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"死んでもいい"と思う時はどんな時か

こんにちは。

さて、皆さんの中で「もう別に死んでもいいや」
と思う時ってあるでしょうか。
私は毎日そう考えていたし、大きな震災の時は、
「どうして自分のように生きたくもない人間が生きていて、
これから先もっと生きていたかっただろう人間がこんなに亡くなったんだ」
なんて考えたりもしました。
「自分の命で誰かひとりを助けられるなら喜んで差し出すのになぁ」
という所まで思っていました。

で、私が言いたいのはこういう悲観的な感情があるんです、
というわけではなく、「何故死にたいと思ってしまうのか」という点です。

私がこの状態から変わった理由には以下があげられると思う。

・生きる目的が出来た
・精神的にも環境的にも自立をした
・引きこもり生活がなくなった
・人と話す機会が多くなった
・職の充実


恐らくこんなところだろうと思う。
結論から言うと「人は何もないと思うと生きる意味を失う」と考えました。
何もないのだから何でもいいだろう、別にやらなくてもいいだろう、
というようにドンドン「何もしない」ような所へと流れていく。

とはいえ、だからといって「生きる目的を見つけろ」というのは無理。
だって何もしたくないし何もしなくてもいいならしないんだから。
そもそも「生きる目的を見つけられるならこうはならない」のだ。
なぜならそれだけの気力があるから。

上記5項目のうち、「生きる目的が出来た」という点については、
「ほっとけばそのうち見つかる」という所なので何も言わない。
生きる目的というのは自らが探すんじゃなくて、
そのうちそれが生きる目的になるように変わっていくもんだと思う。
だから無理に見つけようとしなくてもいい。ほっとけばいい。

というわけで…二つ目からお話したいと思う。

精神的にも環境的にも自立した、という所なんだけど、
私は30前半までずーーーーっと実家暮らしで、
仕事もいったりやめたりを繰り返していたので、
結果的に引きこもり生活になってしまうし、仕事も適当にできればいいので、派遣で簡単な仕事をめぐる毎日、そんな感じ。

家にいても特にやる事もないし、仕事も別にこれといって張り切ってやってたわけでもない。要するに何も考えていない状態で、実家にいた。

もうこれみるだけで「あ、精神的に悪そう」と思える。
実際に悪いのだ。寧ろこの項目が一番影響力があるかもしれない。

私は大阪住まいだが、東京に行きたいと考えていたんだけれど、
丁度その頃、ある派遣会社の東京支援プロジェクトみたいなものに参加した。
ふーん、面白そうだな、と思って参加したんだけど、
いまにして思えば行動力が一瞬だけあったな、って思う。この一瞬が大事。

私はこの支援プログラムで東京へ引っ越す事になった。
勿論仕事は東京で確保されるので、安心して東京へ引っ越せる。
「プログラムを受ける→仕事を決める→住むところを決める→引っ越し」
という手順を踏むので、引っ越してから仕事を探す必要がない。
そういう企画。

私は一人暮らしは初めてだったけれど、基本的にこの派遣会社から提供されるのは「シェアハウス」のみだった。
私はシェアハウスも初めてだったしよくわからなかったので結構調べた。
そして東京に2回程いって内見をして、「一番綺麗で大きい」所を選んだ。
大浴場があってすげーなーって思ったりとか、日本人多いってきいたし、
みたいなそれくらいのノリで決めた。
一人暮らしに必要な物とか、近場には何があるといいとか、
そんな事はもう分からないので無視した。結果的にそれでいいと思った。
「ある程度調べて引越し先を決める」のは重要な事だけれど、
一人暮らしした事ない人間はそんなところ考えた所で実感も何もないので、
「実際に引っ越してから今度引っ越すときは此処に気を付けよう」
と思うだけで充分である。特に私のように何もやる気なかった人間には、
そもそもここまで調べる気力はない。

そうしてシェアハウスに住む事になった。結果これが良かったと思う。
シェアハウスの利点は「一人でいたい時は部屋にこもればよくて、誰かと話したい時はラウンジに行けば誰かがいる」という所。
また、私は料理とか一切してこなかった人間だったが、
キッチンやトイレは共用スペースにあるので、必然的に、
皆が居る所で料理をする事になる。
私は料理が出来ないので正直キッチン使うのも恥ずかしかったが、
周りにいる自分より10も年下の男の子がさも当たり前のように、
料理を作っている所を見て、そこに刺激された。
「こんな若い子がやっているんだ、私もやらなきゃな」という、
そんな気持ちが芽生えたのである。

「気力あるじゃん…」と思うかもしれないが、
引越し、って凄く環境が変わって、心にも変化が生まれる。
実家の自分の部屋にずーっといたときは何とも思わなかったが、
引越して綺麗な部屋に住んでみると「実家のあの部屋は全ての気力を吸われる」ような印象を初めて受けた。

やっぱり綺麗な場所、というのは非常に重要である、と思わされた。
そしてシェアハウスの人間はとても積極的である。
こっちが何も声をかけなくても向こうから声をかけてくれるので、
すぐに友達というか、話し相手が出来る。
そして料理が出来ない事とか話しても色々教えてくれる。
レシピ本をくれたりとか、一緒に手伝ってくれたりとか、
作った物を頂いたりとか、そういう交流が本当に当たり前のように行われている。

そうした環境にずっといると自然と気持ちも前向きになっていくし、
辛い事があっても、ラウンジで誰かに話す事ですっきりしたり、
なんか色々とこう、エネルギーを貰えるような感じが凄くあった。

そうして私は一人で出来る事には限界がある事を知り、
周りに頼る事の重要性を感じた。

結果的に仕事も楽しくなったし、日々の生活は充実した。
元々メンヘラ気質でネット恋愛では色々と思い出したくない事が多い。
でもそういうのがぱったりとなくなった。

引きこもり生活がなくなった・人と話す機会が増えた
これはシェアハウスで直ったこと。
引きこもってるより喋ってる方が楽しい、とか、
誰かと喋りたいな~誰かいるかな~みたいになったりとか、
たまたまご飯を作りに行ったら仲のいい子がいた、とか、
そういう事が多くなる。自然と人と話す機会が増えて、
引きこもる事が少なくなっていった。結果これはとても良かった。

一人暮らしという全てを一人でしなければならない環境で、
本当にしんどいと思っていたけれど、実家にいた時より充実していた。

なんかシェアハウスがすげーっていう話になってきたけれど、
私が言いたいのは環境を大きく変える事で精神的な変化もあるって事。

そこが充実すると仕事に対してもいろいろと求めるようになってきた。
こういう仕事をやってみたい、こういう仕事が出来れば将来的にこうなれる、とか、色々だ。

気付けばもう死にたいとか思わなくなっていた。
死ぬときは死ぬ、だから取り敢えず今を生きるか位になった。
生きる事に充実したというとそういうわけではないんだけど、
死にたいとか考える前にただ目の前の事が楽しかったり、
一人で色々とやっていかなきゃいけない現実が忙しくて考える暇がない、
とかそういう感じになっていったのが正しいかもしれない。

人に相談する、人と話す、セルフケアが大事だとよく言われるけれど、
本当にその通りなんだろうな、と私はこの一人暮らしを通じて感じた。
普通の一人暮らしだと多分ここまで変わる事は出来なかったと思う。
いまでこそ彼女が出来て同棲をしてるので大阪に戻ってきてはいるが、
こういう生活をもっとしてみたいという憧れのようなものは、
未だにずっと持ち続けている。

仮にだけど今の人と別れるような事があったら、
私はまたシェアハウスに戻るんだろうな、とそう思う。

人に相談する事もそうだけど、仲が良すぎる人はあまりよくないのかもしれない。結構言いづらかったりする。
ある程度仲が良いんだけどそこまで深すぎる感じでもないような、
そういう人が大勢いる環境の方が言いやすいかもしれない。


死にたいと考えた時、どう思うかも重要。
「こんな事考えちゃダメだ…」と思うよりも、
「ああ、こんな事考えちゃう位自分は疲れている・まいってるんだな」と思う方がずっといい。
こんな事考えちゃダメっていうのは考えなくてもわかる事なんだから。
そんな事より何故そういう風に考えてしまうのか、
と考えた方がずっといい。
こうだから、そうなのはなぜか、こうだからだよ、と1個1個考えていくと、
じゃあこうすればいいのかも、となってきたりもするし、
原因になっている大きな部分が見つかったりもする。

頭ごなしに自分を否定するのもやめていけばいい。
自分は自分だ。卑屈に考える自分も自分だけど、それは自分からのサインだと思えばいい。こういう性格だから、ってまとめれば簡単だけど、
それだとそこで終わっちゃうから。
「なんでそんな風に考えるの!?」って言われた経験、皆あると思う。
そういわれた時はチャンスだと思う。「なんでだろう」と思えれば勝ち。

書いてるうちにどんどん脱線していったけど、
まぁ要するに「死にたいと思っていても何か一つ変えればそこからどんどん変わっていくから心配しなくてもいいんだよ」って感じです。
そんな気力ねーよって言うんであれば「別に死にたいって思ってるわけで何もやる事もないしなんとなく何か誘われたしやるか」位のマイナス気分で引き受けたりすればいいんですよ。
しにてぇし散歩でもすっか、とかそんな些細な事でも何でもいいので。
少しずつ環境を変える、っていうのは効果的だと思う。

死にたいなら何でも出来る、みたいなそういう気分。
これは昔どこかで読んだ話ですけど、
自殺志願者が自殺しないようにする為にやっているのが、
「いつでも死ねるように鞄の中に大量の薬を入れて持ち歩く」っていうのがあって、
要するに「何か今すぐ死にたいような事があってもいつでもその場で死ねるから何でも出来る」みたいなそういう感じになるらしいです。
これも一つの環境の変化というか、そういう感じですよね。
流石にこれは荒療治という気はしますけれど。

そんな感じでやっていくのもアリだと思うし、何でもいいんだと思う。
自分が変われるんだったらなんでも。今が一番最底辺だと思えば、
これから先はもう上がるしかないんだし何でもやればいい。

死にたいって思うのはそれはそれでいいと思う。
ただ、そう思う時はどんな時で自分がどんな状態にあるかを、
自分自身がしっかりと把握していないとダメ。

この数年を通して思うのは、自分が自分を一番よく知ってる、
っていうのが実はそれほどでもなかったという事です。
私のような性格の人間は「自分のことを知ろうとしない」事が多いです。
自分が嫌いだから見ようともせずに、私はこうだから、と決めつける。

そんな風に思います。
自分を知ってあげて!とまで言うつもりはないんですけど、
何かあった時だけでもいいんで、「なぜそう思うのか・なぜこうしたのか」
それだけ考えてみてはどうでしょうか。

死にたいと思う自分から得られる事だって沢山あります。
前向きで明るくて元気な状態から得られる事が全てではないですし、必ずしもいい事ばっかり得られるわけではないですから。

うーん、まとめられない記事。書いてる間に「これもいいたいあれもいいたい」みたいになるとこういう記事になりますね…。

そんな感じ。

因みに住んでいたシェアハウスはここ。お勧めなので、
この記事見てひとり暮らし考えるなら参考にしてみてはいかがでしょうか。


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