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特に予定ないけど「今年の夏に結婚する」って言ってみた

高校時代の友達から、LINEがきていた。

去年の6月に食事の約束をしていたが、わたしが仕事でいっぱいいっぱいだったために、7月にまた誘うと言って、そのままになっていた。

けれど、今回のLINEは、行けなかった食事のリベンジでないことは、既読を付けるまでもなく分かった。トーク一覧に表示された文頭が「私事ですが…」だったから。これはよくない知らせだと、30を前にした女の勘がそう言っていた。

その友達が少し前に結婚したことは、すでに知っていた。…とすると、次の知らせは自ずと想像が付く。結婚や出産をしたら、それほど会うことのない友達にも報告しなければならないのか。連絡をもらう度、毎回そんなことを思う。

…まぁ、わたしだけに報告がなくて、何かのタイミングで「あ、言ってなかったっけ?」的なパターンで知るのも悲しいけれど。だからたぶん、幸せ報告は決して自慢ではなく友達の気づかいだ、と思って心を鎮める。

1日くらい既読を付けずに寝かせておいてもよかったが、心の引っかかりは早めに片付けておいたほうがいい。

「私事ですが…」この続きを開いたら、生々しい女の生き方に打ちひしがれるのは言うまでもない。ジェットコースターの頂上から一気に下降する時みたいに、内臓が変な位置にあるような感覚のまま、心の準備をする。

…数日前に、元気な女の子を無事に出産したとのこと。

ついに出産しちまったかぁと思ったのが正直なところ。同時に、あの細い体でよくがんばったなぁと、恐れていた感情を通り越して、気がつけば感動していた。

こんなとき、なんて返信するのが正解なのか、いまだに分からない。「おめでとう」は必須だろうと思う。けれど、結婚はおろか出産もしたことのないわたしには、その状況にある女性に対して、それ以上の言葉かけはできなかった。

出産報告のおまけに、こちらの近況を気にしてくれている内容だったので、そんな幸せ絶頂の友達に何を報告することがあるのかとも思ったが、答えないわけにはいかない。

「プロポーズされた、けど、なかったことになった」と。

最近起こったヘビーな事柄を、長々と説明しようとしたが、そのあとの反応を想像したらめんどくさくなって、やめた。

「わたしは変わらずだよ」とだけ送る。

送ってから改めて思う。本当に、びっくりするくらい、わたしは何も変わっていない。恋愛に不器用なところも、高校の頃からの夢も、住んでいるところも。ぜんぶ友達が知っている頃のわたしのまま。

友達からの返信は早かった。さすが、幸せの絶頂にいる女は生きる速度が違う。

「彼とは続いてるの?」

うん、絶対にそこ聞かれると思った。で、2度目の「プロポーズされたけどなかったことになった」と報告するタイミングが回ってきたわけだが、これを打ち明けたとして、どうしてそうなったかまでを語るのは億劫で仕方ない。

既読スルーにしておこうと、一度、LINEを閉じた。ピリッと心が痛んで、ごめんね、とは一応思った。


***


少し、元カレの話をしよう。結婚の話が白紙になった、噂の彼の話を。

彼とは、3年前の夏、祖父の葬儀で再会した。

一桁の歳の頃には、遊ぶ機会もあったけれど、大人になるにつれ、県外に住んでいた彼は、こちらへ来ることはなくなっていった。もちろん、当時はまったく意識していなかったし、わたしの初恋の相手は、むしろ彼の兄のほうだった。

大学へ入学した頃、年下の彼女を連れた彼がこちらに遊びに来た話を、祖父から間接的に聞いた。当たり前のように彼女がいることに、ちょっとした焦燥感を覚えた。

その後、成人してからも、携帯の電話番号はもちろん、メールアドレスも、ちょうど流行りだしたLINEも、彼とつながっているものは1つもなかった。けれど、同い年の彼が順調に大人の男になっていることはそれとなく耳にしながら、わたしも拙い恋を繰り返していた。


実に、十数年ぶりの再会だった。

わたしが記憶している彼は、ヒゲなんて生える気配もない、色白で華奢な口数の少ない男の子だった。すっかりいい年になった彼は、あの頃の面影を目元に残しながらも、全然知らない大人の男になっていた。

高校を卒業してすぐに就職をした彼は、大学を経て社会人になったわたしよりも、すでに4年も多く働いている。だからだろうか、今まで出会った同い年の男たちと比べると、なんだか肩の力が抜けていて、いい感じにくたびれていた。

待合の和室で、テーブルに顔を伏せて寝ている彼の、隣に正座をする。

気配を察した彼は、むくりと顔を上げた。

長めの前髪の下で、眠そうな目がわたしを捉える。気だるい表情と、白いワイシャツに包まれた身体が、妙にエロかった。

「…あ、おはよ」

ダルいから近寄んな、そんなオーラとは打って変って、ふわふわと間の抜けた声だった。このタイミングで挨拶をするセンスに、思わず笑った。

目元の雰囲気に、どこかで見たことのあるような親しみを感じる。あの頃と変わらない眼差しに懐かしさを感じたせいかと思ったが、それとは少し違う。もっと身近で、昔からよく知っている、その目。

…あ、自分だ。

焦げ茶色の瞳、コシのある長いまつ毛、左右で微妙に非対称な末広がりの二重。どれを取っても、とてもよく似ていた。

それもそのはず。彼は、わたしの父の妹の息子。

つまり、いとこ。同じ遺伝子を受け継いでいた。

見つめれば見つめるほど、彼のすべてが昔から自分のものだったかのような、不思議な感覚があった。


***


彼とは、5回別れて、4回復縁をした。

4回目の復縁を果たした9ヶ月後、彼が東京へ転勤することになり、物件選びに付き合うことに。3件ほど候補を挙げ、不動産屋の運転で内見へ行った。

あれほど頑なに隠していた「いとこ」という関係を、物件から物件への移動中、ノリのいい不動産屋に、彼は笑いながら暴露していた。

それはちょうど渋滞していた陸橋の上。オレンジのネオンが彼の横顔の輪郭を縁どって、少し進むたびに車内の暗がりに浮かび上がらせては消えたりしていた。

「どこがいい?」

彼がそう聞いてきた。どの物件がよかったか、という問いかけ。

前にも、恵比寿ビールの美術館へ入る手前で高級住宅を見上げながら、「あそこに一緒に住もっか」と言われたことがあった。気になってその真意を聞いたら、「別にただ言っただけ」と。

なんて紛らわしい。

そのときから、結婚を連想させる彼からの発言には、もう期待しないでおこうと心に決めた。だから今回も一意見として聞かれているんだと、自分を戒める。

わたしは、家賃がいちばん高い物件を選んだ。高級志向とかそんなのではない。

丘の上にあった庭付きの物件もよかったが、駅までの道には街頭がポツポツとあるだけで、踊り場で火サス並の事件が起きそうな長いコンクリートの階段を通らないといけない。

遊びに来たときの帰り道ができるだけ寂しくないほうがいいなと思った。すると必然的に、街並みが賑やかな家賃の高い物件となった。


その夜、奇跡は起こった。

東京の片隅に建つスパ。カップルがちらほらと夕涼みをしているプールサイド。今日に至るまで結婚の話は無視か否定を貫いてきた彼が、「結婚を考えてる」と言った。間接照明で陰影の濃くなった顔は少し引きつっていて、今まで見たことがないくらい真剣だった。

待ちに待った彼からの申し出に、これまでの虚しい恋や寂しい夜の数々が一度に押し寄せたかと思えば、すごい勢いで通り過ぎていく。そして代わりに、彼と過ごした楽しい日々が、それらを上書きするように満ちていった。

彼は「離したくない」と言った。わたしも、これから先ずっと、楽しい時間を守り続けていきたいと思った。

ずっと欲しかった、愛されている証し。

この瞬間が、紛れもない2人のピークだった。


1週間後。

「寿退社したい」

わたしのこの一言が引き金となり、結婚はおろか、付き合っていくことさえもできなくなった。

これが5回目の別れ。

わたしは、もし今の職場を辞めるなら、プラスの理由で去りたかった。まぁ、辞めたいと思っていることに違いはないが、忙しさの中でも笑っていることが多い職場なこともあって、実際に退職願いを出すには、結婚するくらいの大きな出来事以外にはない、という意味だった。

いつかフリーライターで食べていけるようになりたい、という夢も話ていたから、彼は、人に養ってもらいながらやりたいことをやるための寿退社、だと思ったのだろう。

彼がそういうのを嫌うのは、これまでのケンカで知っていた。

「寿退社したいって聞いて、そういう意味で言ったわけじゃないかもしれないけど、支えていけるか不安になった」と、彼は電話越しに言った。

仕事のことも含め、どんなふうに折り合いを付けながら2人で生活して行こうか、という話し合いがしたかったが、彼は1人で決断を下した。

わたしの寿退社に込められた意味を、彼がちゃんと理解しているかどうかはよく分からなかった。

説明しようかと口を開きかけたが、今は何を言っても「結婚をしたいがための言い訳」に捉えられそうで言えなかった。そこは少し後悔している。

彼の結婚に対する覚悟も、結婚を口にした彼の思いを台無しにしたわたしも、きっとどちらも甘かった。振り返れば、彼は男性版のマリッジブルーだったんじゃないかとも思う。それに追い打ちをかけたのが、わたし。

彼だけを悪者にして、「最低!」とか言えちゃう女だったら何かが違ったのかもしれない。

彼はわたしになんて言って欲しかったんだろう。

なんて言ったら、別れる一択の選択肢を、変えることができたんだろう。

彼の希望をわたしが受け入れられるかどうかは、話てくれないことには分からない。それなのに彼は、いつだって1人で決断してしまう。加えて、わたしはいつも自分の本音がどこにあるのか分からず、ふわふわした話し合いしかできなかった。

何度も別れては復縁を繰り返してきたのは、2人でいるのが楽しすぎて、ちょっとの違和感ならスルーできてしまったから。もっと心の中を見せればよかった。

 毎回分かり合える可能性を残したまま、離れては泣いた。

もしまた彼と付き合えたとしたら、ここだけは気をつけたい。

彼とは、またどこかで縁があるんじゃないかと思っている。


***


ラーメンと、温泉と、YouTube。彼とわたしの思い出にとって、切り離せないものたち。別れた後も何度か会ったが、先の見えなくなったわたしたちをつないでいたのも、やっぱりそれらだった。

ホワイトデーに会ったあと「もう会わないほうがいいね」と彼。

「恋人になる気もないのに、セックスする人なんだね。目が覚めました。これでスッキリ。さよなら!」

最後は、ちょっと痛い女になってもいいと、自分に許していた。

自分の気持ちしか見えていない、勢いでさよならとか言っちゃうような、そんな自由な女をやってみたかった。これが最後の彼への甘え。かわいさなんて、まったく伝わっていないだろうけど。


波乱万丈な数ヶ月を越えて、さぞメンタルやられていそうと思うだろうが、まばたきもそっちのけで、驚きの無表情を保ったまま、こうして淡々と文章を紡いでいる。

なぜかといえば、わたしは今のところ結婚できる気しかしていない。卑屈にならず、幸せになることを諦めないことが、夢を叶える近道だと思うから。

少し前に、自分の夢を詰め込んだライフプランをノートに書き出してみた。「5月の誕生日にプロポーズ、その年の8月頃には結婚」と、大胆にもそう願った。

マツコデラックスも下積み時代、売れる自信しかなかったらしい。だから、このどこからともなく湧き上がってくるようなワクワク感はきっと正しい。

結婚相手は彼かもしれないし、彼じゃないかもしれない。

既読スルーしていた友達のLINEへ、決意表明を込めて返信した。

「わたし、今年の夏に結婚する」

これで叶わなければただのほら吹きだけれど、希望を捨てず、また毎日を丁寧に楽しく生きていこうと思う。

まずは誕生日を目指して。












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