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来歴

ども、洸(Hikaru)です。
取材を受ける際に 来歴的なことを よく問われ 説明を省略したく、またnoteへ投稿を希望される方が多いために、下記 掲載いたします。
大まかな家庭環境と、性同一性障害の当事者としての遍歴を確認いただけます。

正直、自分で書くのは恥ずかしい。

大滝 洸(おおたき ひかる)

2024年5月22日
一切の手術無しで戸籍上の性別変更申立を行い
戸籍上の性別を「女」→「男」に変更しました。
岩手県での許可事例として1例目となりました。

普段は会社員をしていますが
一方で noteやX(@hikaru_acht)にて「16歳の自分へ」をテーマに 当時の自分が欲しかった情報を中心に投稿も行っています。



1997年5月22日 埼玉県さいたま市 浦和区において、一卵性双生児である 2人姉妹の長女として生まれる。出生時の氏名は「野地 愛里(のぢ あいり)」。

父方の祖母が絵画教室の先生をしており、4歳の頃から両親が離婚してしばらく13歳頃まで画を習っていた。将来は画家になるものと思っていた。

名前を自分の名と思えず 名乗ることが恥ずかしいあまり、赤面してしまい、会話も ままならない子どもだった。

両親が共働きであったこともあり、小学校在学中は学童保育に通う。

12歳の誕生日の前日に両親が離婚する。
父方の祖母と母との間に亀裂が生じ、画を習うことができなくなり師を失ったため、画家への道を諦める。
中学校入学後、自覚せぬまま 服装や髪型が段々と男性化していき、よく指をさされて笑われたり「おかしな女子がいる」と言われたりしたが、何が おかしいのか理解できなかった。

14歳の頃、母が会社経営者である義理の父と再婚し「大滝 愛里」になる。
再婚して なお別居状態であったため、義理の父と同居することは一度も無かった。
別居の都合で、週3回 母が自宅に帰ってくる生活となる。代わりに、お金に困ることは なくなった。

家庭の事情や一卵性双生児であること、男装状態であり 女子らしくしていないこと等を理由に、中学時代の大半で いじめに遭い、一時的に不登校となるが、Twitter(現 : X)をするために 自宅PCに張り付いていたところ、母に「いい加減にしろ」とPCのコードを ペンチで切られた辺りで、謎に「見てろよ」と切り替えて 学業に専念するようになる。

成長しても 手の甲に血管が浮いて男性的にならないことが悩みで、よく教室で一人手をグーパーグーパーして 血管が浮く様子を眺めていた。
また顔が女子っぽいのが嫌で、次第に マスクを付けて過ごすようになる。

淑徳与野高校(女子校)進学後「明らかに場違いなところに来てしまった」と16歳のとき 性別違和を明確に感じる。当時 ネットやSNS上には暗い言葉が溢れており、誰にも相談できないことも相まって、酷く絶望した。
17歳から家族に内緒で 1年程度 さいたま市内のジェンダークリニック(現在は閉業)へ通院する。通院にかかる費用は 貯めていたお年玉や お小遣いを充てた。
罪悪感を持つようになったため、学内ではトイレで着替えをするようになる。
この頃から温泉やプールの入浴を控えるようになる。

この頃 夢を描き、取り急ぎ「性同一性障害の当事者にとってハードルが高そう」という理由で「(男性)営業マンになること」を目標にする。

18歳の頃「性同一性障害(性別違和)」の診断を受ける。
女子校在学中に 男性ホルモン治療許可や、冬期のみ着用可能であった スラックスの年中着用許可を得る。
女子高校生としての待遇は変わらないものの、できる限り 男性に近い形で学生生活を送れるよう配慮を受ける。

男性ホルモン治療開始後まもなく、副作用により 全身に真っ赤なニキビが出た他に、ひどい抑うつで寝たきりになる等 学業に支障が出たため、一時治療を中断した。

國學院大學 法学部 法律学科へ進学する。
法学部を選択したのは ゼミや卒業論文が無く、営業マンになるための積み上げだけに打ち込むことができ、また 就労にあたって 最低限 四大卒の学位を得られると考えたため。

大学入学まもなく、大人数で受ける講義が中心であった大学生活においては、名乗る必要がなく男性として認識されるようになる。学内で知り合いを一切作らず、名乗る状況を極力避けた。

他大学のセクシュアルマイノリティサークルや交流会等に複数入るが、馴染めず 行かなくなる。
いわゆる🌈については、商業目的感が否めず辟易してしまい、関心を持つことはなかった。

営業マンに近い形で働くことができないものかと考え、メンズスーツで働く塾講師のバイトを始める。改名していなかったものの、アルバイト先のオーナーの懇意で通称名利用が認められ、男性として採用される。
名札以外の通称名利用が認められず、本名と通称名がアベコベの状況で、度々 生徒が混乱した。

20歳のとき改名し「大滝 洸」になる。
身体が女性であることを受け入れたく あえて中性的な名を選ぶ。この他、宇多田ヒカルのファンだったことから「ヒカル」の音を選び、「自分の言葉が 人の心の深層にじんわり響くことがありますように。」という思いから「洸」を選択した。

この頃から 赤面の症状が緩和され、会話することができるようになる。
この頃までに、経皮吸収型の男性ホルモンジェルの貼付をするようになる。筋注による 急激なホルモン治療の副作用には耐えられないと考えたため。

男性に見えるように、生活ではスーツだけで過ごし、大学生活4年間で300万程度スーツに費やし、アルバイトや就職活動に専念するため、日をまたぐ旅行等には一度も行かなかった。
男性に見える自信がないが、女子トイレに入ると 驚かれるために、大学4年間は 多目的トイレ利用のみで過ごす。

就職活動においては、「性同一性障害当事者にとってハードルが高そう」という理由で、女性進出率が極めて低いと見られる建設業 • 不動産業の営業職のみ志望する。
学業に注力しない代わりに、当時 主流であったインターンシップについて40社 参加し、そのときの経験をネタにした。
面接を受けた全ての企業に「(営業職、または全職種での)採用実績がない」と言われ「戸籍が女性である以上、異性装と区別がつかないから 性同一性障害との違いを説明しろ」等 失礼な質問を度々受けた。
15社中 3社内定する(当時の求人倍率は1.9倍)。
内訳は メーカー1社と、商社2社。何故か非上場企業からは内定をもらえなかった。

内定先から しれっと教材が自宅に送りつけられたため、なんとなく圧を感じ 就職前に 宅地建物取引士の資格取得をする。

就職に際して、東京都のジェンダークリニックを受診し、男性ホルモン注射へ移行する。

朝食を家族3人で摂ったのは 高校入学以後7年間で1度だけとなり、上京後は 家族と著しく疎遠となる。

性同一性障害当事者含めた 性的マイノリティの方との交流の意義を見出だせなくなり、パッタリ交流を止め、SNS含めて 完全にマジョリティに紛れて生活するようになる。

2020年、22歳のとき 不動産建設業の企業に法人営業職で就職する。「営業職で採用した前例が無いから」という理由で 東京都の本社配属となる。この頃 義理の父とは絶縁状態となる。

還暦を迎える元上司から「最近再婚したんだが、後継になってもらえないだろうか。」と養子縁組の提案を受ける。

2022年4月、24歳のとき 千葉県船橋市へ転勤する。
この頃 実の母と絶縁状態となる。職場内で悪質なアウティング被害に遭う。
2023年1月、25歳のとき 千葉県松戸市へ転勤する。

社内研修では、研修参加者リストから性別欄を削除してもらったり、泊まりがけの研修では 風呂の為だけに個室部屋を用意されるなど、配慮を受ける。

同年10月、26歳のとき 岩手県一関市へ転勤する。
同年10月25日、戸籍上の性別変更の要件であった「生殖不能要件」の違憲判決を受け、同年11月8日に「結婚や子育てについて、他の人と同じように考えたい」という理由で 盛岡家庭裁判所一関支部にて審判申立を行う。

同年12月頃より、申立にあたって情報収集するため、SNS上で性同一性障害の当事者をフォローするようになり、5年ぶりに トランス界隈()に戻ることとなる。

2024年1月、実の父より絶縁宣告を受ける。
また「審理を尽くせない」として 盛岡家庭裁判所にて合議制審判に変更される。
これを受けて同年1月8日より、17歳の頃 描いた夢実現のため 1つ目標にしていた「16歳の自分へ」投稿を始める。当初は審判長期化による 暇つぶし程度の気持ちから。
同年2月頃、新聞社の目に留まり、同年5月2日以降メディア掲載が行われるようになる。

同年4月に昇進する。

同年5月22日、27歳の誕生日に「一切の手術無き戸籍上の性別変更」を実現し、岩手県においては1例目となる。

(適宜 加筆予定)

主な掲載記事、 動画など

参照したい方に向けて、というより 単に私の備忘録です。
主なもののみ掲載しており、全ては載せていません。

★「16歳の自分」に感謝 人生変えた司法判断、性別変更へSNS発信(2024年5月2日 朝日新聞社)

当時の紙面
(有料記事につき 本文はモザイク)

★手術なしの性別変更を認める 会社員「選択肢あると知ってほしい」(2024年5月23日 朝日新聞社)

当時の紙面

★手術なしで戸籍上の性別変更を認める 盛岡家庭裁判所(2024年5月23日 岩手日報社)

当時の紙面

★戸籍上の性別変更申し立てた家事審判 変更認める 盛岡家裁(2024年5月23日 NHK)

★オペ無し手術変更。女 → 男へ申立!戸籍変更の行くへは?(YouTube FtMラジオ りょう)

★トランスジェンダーHikaru。胸オペなし内摘なし、男性戸籍変更申請の行方。今まで権利がなかったこと、それは…。FTMラジオりょう は同性婚でも良かった、その理由は…。

(適宜 加筆予定)

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