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物語が始まる前の物語①

私は21で妊娠。22歳で出産した―――。

自然とこうなる運命だなと思ってたので特別、驚きはしなかった。1人目は女の子。妊婦特有の貧血で倒れたり、胃が圧迫されて思うようにご飯が食べれなかったり、息切れが多くなったり…。足が浮腫んだり。それが影響してか分からない。これ以上お腹の中にいても私も子供も負担になる。医師のそういう結論から上の子は未熟児で産んだ。

産まれた時、とても穏やかな気持ちになった。陣痛や出産のキツさを忘れるくらい、幸福に満ち溢れてた。やっぱり自分の子供は可愛い。"やっと会えたね""どんな事があっても守る"ってありきたりな言葉を娘に言って抱きしめたんだ。

そしてベビー室で他の子よりとても小さい娘に驚いてしまった。他の子よりミルクも少ししか飲まない。それを見た瞬間、娘に対して未熟児で産んでしまった事が申し訳なく思った。退院してから慣れない育児。産後も時折体調を崩しながら、悪戦苦闘の毎日を送っていた。だけど出来ない事が1つ1つゆっくりと出来ていく。成長がとても嬉しかった。これが育児の醍醐味よね。

そんなこんなで上の子が2歳になった時、2人目が産まれた。上の子と同じ様に妊娠特有の悩みに苦しめられてた。だけど2人目は未熟児ではなかったのと、こんなに飲むの?ってくらいたくさんミルクを飲んでくれたのが嬉しかったし、救いだった。

育児に追われる毎日。子供たちを立派に育てなきゃと言う不安。家事をちゃんとやらなきゃって、変な所で完璧主義が出る私。外出をしても子供が泣きわめいたら、周りの視線が痛くて申し訳なく思ってしまったり、3時間起きの授乳とミルク…。オムツ替え。夜泣きはあまり無かったけど、生きてるかな?って不安で1時間越しに起きてた。(これは母親あるある)もうずっと寝不足だった。

子供は可愛いって思えたけど、楽しいって思う事が減っていった気がする。最終的には外に出るのでさえも臆病になったんだ。もうこんな生活嫌だなって、小さい我が子に手を挙げそうになった事があった。その時、私は親として、人として終わってる。死んだ方がマシじゃないか…そうマイナスな気分になっていった。

ニュースでよく見る母親が虐待して逮捕される。私もいつかそうなるんじゃないかと自分自身が怖かった。そして"産後うつ"だったんじゃないかなって今になって思う。病院に行っては居ないけど、あの頃を思い返すとそう思う点がたくさんあった。

こんな底なし沼みたいな、毎日同じ事の繰り返しの生活を送ってた私にひとつの転機が訪れたんだ。

ある日、横になりながらダラダラとインスタグラムを何気なく見ていた。そこで目に入ったのが、女の人が写ったポートレートの画像。なんだこれ!って目を奪われたのを覚えている。凄いと思ったのと、感動したのと同時に私の幼い頃の夢が何故か蘇った。

実は誰にも言ったことが無かったんだけど、小学生と中学生の時にモデルとアイドルのオーディションを受けてた。小学生の頃は全国紙の雑誌。中学生の時は地元・沖縄のアイドルの番組。その2つの時の記憶が蘇ったんだ。沖縄のアイドルのオーディションは最終選考までは行ったものの、惜しくも落選。悔しかったのを覚えてる。そしてもう1つの夢であった調理師になろうと、モデルと言う夢は諦めたんだ。

そして気がつくとそのインスタグラムのカメラマンさんにDMを送っている自分がいた。ドキドキしながら待ってると撮影OKとすぐに返事が来た。

この頃、誰かに子供を預けるのが母親として最低な事なんだと勘違いをしていた。だから母に恐る恐る子供たちを預けていいか聞いたんだ。だけど母は笑顔で"良いよ。たまには外に出なさい。ひかりがそんなだと子供が可哀想だよ。気分転換してきなさい"そう背中を押されて初の撮影に出かけたんだ。

これが4年前の話かな?続きは②へ…

こんな風にnoteを書くと、あの頃を思い浮かべて、また涙が出る。だから…ゆっくりゆっくり執筆していこうと思います

②へ続く―――。




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