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『ライトノベルの定義』に対する最終回答

はじめに

 ライトノベルの定義、という話題はとにかく荒れる。荒れまくる。これまで万人が納得する統一見解が出た試しがないし、「持ち出すと荒れるので話し合うのはやめよう」という風潮まで現れる始末だ。

 でも、そんなに難しい話だろうか?

 僕はライトノベル作家である。
 昔は、自分がそうなのかどうかちょっと自信が持てずにいたが、今は自信を持ってはっきりと言える。ライトノベル作家である。明言できるということは自分の中で確固たる「ライトノベルの定義」ができているということでもある。

 本稿は、「ライトノベルの定義」という議題にこれ以上人々が振り回されることなく、無駄な議論に費やしてきた時間を一冊でも多くの読書(できれば僕の著作を)に向けさせるために執筆したものである。

 まず、なぜライトノベルの定義論がこれまで不毛なままだったのか。

 これは、以下の二つの重要なポイントについてしっかりと周知・確認ができていないまま各々が好き勝手にがちゃがちゃ言い合ってきたせいだろう。
1)ライトノベルはア・プリオリな概念ではない
2)定義はグレーゾーンがあっても有用である
 この二点だ。順番に解説しよう。

「ライトノベル」はア・プリオリな概念なのか

「ライトノベル」という確固たる概念がまず先にあって、それを現実に存在する作品に適用するべきだ――みたいな考え方をしている人が少なからずいる。実は、この考え方は一応成り立つ。

 なぜかというと、「ライトノベル」という言葉は、その発生時期も、発生場所も、考案者も、さらにいえば考案した意図までも、はっきり判明しているからだ。

 時は1990年ごろ、Nifty-Serveのファンタジー・SFを扱うフォーラムでこの言葉は生まれた。それまでは、いわゆる漫画っぽいテイストの小説は「コバルト・ソノラマ」というくくりで語っていればよかったのだけれど、80年代末に富士見ファンタジア文庫やスニーカー文庫が創刊され、似たような作品が一気に増え、フォーラム内でも話題にする人が急増し始めた。このままいっしょくたにしていると、従来のSFについてディープでマニアックな話をしたい人たちのログがあっという間に流されてしまう……。
 フォーラム内の話題整理(というか、要するに隔離)のため、急発展する新興勢力をすべてひっくるめた呼称が必要になり、考案されたのが「ライトノベル」である。
(特筆すべきは、このとき「ヤングアダルト」「ジュヴナイル」という既存の呼称が採用されなかったことだ。「ヤングアダルト」はアメリカの図書館学では立派に確立された用語だが、日本ではなじみがないうえに「アダルト」に性的な意味があると誤解されてしまうため忌避されたという。また「ジュヴナイル」も、少年少女向きという読者層を限定させる意味合いがあり、どう考えてもフォーラムで話題にしている人々が少年少女だけではなかったから不採用とされたのだろう。既成概念ではくくりきれないと判断して新しい用語を発案した当時のフォーラム管理者・神北恵太氏の慧眼は最大限に讃えられてしかるべき。もし「ライトノベル文学賞」みたいなものが創設されたらぜひとも第一回の特別功労賞を受け取ってほしいものである)

 フォーラム管理のために編み出された、「この場所で話し合っていいこと/よくないこと」を判別するためのルール用語なので、明確で異論の出ない形で「ライトノベルか、そうではないか」を判別できる。ライトノベルについて語ろう、と題された会議室で早川や創元を持ち出したら、「いや、それはライトノベルには含まれないのであっちの会議室に行ってください」ときっぱり排斥できる。そして、ルールなので個々人が勝手に解釈を変えてはいけない。

「ライトノベル」という言葉をア・プリオリなものとして扱おうとしたら、このNifty-Serve定義に従うしかなくなる。

「ライトノベル」とは、コバルト・ソノラマ・富士見ファンタジア・スニーカーなどから刊行されているファンタジーまたはSF小説のことである。
(そう、ファンタジー・SF限定である。なぜならフォーラムがファンタジー・SFなので、それ以外のジャンルは今風に言えば「スレ違い以前に板違い」となる)

 この定義で満足だろうか?
 満足な人はおつかれさま。読むのはここまででOKです。

 満足なわけがない? それはその通り。この定義ではパソコン通信時代に存在していなかった電撃文庫もMF文庫Jもガガガ文庫もGA文庫もすべてライトノベルには含まれないことになるし、ラブコメもみんな除外されてしまう。明らかに、現状に即していない。

「ライトノベル」という言葉はその後Nifty-Serveを離れ、読者の側からも、出版社や書店の側からも使われるようになった。月並みな言い方をすれば「時代が求めた」用語だ。我々がいつも話題にしているのはこの「ライトノベル」だ。これは徹頭徹尾ア・ポステリオリな概念である。作品がまずあり、なにがしかの意図で作品を区分けしたい人々がおり、その間でなんとなく使われて普及していった言葉だ。確固たる「ライトノベル・イデア」なんてどこにもない。だれかが「○○はライトノベルだ」と言ったとき、たとえ自分がそうは思わなかったとしても、「いや、○○はライトノベルではない」と反駁することにはまったくなんの意味もない。

定義はグレーゾーンがあっても有用である

 それなら定義論なんて無意味ではないか、と言い出す人も多い。各人が勝手にライトノベルかどうか決めているだけで論じる余地はない、と。

 これはこれで間違っている。
 このタイプの極論を言い出す人は、「言葉の定義」について誤解している人だ。定義というからには、ありとあらゆる対象について見解が分かれるような例があってはいけない。どんなケースでも万人の見解が一致する白黒がつかなければそれは定義とはいえない――という誤解だ。

 そんな定義は数学とか化学とか物理学の分野にしか存在し得ないのであり、世の中のほとんどの言葉の定義は多かれ少なかれグレーゾーンを内包し、それでもだいたい有用に働いているものである。

 あなたは「山」がなんなのかわかるだろうか?
 わからない、という人はまずいないだろう。周囲よりも盛り上がって高くなっている地形のことだ。ところでその麓は平地とシームレスにつながっている。ここから山である、と万人が白黒つけられる境界線を引けるだろうか?
 もちろんそんなのは無理だ。山麓はグレーゾーンである。
 しかし、だからといって「山」という言葉が有効ではなく、そこが「山」かどうかは各人の認識に任されていて論じる意味はない――なんてことにはならない。標高数千メートルもの山頂を山じゃないと間違える人はいないし、真っ平らな野原のど真ん中を山と間違える人もいないからだ。
(もちろん、広い世界を隅々まで探せば、富士山のてっぺんを「平野だ」と言い張る人も一人はいるかもしれない。同様に、『とある魔術の禁書目録』はライトノベルではない、と言い張る人も一人はいるかもしれない。そんなのは放っておけばいいのである)

「ライトノベル」は、「そうである/ない」の二値的なものではない。

 だから、「ライトノベルの定義」に関して論じるのが無駄なのではない。「ライトノベルか否か」を論じるのが無駄なのである。

 あなたが立っているその地点が山なのか否かを論じている暇があったら、測量して標高を割り出しなさい――というのが本稿の主旨だ。

 したがって本稿が提供する「ライトノベルの定義」は、「人間はいったいなにをもってして作品から『ライトノベルっぽい』という印象を受けるのか」という考察であり、「この作品はどれくらいのライトノベル度か」を各人が判定する基準、ということになる。
 判定するのは読んだ各人であり、その判定結果もオールオアナッシングの「ライトノベルかどうか」ではなく、「ライトノベルっぽさが濃いか薄いか」というものになる。今まで「ライトノベルかどうか」で意見が割れてきた作品に対して、すっぱりと綺麗な答えが出るたぐいの定義ではない。そんな議論は未来永劫割れ続けるだろう。議論自体が間違っているからだ。

結論

 前提を述べ終えたところで、いきなり結論である。

 ライトノベルとは、
『十代後半あたりの青春期に抱く憧れを、読者の心を惹きつけるための原動力として恥じることなく用いた小説』のことである。

「憧れ」「原動力」「恥じることなく」の三点が肝なので心に留めておいていただきたい。

 この定義によって、ライトノベルにまつわるありとあらゆる言説に対して決定的な回答を出すことができる。以下、いくつか解説しよう。

ライトノベルが広すぎる

 扱っている題材や物語の類型があまりにも多岐にわたるため、ライトノベルはジャンル名ではなく、ひとくくりにして語ることはできない、という暴論をよく見かける。

 これは、ライトノベルのコアを把握していないことによる誤解である。

 ライトノベルの要件である「十代後半あたりの青春期に抱く憧れ」には、代表的なところで「魅力的な異性への憧れ」と「強さ/勝利/万能感への憧れ」の二つがある。より物語作法の方向へ推し進めれば、「恋愛」と「戦闘」の要素になることが多いだろう。どちらの要素も抽象度がかなり高いため、SFだろうがミステリだろうが戦記だろうが、なんにでも投入することができる。特に「魅力的な異性への憧れ」はまったくジャンルを選ばないため、活用していない作品はほとんどない。

「恋愛」ものと「戦闘」もの、要素としてはかけ離れており、さらにはどんな物語類型にも採用できる。にも関わらず、多くの人々が多岐にわたる作品を眺めて「これとこれとこれはライトノベルっぽい」と共通見解を導くことができる。その理由は、「青春期の憧れ」という点で通底しているからである。
 逆に言えば、恋愛や戦闘を扱っていても「青春期の憧れ」のエネルギーを活用していない作品からはライトノベルっぽさを感じ取れない。

 要するに「ライトノベル」とは物語に搭載しているエンジンによる分類なのである。乗用車にも戦車にもロケットにも掘削機にも発電機にも積めるので、外側しか見ない人々からは「ライトノベルというくくりは論じられない」と言われるわけだ。

ライトノベルはジュニア小説とはちがうのか

 ライトノベルを、その対象読者層から定義しようとする人々がいる。歴史的に見ても、中高生を対象読者とした小説だと定義づけようとするのは無理からぬところだが、もはやこの定義はまったく現状に即していない。おっさんもおばさんも読むし、特に中高生向けに書いていない作者も大勢いる(僕もそうである)。
 一方でこの定義にはそれなりの妥当性があるため、提唱者がなかなか減らない。

 たしかにライトノベルは、そうではない小説に比べて低年齢読者に向いているのである。

 それはなぜかといえば、彼らにとって非常に共感しやすい「青春期の憧れ」を原動力として書かれた物語だからだ。そして、ここが重要なところなのだが、「青春期の憧れ」というものは加齢と共にすっかり消えてしまうわけではなく、一定数の人々は何歳になろうと保持し続けるのである。この点がライトノベルを対象読者年齢で定義できない理由になる。僕だって何歳になろうと可愛い女子高生にはキュンキュンするし強大な敵をばったばったと薙ぎ倒す展開には心が躍るのだ。

 また、実際にジュニア向けに書いた作品で「青春期の憧れ」を活用する作者も少なからずいるだろう。題材の相性がいいのだから当然だ。したがってジュニア小説のライトノベル度は高くなる傾向があるだろう。
 しかし何度も言うように低年齢対象=ライトノベルではない。ジュニア向けなのに「青春期の憧れ」をあまり重要視しない作家もいるからだ(あさのあつこなどがそうではないかと思われる)。

少女小説はライトノベルではないのか

 ライトノベルの定義の話になると、コバルトやホワイトハートなどの少女小説をどう位置づけるかがよく問題になる。

 問題になる、ということは、要するに「ライトノベルである」と考える人とそうでない人がどちらも一定数以上存在するということだ。

 なぜ見解が割れやすいのか? これも、「青春期の憧れ」を鍵として考えるとすぐにわかる。
 先述した通り、「青春期の憧れ」には「魅力的な異性への憧れ」と「強さ/勝利/万能感への憧れ」の二大分野がある。このうち、後者は少女小説ではあまり扱われない。また、前者も、男性向けのそれとはちがうものとして受容される傾向がある。単純に性別がちがうというのもあるし、また男性向けのそれと比べて「性欲」に訴求する要素が少ないからというのもあるだろう。つまり、ライトノベルの多数派である男性向けと比べて、「青春期の憧れ」要素が薄かったり異質だったりする。少女小説はライトノベルとはちがうと判定する人がいるのはこれが原因である。
 しかし要素が少ないだけで、ないわけではないし、また「青春期の憧れ」は上記の二つだけでもない。たとえば「魅力的な同性への憧れ」もある。異性読者からすれば「魅力的な異性」以外のなにものでもない(非常にわかりにくい書き方になってしまったが、男性読者が『マリみて』に夢中になっていたことを思い出していただきたい)。そこに「青春期の憧れ」という共通項を感じ取れる人はライトノベルだと主張する。

 ライトノベルが二値的な概念ではなく定量的な概念だと理解していれば、要するにこれは単純な多寡の問題なのだな、とすぐにわかる。コップに水が半分入っているのを見て「半分もある」と感じる人と「半分しかない」と感じる人の差に過ぎない。

ライトノベルはポルノなのか

 ライトノベルにはいわゆる萌え絵のカバーイラストや挿絵がつくことが多い。その中には非常に露出度が高かったり、胸や尻を強調していたりといったエロティックなものもある。

 これをもって、ライトノベルはもうほとんどポルノであり、エロが売りの小説である、と揶揄する言説が後を絶たない。

 しかしこの浅い考えは、「ライトノベルにはエロはよく出てくるが性行為はほとんど出てこない」という点を完全に見落としている。
 なぜそこまでエロいものを書きながらセックスはしないのか。これは「憧れ」というキーワードから答えを導ける。
 たしかにライトノベルは魅力的な異性を売りとするし、その魅力の大部分は(特に男性向けであれば)性的魅力である。ただしあくまでも「青春期に抱く魅力的な異性への憧れ」であることに留意しなければならない。性行為はあまりに生々しく、また汚濁のイメージを伴い、少年の憧れを醒めさせてしまう危険性が高い。より直截的な表現をするなら、読者はどきどきしたいのであって射精したいわけではない、ということである。求めてもいない性行為描写は嫌悪感の原因にすらなる。だからどれだけエロくてもセックスは書かないのである。
(言うまでもないが、求めている読者にとっては性行為描写は必須であり、したがってフランス書院美少女文庫のようなしっかりと専門化したレーベルが存在するわけなのである)

今風のイラストがつけばライトノベルなのか

「イラストがついているかどうか」をライトノベルの定義とする人が少なからずいる。
 この論を推し進めると、従来の表紙の『人間失格』はライトノベルではないが、小畑健がカバーイラストをつけた『人間失格』はライトノベルである、という結論にまで到達できる。

 これは、かなり真実に近い

 萌え絵――と表記してしまうと男性キャラの絵が除外されてしまうので、もう少し広く「オタクコンテンツ」とでも表現すべきか、とにかくあの我々に受けが良さそうな絵というのは、「若い男性/女性の性的な麗しさ」を「恥じらうことなくフルスロットルでビジュアル化したもの」である。
 つまり、ライトノベルの要件である「青春期の憧れを恥じらうことなく原動力とする」のと方向性がまったく同じなのだ。

 人間は作品のライトノベル度を「どういうエネルギーによって自分がその作品に引きよせられたか」で判断するわけなので、テキスト由来だろうがイラスト由来だろうが、とにかくその種のエネルギーを感じ取ったのならライトノベルだと判定を下すのも当然のことだろう。

 ライトノベルが、物語の類型や扱う題材ではなく、読者を惹きつけるための原動力による分類である、ということがよくわかる例である。

ライトノベルはなぜ馬鹿にされるのか

 ライトノベルを馬鹿にする、揶揄する、忌避する、あるいは嫌悪する風潮はいまだに存在する。自作をライトノベルと呼ばれるのを嫌がる作家も少なくない。なぜ馬鹿にされるのだろうか?

 エロいから? 特にイラストが?

 たしかにそれは一因としてあるだろう。しかしエロとは無関係な文脈においてもライトノベルが罵倒語として用いられることは多々ある。たとえばいわゆる「厨二病設定」を嘲笑するときとか、それから最近ではなにかしら長いタイトルを揶揄するときとかにもライトノベルが蔑称として使われる。

 原因として共通するのは、ライトノベルの「恥じらわない」という特徴である。
 何度も書くが、ライトノベルは原動力として「青春期の憧れ」を活用する。ところで「青春期の憧れ」というものは、青臭く、幼く、恥ずかしいものである。麗しい異性を愛でたい! とにかく圧倒的な力で他者をねじ伏せて征服感に酔いしれたい! ……と、自分本位な欲求を剥き出しにしたものだから、とにかく恥ずかしい。嘲笑の対象になりやすいのは当然といえる。

 しかし、恥ずかしいというのは強烈な吸引力があることの裏返しでもある。我々は恥ずかしがらず、その憧れを最大限に活用する。エロいイラストもつける。恥ずかしい、と罵声を飛ばしてくる連中はどうせ劇場の外にいる無関係な人々である。我々は劇場まで足を運んできてくれた客のために舞台に立つ。客の前で恥ずかしがるようなやつに芸をする資格はない。

なぜこの定義を推奨するか

 以上、数例を解説したが、本稿の定義を用いれば、他にもたとえば「なぜ村上春樹や京極夏彦はライトノベルだと言う人がいるのか」、あるいは「なぜ『桐島』や『野ブタ。』は高校が舞台なのにライトノベルっぽくないのか」といった問題にも論理的に答えを出すことができる。

 本稿の定義がなによりも優れているのは、作者にとっても読者にとっても実際に役に立つという点である。

 ライトノベルを読みたがる人が要するになにを求めているのかを明らかにしたもので、書き手としてはなにに注力すればいいかがはっきりするし、読み手としてもニーズに対してのラベリングなので好みの作品を探す手助けとなる。またライトノベルだと思われたくない作者もなにを避ければライトノベルじゃないと判断されるのかがわかる。

最も大切なこと

 さあ、これで「ライトノベルの定義」に関しての議論は終わった。

 おそらくこんな記事をわざわざ読みに来るあなたは、この議論に生涯のほとんどを費やしてきた人だろう。あなたの生涯の目的は果たされてしまった。この先に続くのは無為で無目的で空虚な時間だ。

 その時間をなにに使う?

 もちろん、杉井光のライトノベルを読むのに使うのだ。

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追記

 誤解されている部分、足りなかった部分があるようなので追記しました

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