彼の住む街
――ここは拓海君の住んでいる街だ。
私は次の停車駅を告げるアナウンスを聞きながら、窓の外を流れる風景を特別なものとして受け止めた。大学進学のために地方から上京したばかりの私にとっては、目にするものすべてが新鮮だった。
だが、彼が住む街を前にしてより一層胸が高鳴っていく。
拓海君は小学六年生のときに転校していった男の子だ。微かに覚えている引っ越し先の名前が、駅名看板として現実のものになったとき、思わずホームに降り立っていた。
駅前には見慣れたチェーン店やコンビニが並んでいた。想像よりも無個性な街だったが、がっかりはしない。
すれ違う若い男性の中に、彼がいるかもしれないのだから。
――拓海君は、どんな男の子だったっけ。
野球クラブに所属していた彼は、髪が短く肌は日に焼けていた。年ごろとなった今は、流石にもっとオシャレな髪形だろうか。大きな黒い瞳は相変わらずに違いない。笑うと白い八重歯が目立つのも、きっと同じままだろう。想像を巡らすだけで、ドキドキしてしまう。
拓海君とは付き合っていたわけでも、良く話す仲というわけでもなかった。ただ、放課後の図書室でひとり本を読むとき、校庭でキャッチボールをしている彼を見ていただけだ。
ただ、夏の日に一度だけ私の元に白球が飛んできたことがあった。そのボールは緩いカーブを描きながら、図書室の開け放たれた窓より私の手元に届いたのだ。
「ナイスキャッチ!」
拓海君が、ほっとした笑顔で声を掛ける。私は何も言えないまま、彼に向かってボールを投げた。
たったそれだけ。
――日が暮れる前に駅に戻ろう。
そう決めたのに名残惜しい。夕闇が溶けたこの街の空気を、私は大きく吸い込んだ。
シナリオライターの花見田ひかるです。主に自作小説を綴ります。サポートしていただけると嬉しいです!