見出し画像

性同一性障害 女子高校在学中に男性ホルモン治療を認めてくれた母校の話

ども、Hikaruです。
戸籍上の性別変更審判が 遅滞に遅滞 を重ね、すると体調を崩すもので noteに手をつけることをやめていました。
ここにきて 裁判所での面談日も決まり、従って体調も上向いてきましたため、今回は短いnoteを書くことと いたしました。

note休止中は X(旧 : twitter)で @hikaru_acht のアカウントで、短文のポストにて 投稿を行っていました。

今回は ポストで扱った 話題について、noteで取り上げて、細かな背景やエピソードを お話しする という、私の中では初めての取り組みです。

私のnoteを初めて お読みになる方へ

私は女性で生まれましたが、生活実態としては 男性として生活しており、仕事では 営業マンをしている 性同一性障害の当事者です。
2023年10月25日、戸籍上の性別変更にあたって 生殖腺を除去することを求める要件(いわゆる 生殖不能要件)が違憲となり、現在(2024年4月27日)においては、生殖腺の除去(いわゆる性別適合手術)を要さずとも 女→男 に戸籍上の性別を変更することを許可する事例が 少しずつ散見されるようになりました。
私は現在 生殖腺の他に胸 の切除手術などの一切の手術を受けていない状況で、戸籍上の性別を 女から男へ変えようと 裁判所へ申立しています。

上記の事情で性同一性障害が 社会的な注目を集める一方で、偏見というよりも 当事者の実態が そもそも知られていない故に、心無い言葉が飛び交う状況にあると私は感じています。

どうしたら無知•無理解は解消されるであろうか。性同一性障害の当事者の サンプル1として、私の話をすることで 少しでも解消に向かえば良いと考えて note投稿をしています。

現在の私のビジュアルが分からない方への参考写真

繰り返しますが、性同一性障害の方には色々な方がいて、私はそのうちの1例で 一風変わったところがあります。その点 ご理解の上、お読みいただけたら幸いです。

女子高校時代に 男性ホルモン治療を許可された話


上記のポストをしたところ、反響が大きく誠に驚きました。
このポストをしたキッカケには 「女子校にて性自認が男性だ と訴えた場合に在学を続けられるのか」という旨のアンケート結果を報道する記事を読んだことにあります。

このアンケートについても私は下記の通りポストしています。

私は女子高校へ入学後、性別違和を明確に自覚して 高校3年生の時に 性同一性障害の診断書を取得し 通年でのスラックス着用を認めることによる受け入れどころか、男性ホルモン治療の許可までいただいた 経験があります。

それは既に9年ほど前(2015年)であるのに、2024年に至ってもなお、生徒がカミングアウトした場合の対応について、全く知られていない どころか、さも そんな事例が存在しないであろうと報道されていることに、ショックを受けました。

私の母校

淑徳与野高等学校(埼玉県の私立女子校)
浄土宗の仏教校。校舎が円いお弁当箱のような形状なのは
「四角いと角に邪気が溜まるから」だそう

私が入学した当初 校舎は別の場所にありましたが、2015年に新校舎が誕生、私は新校舎の最初の卒業生になりました。

どう見てもお嬢様校の風体で、確かに 振り返ると お嬢様(中高一貫組)と 庶民の中のお金持ち(高校入学組)で構成されていました。私が在籍した頃は高等部の3学年で 総計1,200人の学生がいました。

こちらは旧校舎での写真ですが
当時私は弓道部に所属していました

1年かけて 性同一性障害の診断書を取得
しかし治療はできないものと思った

なぜ女子高校に入学したのか、と お読みの方はツッコミたいところかと思いますが、話が長くなってしまいますので別の機会に。

高校2年生のとき、ジェンダークリニック(性同一性障害の診療に詳しいクリニック)に 私はひっそりと通い始め、高校3年生になって間も無く、診断書を取得しました。

ホルモン治療は18歳以上であれば 親の同意なく始めることができ、5月時点で私は18歳になりました。
しかし同意なく行えるとは言え、当然ながら 私は高校に在学しているし、さらに女子校であるから、治療を開始するなど 非現実的なことを 流石の私も考えることはなく、大学入学後にでも と治療を諦めていました。

母親に連れられて高校に相談に行き
治療許可を得る

ひっそりと診断書を取得した私は、親の説得も非常に難儀しましたが、こちらも詳細は割愛。
何を思ったか 母は 高校へ ホルモン治療の許可を得に説得を始めました。

1度目は担任と話をし、冒頭のXでのポストにある通り 担任教諭も 協力的であったため、しばらくして 学年主任(学級をまとめる担当の教諭)や 偉い人数人交えて、会議室で 面談をしました。

学年主任「校内で検討致しました結果、治療の許可をすることいたしました。どのような影響があるか、私達も分からないことが沢山ありますが、できる限り 支えられればと思います。」

「冬のみ着用を認めているスラックスですが、通年での着用を認めましょう。」

担任「私は教師人生30年ですが、このような事情によるスラックス着用や治療許可を出した事例は 初めての経験です。とても誇らしく思います。」

スラックスの通年 着用許可は、母も私も話題にも出さなかったことで、高校側の懇意によるものでした。

「ありがとうございます。」
と私は 頭を下げたら、感謝や嬉しさよりも、今までの辛さが急に よみがえってきて、急に力が抜けたようにホッとして、涙が出てしまいました。

在学中に受けた配慮

①個別対応に留め、他の学生だけでなく 他の教諭達にへも 対応の共有は 極力行わなかった
②スラックスの着用を認めた
③校歌斉唱を無理強いしなかった

私自身は ホルモン治療許可を受けられれば、それによる責任(イジメなど)を 全て負うつもりでいたため、配慮という配慮を 高校に特段求めませんでしたが、高校側としては上記の対応をしてくださり、それらにとても救われた と今振り返って感じます。

①について 極力アウティングを行わないことが最も大事

私の性格は、このnoteをお読みの方も 感じていると思いますが、この通り何も隠す気がありません笑

私がそのような性格であるから、①の配慮は不要だったかもしれませんが、高校は私以上に、私のプライバシーにかかることについて慎重に扱ってくださいました。

当然 全員が理解者ではないし、過度なアウティングは かえって本人が 心無い言葉をかけられるなど被害を生むものであるから、共有は最低限に留めることが望まれます。

また女子校で 男子生徒1名が誕生する()ことは 非現実的であるし、殊更に目立ってしまうため、あくまで女子学生であるけれども 生活や治療にできる限り支障がないよう、配慮いただけました。

②について スラックス誕生の逸話 とある卒業生の存在

不思議なことに、当時からスラックスは母校に存在していましたが、この背景には とある卒業生の存在があったと 別の教諭から お話しされました。

菅野 美穂さん

母校の卒業生で著名な方は菅野 美穂さんで、新校舎ができた2015年には ご本人がいらして 私はお話を聞く機会を得た思い出があります。

当時 高校在学中ながら 既に芸能活動をしていたそうで、学内で怪我をして脚を傷つけてはいけない、という高校側の配慮から スラックスが生まれたと言われています。

実際に、スラックスの着用は 性同一性障害を事情とする私だけでなく、身体障害により脚を保護する必要があったり、冷え性からスカートを望んでいない生徒が着用しており、1クラスに1名いるか程度に 履いている学生がいました。
図らずも、卒業生の存在に 私は救われました。

③について 声変わりへの配慮

私はこの点 非常に驚きましたが、私の事情について最低限の教諭内で共有が行われた中で、担任教諭は 音楽教諭に 配慮するよう持ちかけたようです。

宗教校ならではかと 思いますが、仏教歌が あまりにも多すぎて 全曲は覚えられないために、行事で 誰も歌えないと困るためか、仏教歌を歌う「聖歌委員」が 存在し、私は あまりっこの委員を選択していたとはいえ、この委員会に所属していたため、担任教諭が心配して先回りして 音楽教諭に相談していました。

男性ホルミン治療の影響で、私の声は あっという間に下がり、とても女子生徒とは同じ高さ、裏声では歌えなくなりました。

私「風邪を引いたようで歌えず。。(適当)」

音楽教諭「(ハッ) い、いいんだよ!歌わなくて大丈夫!!」

とても ぎこちない会話をしたものです。

あたたかい 理解者達に恵まれて
大学からは男性として生活する土台ができた

同級生理解者が多く、私が声変わりして 途中しわがれた声になっていても、そっと見守り、全く知らなかったでも無い限り それを指摘する方はいませんでした。ただ普通に在校生として授業を受けて、部活をして、自習をして、帰る。

離れていった同級生もいますが、誰も攻撃せず、理解できないなら そっと離れる、大人な対応ができる学生ばかりでした。

私としては 望んだ通りの高校生活を行うことができ、大学からは 殆ど男子学生として生活ができる程度の準備ができました。

治療を開始するまで非常に内向的な性格でしたが、多くの人の優しさに触れて、人を信じる土台ができたからこそ、今があります。
本当に感謝しています。

最後に

私は女子高校在学中に このような配慮を受けました。
文字に起こせばちっぽけな配慮かもしれませんが、実際にするには とても注意が必要であるし、また 本人にとっては 将来の進学や就労にあたって非常に大切な基盤の形成に関わることであるから、このような配慮を行うことができる教育機関が少しずつ増えていったら良いと考えています。

2024年2月頃。
左から順に現代文教諭、担任、同級生、私
会食風景

私は現在でも高校時代の担任やお世話になった教諭とメール文通をしたり たまに他の同級生と一緒に食事をしたりしています。戸籍上の性別変更を為して、良い報告ができるよう努めたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?