることが出来ます。

もしわたしが父親であったら、毎日とても心配なことの連続ではないでしょうか。

よく、両親は根気強く、わたしを育ててくれ、見守っていてくれたと思います。


今回はここまで。

幼稚園時代をはじめ、noteを続けていく中で思い出したエピソードがあれば、その時代に立ち戻り、新たに書き綴りたいと思います。


次回は小学校時代の記憶を紐解きます。




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