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いまも好きなことで有名になれないまま

好きなことが、そのまま仕事になる人になりたかった。

好きすぎると、変態やオタクを通り越して、周りが関心する。

そういう人をたくさん下から見上げては、ああならないと!と思ってきた。

でもわたしは「それが好きな人」止まりで、周りに引かれたこともない。

好きなことを偏愛して「女子」のカテゴリから大きく外れるのも怖かった。コンフォートゾーンを出た先で、周りに関心されるくらいの人になれる気がしなかったから。

だからと言って、「ザ・女子」になり切れているわけでもない。

爪を切ったらやすりをかけるのがめんどうでガタガタぎみだし、かわいい部屋着もその値段の高さから未だに買うのを渋っている。

何者かにカテゴライズされたいと夢見ながら、引かれないくらいの偏りすぎない人生を浅く生きることが、一番ほっとする。(「ザ・女子」になったら、わたしはきっと嫌味な感じのマウンティングを絶対にする。それが嫌で女子になり切れない)

誰かの真似をして情熱を燃やしたことはあっても、ゼロから「自分の好き」を形にしたことはない。

なぜだか、1つのものに時間を費やすことに罪悪感と焦燥感があって、これをしていて本当にあの人に近づけるのか? いや、あれもやっとかないと!と、意味のないところをぐるぐるとさまよってきた。

ただ純粋に、自分の中だけに生まれた「好き」を追求したかった。

焦ったり、苦しんだりするのは、わたしの中では本当の「好き」じゃない。理性が吹き飛ぶくらい夢中になれるものがそれなのだ。

わたしは自分の「好き」に自信がない。
また誰かの真似をしているようで。

もう何も誰も追いかけたくない。
誰かにならないと満たされない病を抱えているあいだは、わたしはいまにいない。

そこで、思いついたのが、自分が好きなことの呪縛から解放される呪文。

「好きなことなんて最初からなかった」

もしかするとここからが、ゼロから好きを形にするスタートなのかもしれないし、そうでもないかもしれない。

いろいろなことに絶望して、あきらめて、大人になっても、まだ何かが心の中で続いてる。




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