国立大卒引きこもりニートとにじさんじ③
Vtuberグループにじさんじに惚れ込んだ人間が自分語りします。
この記事は、以前私が書いた国立大卒ADHD引きこもりニートとにじさんじという記事の続編になります。初期はにじさんじの記事らしかったですが、3作目にもなると、もうほとんど関係がありません。
前回の記事を読んだという前提ではじまるので、この記事が未読の方は、先にお読みください。
国立大卒ADHD引きこもりニートとにじさんじ
https://note.com/hikini_ito/n/n374883dba86a
国立大卒ADHD引きこもりニートとにじさんじ②
https://note.com/hikini_ito/n/n403b661c3731
私という存在
photoshop、illustratorが触れます。
プログラミングができます。パソコン得意です。
絵も上手です。頭も良いです。文章を書くのもデザインもまあまあ上手いです。
国立大学卒業のニートで、空白期間が数年あります。
そんな私が求人情報誌を取る。
飲食、清掃、工場での軽作業、一般事務、世の中にはこんなにも色々な仕事があるのに、自分にもできそうだと思えることが、本当にひとつもなかった。
「私って、どんな企業で働いたらいいんですかね?」
私は忘れていたのだけど、自治体の就職相談で私はこんなことを言っていたらしい。
後から「いとさんこんなこと言ってて、よく覚えている」と聞かされた。
プログラマーだって、事務職だって、失敗続きで辞めている。
どこに行っても天才扱いされるのにも関わらず、私にできそうな仕事がひとつもなかった。
神絵師になりたい
前回までの国立大卒引きこもりニートをお読みいただいた方に今さら説明するようなことはないと思うのだけど、私は絵を練習していた。重ね重ねになるが、もしまだ前回までの記事をお読みではない場合は、ぜひそちらを先に読んでいただけたらと思う。
さて私は自治体の就職支援の施設に通っていた。ここで、アイドルになりたいだとか、イラストレーターになりたいだとか、寝ぼけたことをぼやいていた。
そこでアイドルになりたいのかと聞かれた。アイドルになりたいのか、一般就労したいのか、イラストレーターになりたいのかと考えたときに、別にプロのイラストレーターになりたいわけではなかったなと思う。絵を練習しつづけていたのに、どうやら私はプロのイラストレーターになりたいわけではなかったらしい。というのが前回までのあらすじ。
そんなことがあった、少し前の時間軸に戻る。自治体の就職支援で、イラストが好きで練習している人が集まる会が開催されることになった。その頃はイラストレーターになりたいと思っていたので、二つ返事で行きますと言った。
行きますと言った後で、どうもイラストレーターになりたいわけではないらしいということに気づく。でも約束してしまったので、とりあえず行くだけは行くことにした。
「本当に絵を仕事にしようと練習していたんですけれども、やっぱりやめるかぁ!ということになりそうでして、それで絵との付き合い方を考えてるところですー」
というやる気のない挨拶をして、自分の描いた絵を見せることになった。
なんとなく「絵を練習していますー」ということのみ伝えていたのだけど、そこで自治体の就職支援の職員は初めて私の描いた絵を見ることになった。
そう、私は本当に絵を練習していたのだ。もちろん気落ちして、練習に向き合えなかった時期もある。それでも度々気持ちを作り直して、また練習に向き合ってきた。真剣にプロになるつもりで、SNSでバズって、にじさんじライバーが自分からフォローするような人間になるつもりだった。
国立大学に行くような人間が本気で絵を練習していた。地道な努力もできて、学習意欲もある時の私は文字通りの意味において強い。
趣味で描いているにしては、私は絵がうますぎた。
比木丹いとは絵が上手い
その日の集まり自体はあっさりと終了した。私はやっぱりイラストレーターになりたいわけではないらしい。絵を描くのは楽しいし好きなんだけど、今後どうしようかねというふわふわした状態のままだった。
しかし自治体の就職支援にとっては、そうではなかったらしい。
比木丹いとは絵が上手い。イラストが好きで練習している人が集まる会で集まった中でも、頭ひとつ抜けてやばい。
これは後で聞いた話なのだけど、あれは売れる、という話が自治体の就職支援の間で話題になったらしい。その日イラストの会に参加していなかった職員にまで、全員に知れ渡っていた。表向きはほかの参加者と同等に扱いつつも、裏での扱いは別だったらしい。
もちろんPixivのランキングに乗ったことがあるわけでもないし、伸びるための営業行為とかも苦手だ。SNSでフォローバック目当てにフォローしまくるということもないので、評価はされていない。自分は神絵師と言われる部類ではなく、未熟であると思う。目の肥えていない自治体の職員だから違いがわからなかっただけで、やっぱりPixivのランキングに乗るような層は別格だと思う。
それでも絵を真剣に練習してきて、やはり絵は上手くなっていた。
比木丹いとは絵がうまかった。
神絵師ドリーム
さて職員の間で話題になっているとはつゆ知らず、私は相変わらずイラストレーターになりたいとは思えず、絵の練習をできずにいた。就労移行支援事業所に通いつつ、日常のことをがんばったりしていた。
そんなある日、一人の神絵師のアカウントが目に入ってきた。
SNSのアカウントを開設して、まだ日は浅い。
「最近にじさんじとかホロライブとかのVtuberさんからフォローされて、本物!?ってなってる」
この時の私の心情よ…
もうね、発狂はしないよ。しないけどさ。
くっそ羨ましいよね。
俺の方がにじさんじ好きだし、ライバーの絵も描いているのに、なんで絵が上手いだけのお前がフォローされるんだよ、と。
あぁ、やっぱり夢があるなぁ…
絵が上手くなればだいたいのことは解決すると思った、その発想自体はまちがってなかった。
絵が上手くなりたいなぁ…
とはいえ、私はアイドルになりたかったのだ。
絵の練習は、もちろん楽しいことも多いのだけど、地味な作業や自分の実力不足と向き合う苦しさなども多い。いまだに絵の練習を再開させる気にはなれなかった。
なれるよ!アイドル
さて、しばらく経った後、自治体の就職支援の職員との、定期的な面談があった。
前回の記事にて、私にアイドルになりたいの?と尋ねてきた職員だ。イラスト好きの会では不参加で、ほかの職員から「比木丹いとは絵が上手い」という話だけを聞いていたらしい。なんか比木丹いとは飛びぬけて上手いと話題になっていたことを、ここで聞かされた。
就労移行支援事業所でどんなことをやっているかなど、近況を報告した。その流れで、イラストの話も当然出てくる。
私のやりたいと思っていることで、優先順位がつけられずにいることは以下の3つだ。
・一般企業に就労する
・仕事にできるくらい絵がうまくなる
・アイドルになる
うーんニートがこれを書いていると思うときっつい。アイドルになるとか本気で言っているのかと思っちゃうわ。何がしたいのって聞かれたときに、イラストレーターになるは多少優先度は下がるけれど、それでも捨てられない選択肢のひとつだ。
まぁでもね。自治体の就職支援は仕事なので真面目に聞いてくれるよ。私はもともとアイドルになりたかったんだってね。その頃絵の練習はサボっていた時期だったけど、どれも私にとっては本当に大切にしている目標だ。
その職員は私に訪ねた。この3つで優先度をつけてみてほしいと。
「いやー、最近アイドルの養成所みたいなところのオーディションに応募してみたんですが、それに受かればアイドルの優先度が上がって、他は下がりますね。そうでなければ、他が大きいかなと思います」
「アイドルの養成所に応募したの?」
「はい」
特に報告などはしてこなかったが、私はVtuberグループにじさんじを擁する、株式会社ANYCOLORのバーチャルタレントアカデミーのオーディションに応募していた。
そんなお知らせを真剣に追っているわけではないが、たまたまGoogleのニュースがおすすめに表示してきた。とっくに私は就労移行支援事業所に通い始めていて、なんで今更そんなものを見せるんだ、私はもう普通の人生に向かっているのに、と思った。
とはいえ応募しないというわけにもいかず、必要事項は埋めて応募するだけはした。
職員の方は言った。
「よくがんばってるじゃない」
なんだその、合格する前から応募するだけで褒める姿勢は。
ママか。写生できてえらいねー。でもまぁ…
「いやまぁさすがに」
落ちましたよ。
それは自分に言い訳したり、予防線を張ったりするような言葉だったのだけど、実際にそれを口にしたとき、心臓がずきんと傷んだ気がした。
当時はまだ結果は返ってきていなかったが、落ちるだろうなと思っていた。私を落とす理由なんて、いくらでも考えることができた。
私は10人に1人の人材かもしれない。100人に1人くらいも、まだ現実的だ。そのくらいならまだ狙えるかもしれない。
じゃあ1000人に1人か? 1万人に1人か?
頭が良いだけなら、東大卒でも連れてこればいい。にじさんじならそれができる。そのへんの国立大卒なんて半端なだけだ。
APEXのプレデターでも、漫画家でも、なんでも選べるだろう。
色々できることがあるとはいえ、私が自信があることといえば、感情豊かな表現力のある文章が書けることしかない。
私の文章を一度読んだことがある人からすれば、こいつは狂ったように文章を書き続けてきた人間だ、と思えるかもしれないけれど、でも結局は文章が上手いだけだ。
陰キャ少年漫画みたいな性格しているから、ARKみたいな状況に置かれたときには、なにかしらドラマのある思考と判断をして、切り抜きポイントを作り上げる気がするけど、そんな博打みたいなことのために私を採用する理由にはならないだろう。
音楽イベントなどで活躍できる、もっと若くて体力のある人の方が、そりゃあ絶対に良いだろう。絶対に働きたくないと言って配信するのがバズるVtuberであって、好ましい姿勢だ。Vtuberになりたいと思ったから就職しようと思う人間は、そもそもVtuberには向いていない。
話を戻そう。
職員の方は、それでも自分に必要なことを考えて、成果はともかく、ちゃんと行動に移せていると思う、という趣旨のことを言った気がする。
続けて職員の方は言った。
「このアイドルっていうのをどう定義するかだよね、今日からアイドルですって言ってしまえば、もうアイドルになれるわけじゃない」
「うーん、一番わかりやすいのは、私の好きなアイドルグループに所属することですけど…」
ここでいうアイドルグループとは、にじさんじのことだ。
「別にミニスカート履いて歌って踊りたいとかではない」
「いやそれはちょっと」
いい歳した16歳にそれはきつい。
もう同級生は結婚して、子供もいるような年齢だ。ババア無理すんなって言われちゃうよ。
月ノ美兎と同じくらい信頼性のある16歳である。16歳とは大人と子供の二面性のある、複雑なお年頃なのだ。
「そういえば絵のほうはどうなの」
職員の方は私に尋ねた。
「イラスト好きの会、私は参加してなかったから比木丹さんの絵はぜんぜん見てないんだけど、職員の間でうまいって話題になってて、見てみたいなと思ってはいた」
私は自分のスマホからPixivを開いて、職員の方に見せた。
「上手いとは聞いていたけど、ここまでとは思わなかった」
「本当に上手い、頭ひとつ抜けてる」
「普通に売り物になると思う」
自分自身としては、pixivでもtwitterでも、いいねの数が百も行ったことがないので対して自信があるわけではないのだけど、褒められて悪い気はしない。
職員さんは言った。
「話が戻るけど、どうやったらアイドルになれるかだよね」
「アイドルって言ってもいろいろあるじゃない」
「今だったらほら」
「バーチャルアイドルとか」
職員さん、まさかのバーチャルアイドルをご存じであった。
「いや実は話をわかりやすくするために、アイドルって言ってましたが、私がなりたいのってバーチャルアイドルなんですよ」
「あー、なるほどね、私みたいな年寄りにはその方がわかりやすいもんね」
一呼吸置いて、彼女は言った。
「もうなれるんじゃない?」
え
私はバーチャルタレントアカデミーにも応募していて、でもたぶん落ちていて
「比木丹さん絵も上手いし、プログラミングもできるでしょ、私は全然わからないけど、あとは絵を動かすことができたら」
「なれるんじゃない?」
その日の夜、私は絵の練習を再開した。
背景などを含めた豪華な一枚絵ではなく、ただのしょぼい、キャラクターを正面から描いたものである。
私はずっとこれが描きたかったのかもしれない。
ちなみにバーチャルタレントアカデミーはもちろん無事に落ちた。
にじさんじのオーディションに応募したときと同様に、メールの返事が来なかった。
まあわかっていたことではあるけど、さすがにちょっと落ち込んだ。
就労移行支援事業所の帰り道を、歩いてゆっくり帰った。
有能と言われるえにからの採用担当だって、過去には葛葉、叶、本間ひまわり、犬山たまき、名取さななど、豪傑を落としまくっていた。
落ちたからといって私の価値が変わるわけじゃないんだ。
穏やかな日常
live2dのモデルは、作ろうと思ったら割とすぐに作ることができた。
今はネットで調べれば、すぐになんでも学習できる。モデルのクオリティはともかく、自分の描いた絵は拍子抜けするほどあっさりと、動いた。
だからといって配信を始めるわけではない。
私はずっと福丸小糸として生きてきた人間なのだ。
音声をネットに上げるなんて、楽しそうよりも怖いが勝る。
配信者は自分は陰キャだ陰キャだと、きゃっきゃっしているが、本物の陰の者は配信活動を始めるのにも苦労するのだ。
あと、どんな動画を撮影すべきか、ずっと考えていた。
どんな内容であれば、自分は続けられて、皆様にも楽しんでもらえるかと真剣に考えていた。
この辺の内容はまた別のnoteの記事である、国立大学卒引きこもりニートのyoutube戦略をお読みいただけたらと思う。
このnoteの最後にリンクを貼るので、そちらもよろしく。
私はもうすっかりニートではなくなり、外に出ることにも慣れていた。
引きこもりどころか、毎日就職に向けて努力していた。外出せずに家にいることの方が珍しくなっていた。
このまま就職に向かって、普通の生活を取り戻していく。それもまた国立大学卒引きこもりニートのきれいなエンディングじゃないか。
なんというか、穏やかな日常を送ることに慣れてしまっていた。
そして私はyoutubeで成功することを、まったく想像できずにいた。
天開司と伊東ライフの対談で、天開司は「自分なら今からvtuberはやらない」と言っていた。
天開ですらやれないと思うのに、どうして自分ができるだろう。
無駄な努力をして、大した評価もされず、日の目を見ることもなく、再生数は多くて二桁。
そんなの普通のことだ。
きっと収益化条件を達成することなく、誰にも気づかれることもなく、ひっそりと引退するんだろう。
そんな意味のない挑戦を本当にするのか。
まぁその後もしばらく時間はかかったのだけど、私は色々な方に背を押されることになる。
後日、また就職支援の人との面談があった。
私に対して「もうアイドルになれるんじゃない」と言った方だ。
「モデルはどう?」
そう聞いた職員の方に私は答えた。
「いや実は完成しました」
えっと驚く職員の方に私は動くlive2dのイラストを見せた。
まだ魂は入っていない、ランダムにポーズを取らせたものだ。
「え、これ自分で作ったの」
「はい」
そりゃそうだ。ニートに人に頼むお金なんてあるわけあるか。
「すごいよこれどうやってるの」
「いやネットで作り方調べて…」
「私は絶対無理だよ」
職員さんは言った。
「すごいよ、私もこの子がyoutubeで動いているところが見たい」
「ハンディキャップがあっても、こんなにすごいことができるんだって、もっと多くの人に知って欲しい」
「きっと勇気をもらえる人がいると思う」
あぁ、がんばらなきゃいけないなと思った。私はもう、多くの人と関わりすぎてしまったのだ。
私の長い話の終わりが、また穏やかな生活を手に入れましたというのは、きれいな終わりかもしれない。
けれど何もせずに終わるのは、あまりにも寂しすぎるじゃないか。
もしかして私は失敗したのかもしれない
いつか必ずアイドルにならなきゃいけない。
なるぞと決意を新たにして、また私は日常に戻っていった。
さて、そんな私はやる気の出るとき、出ない時がある。
やる気満々だった状態から、ガツンと落ち込んだ時の話をしておこう。
就職に向けてやる気の出ていた私は、転職や仕事などのテーマを扱う情報を積極的に得ようとしていた。
youtubeはそうした視聴者の興味を逃したりしない。
中野公というvtuberの動画がおすすめに表示された。
時々見ていて、いまでも好きなvtuberの一人だ。
彼女は高卒で、東京の大企業に就職したという、私と正反対の悪魔だ。
応募条件に大卒とあっても電話かけて応募して、実際に面接を突破してしまうという話を、うわーすげーと思いながら聞いていた。
それ自体は良かった。良かったんだ。
自分の手元にある求人情報誌を眺めて思った。
もしかして私は失敗したのかもしれない。
国立大学卒業という最強クラスの新卒カードを持っていた頃、どんな大企業だって私と会ってくれた。
今の私は何をしているのだろう。
上手く働けなくて、引きこもりニートになって、空白期間もある、とてもこんな人間を採用してくれるなんて思えない。
年を取った自分のことを、そんなに嫌いではない。前よりも強くなり、できることも増え、勇敢になった。
ただ、職業に貴賎なしとは言うが、私の就くことのできる職業は間違いなく狭まった。
私はもしかしたら、もしかしなくても。
失敗したのかもしれなかった。
翌日、私はとても調子が悪かった。
就労以降支援事業所で、就職に向けたトレーニングを受けていて、誰の目にも明らかなほどに焦っていた。
とにかくもっと自分の価値を高めなくては。
そんな気持ちでいっぱいになっていたらしい。
見かねた職員さんに声をかけられて、ほんの少し話をした。
自分はたぶん失敗した、何もうまくできていない。落ちるところまで落ちた自分のことを再認識してしまった。
これから就職活動をがんばったとして、何か大きく変わることはないだろう。
昔の自分は本当にがんばる気力を失っていて、自信も何もなかった。
がんばろうにも本当に何も手につかない状態だったから、空白期間があるのはどうしようもないことではあった気がするけれど、自分はもう取り返しのつかない失敗をしたのだと思った。
職員さんは言った。
「比木丹さんの言うこととてもわかりますよ」
詳細については覚えていないが、だいたいこんな感じだ。
自分は元々広告業界にいた。デザインが好きで大学で美術をやっていたこともあり、憧れて入社した。
実際にはそんな華々しい仕事ではなく、作るのは激安のスーパーのチラシばかり。
嫌気がさして独立しても上手くいかず、後に再就職しようにも、デザインの職歴しかなく、会社に所属していたわけでもないので空白期間のようなものもある。
「今の比木丹さんよりもずっと、自分は潰しの効かない人間でした」
私は職員さんが話すのを、黙って聞いていた。
「それでも今の会社にたどり着いて、お給料は低くても、今の仕事に満足しています」
障害者就労の支援というのは、基本的に潤沢にお金が回るわけではない。
当然職員さんの給料も大きく上がるわけではない。
仕事に価値を感じられるかというのは、もちろん給料もあるだろうけれど、内容だって重要だろう。
「今の私の仕事を求人票で表現すると、職種は『事務、教師』など、とてもつまらなそうな内容になると思うんですよ。企業のことを詳しく調べてみると、意外におもしろそうなことをしていたりします。一度求人票に載っている企業を調べてみると良いかもしれません」
「きっと大丈夫です、比木丹さんに合う企業が見つかりますよ」
面接
そうはいっても、そう簡単に相性の良い企業に巡り会えるものではない。
一度システム開発の企業が集まる合同説明会に参加したことがあったけど、ある企業の説明を受けている間にふと前の会社で上手くいかなかったことを思い出してしまった。
お前本当に何もできないんだな、赤ちゃんかと、当時の記憶がきれいに思い出せてしまった。
あぁ、自分はシステム開発の企業に就職することは無理なんだなと思った。
簡単にできそうな一般事務も考えたし、仕事体験みたいなものにも参加した。病院の事務で、そこに就職したとしても、きっと両親は喜んでくれたのではないかと思う。
ただその時の内容が、とてもつまらないと感じてしまったのだ。
薬の名前が書かれているエクセルと、仕入れ先となる製薬会社のエクセルの内容を突き合わせて、薬と製薬会社が一緒に載っている別のエクセルを作るというものだった。
こうした慣例主義は、それはそれで大事だ。誰もが納得するやり方を選ぶというのも、ひとつの選択肢として重要だと思う。
でもエクセルの関数の機能で一瞬で終わるはずの仕事を真剣に手作業でやることに、自分は耐えられそうになかった。根はプログラマーの効率厨である。
たぶん社風とか、根本的な考え方とか、いろんな面で合わなかったのだろうと思う。
まぁまぁ良いお給料が設定されていたけれど、応募は辞退してしまった。
プログラマーもだめ、事務職もだめ、体力も低く筋力もない、細かい作業も苦手で集中力もない、接客も無理、コツコツ真面目に作業なんてできやしない。
頭がバチクソに良いだけの、ただのゴミである。あるよなこういう、カタログスペックだけ高くて実戦で使えないやつ。理論値だけは最強のやつね、Splatoonのブキにありそう。
すっかり私は就職活動に苦手意識を持ってしまった。
そもそも自分がどういう企業に就職したいのか、どんな仕事ならできそうなのかも、よくわからずにいた。
そんな中、合同企業面接会というものに参加することになった。
中には大企業も参加していて、結構人気のイベントであるらしい。
私はまったくやる気が起きず、不参加のつもりだった。職員さんに「人気のイベントだから、ほかの事業所からも大勢の人が参加する。競争率が高くて、うちの事業所の参加者で過去に採用された人はいない、採用されたとしても辞退していい」と言われ、渋々参加することになった。
職員さんいわく、落ちても良い面接練習だと思って受けろ、こういうところで練習して、自分が本当によいと思う企業の面接がぶっつけ本番になるのを避けろということだった。
しょうがない受けるかと思ったものの、どうしても受けたい企業がわからない。
事務職や作業補助、飲食店のアルバイトのようなものなど、色々あった。
勤務地、給料、内容、色々見るけど、どうしても決められない。
私は時給1000円未満で通勤に1時間かかる事務職と、同じ給料で通勤5分の皿洗いのアルバイトだったら、通勤5分の方が良いような気がした。
私の職歴はSE、事務職しかなく、なんとなく次回も事務職かと思っていたけれど、単純に条件だけを見た場合、特に事務職にこだわる理由もない。
だったら別に皿洗いでも良いんじゃないか。
やったことはないし、そんなに自分に向いているとは思わないけれど、何かしら妥協は必要だろう。飲食でも清掃でも、悪い職ではないはずだ。
ということで大真面目に飲食店のアルバイトに応募しようとしていた。
さすがにそれは止めろ、比木丹さんは事務職でしょと、就労移行支援事業所の職員さんの独断で選んだ事務職に応募することになった。
こう書くと職員さんはずいぶん身勝手に見えるが、一応自分に拒否権はあった。それはまちがいない。
職員さんは私の適性とか何を楽しいと思うかなどを考慮してくれただけなので、そこは理解してほしい。
まったく気乗りしないまま、履歴書などを作成し、面接練習をして、面接当日を迎えた。志望動機はほとんど職員さんが考えた文章をもとに、自分なりに書き換えて用意した。
ちなみに2社応募することになったのだけど、そのうち1社は新型コロナ拡大のため、急遽取りやめになった。
ゴミのようにやる気のなかった私は正直ちょっとほっとした。残っているのは、名前も聞いたことがない小さな工場の事務職だった。
一応ホームページなどは見て下調べだけはしっかりした。
こんな気持ちで受けるの申し訳ないな、たぶん落ちるだろうけれど、もし受かってしまったら、他の求職者の方に申し訳ないな。
そんなことを考えていたが、逃げようもなく、私の面接の番がやってきた。
部屋に入り、練習したとおりに挨拶する。
「比木丹いとです、本日はよろしくお願いいたします」
SSR確定ガチャを引く
書いてきた応募書類を人事の方に渡す。
名前や年齢などの情報はあらかじめお渡ししていたが、人事の方はそこで初めて、私の経歴を見ることになった。
人事の方は履歴書をゆっくりと眺めて言った。
「前にシステム開発の会社に勤めてらっしゃったんですか」
「??? はい」
「どうして辞められたんですか?」
まずい。圧迫面接だろうか。
そんなもの何をやらせても失敗しかしない、やる気しかない無能という扱いで、会社にいられなくなったから以外にない。
自分はゴミですと説明させる気かこいつ。障害者就労枠なんだから、少しは優しくしてほしい。
「当時は障害が発覚しておらず、一般枠で就職していましたが、なかなか上手くいかないことがありました」
物は言いようである。
用意していた質問と答えで助かった。
「今後システム開発の場に戻ることなどは考えていませんか?」
どういう意図の質問なんだこれ。
高い技術を持ち合わせていながら、給料の安い事務職を志望する理由を聞かれていたりするんだろうか。
まじでこれに対して回答がない。
どうすりゃいいんだ
私が困っているのを察したのか、人事の方は言った。
「うちにはシステム部門もあるんだけど、よかったらどうかな?」
こんなに優秀な人は探そうとして募集したところで、そもそも見つからない。
来たらいいなと思いはしても、そもそも存在しないし、募集をかけても無駄なので募集していない。というか存在自体がぼくの考えた最強の社員なので、想定すらしていない。
システム部門では、難しいところは外注したりするけど、自分たちで作れそうなものは自分たちで作ってみている。
この経歴を捨てるには惜しい。
事務職の募集ではあるけど、システム部門に来ないか、ということだった。
なぜ人事の方が私を優秀な人間かもしれないと勘違いしてしまったのかと言えば、学歴である。
卒業から何年か経って、今さら学歴なんて重視されないと思っていたけれど、あまりにも高学歴すぎて本来募集していない席を、その場で作ってしまった。
人事の方からすれば、無難な事務職を探しに来たのに、野生の伝説のポケモンが来た状態である。筋肉isパワー
なんでなんだろうね、勘違いかもしれないけれど、その時私は「できるかもしれない」と思ってしまった。
あれだけできないと思っていたプログラミングを、できると思った。
お互いにSSR来たと思っていたんじゃないかと思う。
その日は本来の募集業務である事務職の話は一切出ず、システム部門ではこんな仕事をしているという話をしていた。
とはいえ履歴書を見た人事の方は、システム開発に関する知識はなく、学歴だけを見て「こいつはなんかできそう」と判断し、本来募集していない枠の提案をとっさにしたというだけの話。
履歴書を持ち帰ってシステム部門の人と相談してみます、ということだった。
システム部門はもう充足しているのでごめんなさいという話になる可能性も十分あった。
二次面接ではシステム部門の方とお会いして、「障害者手帳を見せられても、障害者とは信じられないほどしっかりしている」などと言われたりした。
見た目だけはしっかりしているからな。
昔から頭の良さそうな顔と言われてきた。外面と第一印象だけは無双ゲーよ。
そんなことがあって、結果は採用。
三ヶ月の試用期間を経て、本採用へ移行した。
私はずっと欲しかった、定期的な仕事と収入を手に入れた。
働く喜び
働き始めてから、ずいぶん経った。
私が働くことを、父も母もとても喜んでくれた。母は私が難しい作業をしているのに対して、給料が安すぎるとぼやくこともあるけれど、まぁ黙らせている。
毎日働きに出る私はとても楽しそうであるらしい。
母はそんな私を見て言った。
「ずいぶん楽しそうだけど、前に勤めていたシステム開発の会社とどう違うの」
「あなた昔システム開発の会社にいた頃ね、『仕事っていうのは何をやってもつらいものだ、お金を払ってさせてもらうのが楽しいことで、お金を支払ってでも人にしてもらいたいことが仕事』『好きなことでも楽しいことでも仕事はつらい』って言ってたのよ」
難しい質問だ。
そういやそんなこと言ったわ。すっかり忘れとったわ。
システム開発してた頃、プログラミング楽しかったのに、仕事にするとマジでつらかったんだよな。
仮にも国立大学行った人間としては、かなり落ちぶれたのではないかと思う。無敵の人になっていてもおかしくないだろう。
「そうだね」
多少のフェイクを入れて書く。
前に勤めていた会社は、企業から委託を受けてプログラミングをする企業だった。
これの何がつらかったかと言うと、最終的にお客様に渡すものを作っていたということだ。
今は社内の事務員さんだったり、工場作業の人が触るシステムを作っている。
システム開発をしているものの、あくまで私は工場の作業員の一部であり、企業の一員として安全講習などもたまに受ける。
私は町の小さな工場勤務の、ブルーカラーになったんだと思う。
たしかにパソコンを触っている仕事であり、頭脳労働に近いかもしれないけれど、きれいなビルのオフィス勤務ではなく、古びた工場の一角にいる。
入り口はドアではなく、からからと音を立てる引き戸だ。
一部の部屋の改修はされているものの、昔は白かったはずの壁はほんのり黄ばんでいる。もちろん塗料はところどころ剥がれている。
明かりをつけないと廊下は薄暗く、雨の日などは、そのままホラーゲームに出せそうだ。
決してかっこいい職ではなく、給料も安い。
だけど私が作るものを使う人は、社内の人なので、失敗することがあっても、ちょっと男子ぃ~で済むことが多い。
私は何かとてもすごい人になったということもなく、苦手なことを克服できたというわけでもない。
ダメでバカな自分のままだ。
それでも、ちょっと男子ぃ~で済ませながら、上手くいかないことがあっても、なるべく良い結果になるように努めているつもりだ。
そして周囲の人は自分なりにがんばっていることを、加点方式で評価してくれる。自分にとって苦手なことがあることを理解しようとしてくれる。
自分の身に余るほどに恵まれていると感じる。
至らない部分は正直多い。
それでも「おっちょこちょいな所はあるけど、まぁやれてる」と評価してくださる会社にいられて、とてもうれしく思う。
給料は正直安い。本当にめちゃくちゃ安い。
この給料でわざわざ時間をかけて通勤しているのは、おかしいのではないかと思う。
ツイッターなどでは「いくらなんでも技術者を買いたたきすぎ」と、会社の方が叩かれそうだ。
それでもこの会社と、仕事が大好きだ。
贅沢なんかしなくても、生きていけるだけでいい。
「うん、満足してるよ」
ところでこのシリーズの読者諸君は覚えておいでだろうか。
私の話は就職して終わりなどではない。
私はアイドルになりたかったのである。
視聴者に生活の心配をかけさせず、配信活動がしたい、そしてその条件がついに整ったことになる。
YouTube戦略編に続く!
https://note.com/hikini_ito/n/n5fee338b49f8
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