見出し画像

おむすびで人生が変わった話 第3章 ほどけてほどけて取り戻したもの(第1節:本当の意味での満たされる体験とは)


おむすびで人生が変わった話マガジン(第1章〜2章)はこちら

第1章は何もかもうまくいっていない、悪循環を感じていた新婚時代と、おむすびとの出合い書いています。

第2章はおむすびの人になる前におむすびを結びながら子育てを通して自分やり直し期間のことを書いています。


おむすびでの自分をほどいてほどいて結び直し。子育てばかりでなくパートナーシップのことも書いてみました。

さて、いよいよ第3章。おむすびをむすびだし、おむすびの人になるまでの「ほどけていった」まさにその途中経過のお話です。


おむすびへ辿り着いた経緯

《「色」を食べる》をテーマに料理教室をスタートしたのが2013年。働くお母さん、子育てで忙しいお母さんのために「考えなくても栄養がとれる」×「ラクにつくれる」の両方を叶える食材の色で決める献立づくりをカラーセラピーの考え方に基づいてご提案していました。ですが「栄養を満たすもの」「毎日の義務感」といったことを感じているお母さん達にレシピを出来るだけ提供しても根本的な解決になっていないのではないか?それでお金を頂いていいのだろうか?そしてそれを続けるのか?わたしは?ずっと?という葛藤が湧いたんですね。

そもそも食べる、って、快楽的な欲求を満たすものであっていいとわたしは思っています。「おいしい」「幸せ」「楽しい」でありたい。なのに「食べさせないと」「栄養を満たさないと」「苦手なのに頑張る」こういったエネルギーってつくられたものって本当に満たされるんだろうか。満たしているんだろうか??


そもそもわたしは何で満たされた?


考えてみたんですよね。わたしが心も体も喜んだごはんって何だったか。

皆さんもぜひ考えてみて欲しいんです。

死ぬとわかった時何を食べて死にたいですか。もう食べられないとわかった日に何を最後に口にしたいですか。

寿司?ステーキ?焼肉?
唐揚げは外せないよなー。あ、卵焼き!それに揚げ出し豆腐も好きだな〜

と脳内には好きなおかずがいっぱい出てきます。

だけどこれって「頭で考えて」いるもの。



それでわたしは思い出しました。

あ、おむすび食べて泣いたことあった、って。


体が反応した、と思いました。

究極の究極、本当に心も体もギリギリまで疲弊していたあの時食べたかったのは焼肉じゃなかった。あんな時はもう味覚もおかしくなっていた可能性がある。それでも復活できたのはおむすびだったからだ。体が「本当においしい」を感じた食べ物だったから。


そう思った時、自分がおむすびというものを習っていないことに氣づいたんですね。わたし、おいしいおむすびむすべるだろうか。


皆さんはおむすびのむすび方って習いましたか?

わたしは習っていません。

おいしいおむすびの定義がわからない。



それでわたしの友達が「すごくおいしいおむすびを握ってもらったことがある」と教えてくれたので、その方へ会いに新潟まで行きました。

それでおむすびを食べさせて頂きました。

画像1


あの日泣いたおむすびとは違っていたけれど、それでもおいしかった。それで「むすび方教えてください」ってお願いしたら「あなたおにぎりも握れないの?」って言われて笑

おむすびの存在って「そんなのすら」の程度なんですよね。調味しないですもんね。


首を傾げながら教えてくださったのは「2、3回で終わり」「1合で4個から5個」というもの。それだけ。海苔は最後に包むだけ。

2、3回で終わりと聞いて「え?」ってなりました。だって今までラップでギュッギュって三角形にしようとしていたんだもの。


そうかー、そうかー。それでおいしくなるのかー。

そんなほんの少しの情報を種火に持ち帰り、自分のおむすびづくりをしてみようとはじめました。それが2016年8月のことです。



おむすびをむすびながら同時にやってみたこと

少なくともわたしの周りには飢死したという人を聞いたことはありません。ファミレスは24時間空いているし、空腹でどうにかなりそうになったらコンビニに入ればすぐお腹を満たすことはできます。でもわたしは、現代の恩恵ともいえる環境ゆえに「食べたいもの」がわからなくなっていました。「何食べたい?」って自分に問ても「?」って感じで。お腹すいたらとりあえず何か入れておけば空腹は満たされるので「食べたいものを選んで食べる」感覚は遠ざかっていました。「口にするものを選ぶ」にしても知識で選んでいて体感覚を信頼しての選び方ではなかったように思います。


さらに毎日のごはんづくりはというと、母親という役割のひとつとして行っていた面もあって「子どもの食べたいもの」「夫が好きなもの」をつくる方が断然比率としては高くて、自分が食べたいと思ったものをつくるなんてほとんどしていなかったことにも氣付きました。


食べたいものを選べないと困るのか?

わたしは困ると思っています。

それはその行為が、ということではなく「やりたいことは何?」「え?」みたいなものに通じるからです。

あなたのやりたいことは?
え?やりたいこと?
より自分を生きていきたいのでしょう?やりたいことがわからないのではいつまでたっても誰かの欲求を満たしてあげてるだけよ。自分の欲求は誰が満たしてあげるの?
誰かのやってほしいを叶えてあげている方がラクよ。難しくないし、わかりやすいし、麻痺させた方が面倒なことはないわ。

とまぁ、こんな感じです。(わかる?笑)

麻痺させ続けたらいつか必ず爆発しちゃうんだけどね。


「わたしの食べたいものがわからない」ことに危機感を覚えたわたしは、徹底的に「わたしの食べたいものを食べる」をやってみました。お金に糸目もつけず食べたいと思ったものは食べる、食べたくないものは食べない。そしてつくりたくなかったらつくらない。買ってくる、食べに行く。とにかく「食べる」という欲求に関わることを全て思いのまま行動してみました。


それでわかったことがあります。

わたしの心と体が本当に喜ぶごはんはわたししかつくれないんだ、ということ。

ファミレスやファストフードは当然のことながら、外食するにもわたしが本当に美味しいと感じるものはそうたくさんはない、ということがわかりました。

多分これ、わたしだけじゃなくて、ほとんどの人が本来の体感覚を取り戻したらそうなると思います。

そうなるともうつくるしかない。自分の心と体が本当に喜ぶものをつくるしかない。だけどそれが面倒だから、鈍感なままの方がラクだからみんなしないだけなんじゃないか、とわたしは思っています。そんな体や感性にしちゃったら手がかかって大変だもん(笑)



でもね、そこからです。

「手をかける」の本質がわかってきたのが。自分が本当に喜ぶ自分への手のかけ方がわかってきました。そして自分を本当に大切にするとはどういうことか、自分の本当の欲求がわかってきたんです。

着飾ることやおいしいと言われるところで外食をすることではないんだな。本当の豊さってこういうことなんだな、というのを感じられるようになりました。


そして同時におむすびのシンプルながら味わわせてくれる素晴らしさを感じられるようになりました。

触りすぎたおむすびはおいしくない。それはなぜか。
思いをこめたおむすびはおいしくない。それはなぜか。

手のかけ方の本質がわかってくるとその答えが自ずと出てくるようになります。



佐藤初女さんのこと

おむすびのことを興味お持ちになった方は少なからず佐藤初女さんの存在をご存知と思います。

たくさんの本を書かれていますし、実はわたしの周りには初女さんからおむすびを教えてもらったという方が何人もいらしてお話を聞いたりもしました。そういった方々のお話を伺うたびに、本を読む度に共感することがたくさんありました。

初女さんは2016年2月に亡くなられています。わたしがおむすびを始めようと思ったのが2016年9月。あと少し早く知っていたら初女さんのおむすびを食べられたのにな、と思ったことは何度もあります。おむすびを伝えていると「初女さんのおむすびですか」と言われたことも何度もあります。どうしてわたしはおむすびを選んでしまったんだろうと思ったこともあります。

それでも2016年にバトンタッチするかのようにわたしがおむすびを始めたのはきっとご縁だ、と思えるようになりました。

福祉活動家である初女さんがなぜおむすびなのか。なぜ食なのか。

ならばわたしは教育者としておむすびを伝えよう。料理家じゃなくてもいいじゃないか。

そんな勇氣も頂きました。


初女さんのおむすびのむすび方を継ぐのではなく在り方を引き継ごう。勝手に、ですが、それでも偉大な初女さんの存在をそう受け取れるようにもなりました。


初女さんの言葉に「透明になる瞬間」という言葉があります。

いちばん大事なのは、待つことです。
母性に立ち返るとき、問題は自然に解決します。
「いのちのうつしかえ」のとき、
人も透明になるのです。

透明だと、ほんとうに、生きやすい。
何かになろうとしなくても、
それは自分の中にすでにあるものです。
透明になって真実に生きていれば、
それがいつか必ず真実となってあらわれます。
だからわたしたちに今できることは、
ただ精一杯、真面目にていねいに生きていく、
これだけだと思うのです。

おむすびをむすび出してわたしが意識するようになったことが「じぶんのエネルギーをクリアにしていく」ということでした。

ひかりの種、という言葉がわたしから生まれたのもこの頃です。

エネルギーの透明感。自分であること、自分で生きることに誠実にまっすぐであること。より自分を生きるためにエネルギーをクリアにしていくこと。初女さんの表現した「透明であること」に通じる感覚です。

そうなりたくておむすびをむすびながらほどき、食べてほどけ・・・・自分を縛っているものを自分の手でほどいていきました。おむすびをむすびながらよりなりたい、在りたい自分へなってゆく。

自分が味わったこの経験が「このおむすびを”心がほどけるおむすび”として伝えていこう」そう決めて動き出したのが2018年のことです。


今のあなたのために。あなたの次世代のために。採種や栽培、堆肥づくりに必要な資材を買ったり、本当に心地よい環境にするために使わせて頂きます! 応援ありがとうございます♡感謝します☺︎