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"ライトノベル"は"ASMR"と同じ種類の言葉ですよ

 こないだの記事は幸いにしてたくさんの人に読んでもらいました。
 が、自分ではめっちゃわかりやすく書いたつもりが、文章が硬かったせいなのか、無意識に衒学的になってたせいか(マジすみません癖なんです)、わかってもらえなかった人も多いみたいです。

 だからもうちょっとわかりやすく補足説明します。文体も変えます。

 その前にですね。
 大前提として、「ライトノベルの定義」なんてものを求めている人は以下の三種類しかいないわけです。
1)ライトノベルを求めている読者のニーズに応えたい作り手
2)自分の好みの作品を積極的に探したがる貪欲な読み手
3)とにかく論じたいだけの奇特な人
 このうち僕が対象にしているのは1と2だけです。
 客がライトノベルくれって言ってるけど要するになにが読みたいんだ~、という作者と、ライトノベル大好き! もっと自分の好みを深く掘り下げたい! なじみのない領域にも出かけていってライトノベルっぽいものを探し出したい! と思っている熱心な読者。この二者にとっては、「普段ライトノベルとなにげなく呼んでいるものは一体なんぞや」という本質追究をした方が断然便利です。
 3は、よくわかりませんがとにかく記事の対象読者ではないです。

ASMRの定義論は荒れない

 で、みなさん「ASMR」って知ってますよね?

 近年とかく話題の、聴いているとなんかこう、もきゅもきゅむしゅむしゅさわさわしてて気持ちいい音のことで、リラックスできるとかよく眠れるとかでYouTubeでは一大ジャンルになっています。

 一方でこのASMR、かなり個人差が大きいことも知られています。

 ASMRとしてあげられている音を聴いても、全然気持ちよくない、むしろ気持ち悪い、というケースがよくある。
 ところが、そこで「これはASMRじゃない! ASMRはこれこれこういうもの! こういうラインにおさまるもの! 外れてるからASMRじゃない! こっち側がASMR!」みたいにASMR定義論で荒ぶる人というのはいないわけです(いや広い世界に一人二人はいるかもしれませんが)。個人がリラクゼーションを感じることが要件で、個人差もある、ということをみんな諒解しているからです。

 だからといって、このASMRという名称が区分として役に立っていないかというと、別にそんなことはない。[ASMR]というタグをクリックすれば、多くの人が心地よい落ち着きを感じた音素材がばーっと出てきて、求めるものを探す助けになります。明らかにASMRじゃない「黒板を引っ掻く音」だの「選挙カーの連呼」だの「NAPALM DEATHのライヴ」だのは出てこないわけです(毎晩NAPALM DEATH聴きながら寝てる人すみません)。

 ASMRというものを定義づけよう、という学術的な研究もあるにはあります。
 なにをやっているかといえば、人々がASMRだと感じる音を分析したり、ASMRだと感じているときに脳内でなにが起きているかを測定したりしているわけです。「人間がASMRだと感じる」ことがまず前提としてあり、それを事実として受け入れ、具体化するわけです。決して「ASMRは前提としてこれこれこういうもの! ここまではASMRでここから先はちがう」みたいなことは言い出さない。当たり前といえば当たり前の話です。

 こないだの記事でやったのもそれと同じです。
 だから、「その分析は間違っている。ライトノベルのエッセンスはもっと他のものだ」という反論ならあり得ます。まっとうな考え方です。
 でも「それだと○○は含まれちゃうんですか? ○○は含まれないんですか? その線引きおかしくないですか?」みたいな反論が出てきたとしたら、文意を理解してもらえなかったということなので、また補足説明しなきゃいけないかもしれないですね。

ライトノベルかどうかはレーベルで決まるのか

 あと、こないだの記事で触れるのを忘れていたのが、「ライトノベルかどうかはレーベルで決まる」という主張。かなり根強いですが、これ、間違っているというか、「定義と識別法を取り違えてる」が正解です。

 たとえば電撃文庫がある日突然、青空文庫に入ってる古典を片っ端から書籍化して題名だけの飾り気のない表紙でもって出版し始めたとしたら、どう思いますか。
「電撃文庫から出てるんだからこれもライトノベルだ」
 ……と主張するのは、「ライトノベルかどうかはレーベルで決まる」という定義をとにかく守りたい人だけで、まあ普通の人は「電撃文庫どうしちゃったの」とか「これはライトノベルじゃねーだろ」とか「せめて小畑健か久保帯人のイラストをつけろよ」とか思うでしょう。

「ライトノベルかどうかはレーベルで決まる」という考え方が成り立つのは、出版社と作者と書店が努力して読者の求めるものを探り、同傾向の好みに訴求する作品を検索性向上のためひとまとめにしているからです。レーベルというのはとりもなおさずそういうものです。
「ライトノベルかどうかはレーベルで決まる」と主張している人も、ほんとうはまず作品の中に「ライトノベルという言葉で呼ばれるなにか」を感じ取り、それが集められてわかりやすく分類されている棚や装丁を見て「この区画なら自分の求めているものが高確率で買えるな」と判断し、それ以降安心して「レーベルで決めて」いるわけです。

「ライトノベルかどうかはレーベルで決まる」というのは、だから、現状では信頼できる識別法であって、定義じゃないのです。

 大多数の読み手は、「ライトノベルかどうかはレーベルで決まる」を定義だと勘違いして読書生活を送ってもなんの問題もありません。
 というか、安心してそう思って本探しを気楽にしてもらうために作り手はこんなクッソめんどくさいことを日々考えて本を作ったり宣伝したり棚を作ったりしているんです。その努力の結実が「レーベル」です。「ライトノベルかどうかはレーベルで決まる」と思ってくれる人がたくさんいるという事実は、出版社と書店にとっての勲章です。

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