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シゴトという名の旅《後編》

▼前編はこちら▼

昨年末(2022年12月末)に隠岐島へ足を運んだ時も、最初の3日間と後半3日間の感覚が全く異なって、後半はもう自分の中に何が起きたかわからないくらい表現のしようのないのまま帰ってきた記憶があります。

▼年末の隠岐島旅の記事はこちら▼

今回も案の定というか、やっぱり後半が濃くて心がいっぱい動きました。なので隠岐島にいる時には掴めなかったけれど帰ってくる時に思い出したというか、蘇ったというか。
帰ってきてからわたしがとても大事にしたかったであろう2つの望みに焦点を当てることができました。

わたしがずっと抱いていた願い

人事採用をやっていた頃から出張は好きでした。
大阪に支社のある会社だったので御堂筋あたりには多い時だと3泊レベルを月に2回ペースで行っていたし、新卒採用だったので大学の就活担当の方へご挨拶まわりするために、仙台、北海道、岐阜など、あちらこちらへ飛んでいました。
何年前?20年近く経つのか!

旅をしながらシゴトに繋がったらいいな。
旅をしながらシゴトをしたい。

多分その思いはずっと心の奥の方にあったと思います。
途中そんなこと隅に追いやったりしたこともあっただろうけど
2018年の「おむすびの人になります!」宣言では同時に「どこへでも行きます!」って言っているから、その頃からずーっと「旅をしながらシゴトしたい」って願っていたんだろうと思います。

その「そうなりたい!なる!」が改めてムクムクと湧いてきたのが、今回の隠岐島旅でした。


そもそもシゴトってなんだ?

シゴト、とわたしはあえてカタカナで書いていますが
漢字にすると
仕事、志事、為事、とあって
その漢字の違いは
お金になるかどうか、みたいな部分と濃厚に関わっていると思うわけです。

これはあくまでわたしの経験上の定義ですが

  • 仕事=お仕え事。時給や日給を頂いてお金をくださる方にお仕えする事。

  • 志事=自分の想い(志)を表現している事。お金になったらいいな、ならなくてもやりたいからやってみよう!という事や、誰かのお役には立っているから高額じゃなくてもお金は頂けている!というような事。

  • 為事=承る事。誰から?創造主とか宇宙とか先祖とか、、、目に見えない存在から「給」される事。やるやらない好き嫌いのジャッジ一切なしで「はい、給りました」と動く事。

で、昔のわたしは「旅をしながらシゴトしたいな=遊びながらお金になったらいいな」だったわけですよ。
ここでいう遊びは「おいしいもの食べて飲んで、買いたいもの買って」みたいな遊び。
なので旅をしながらシゴトの"シゴト"は"仕事"でもよくて「お金もらえたらいいな」でした。
誰かわたしのできる仕事くれないかな、みたいな。笑

それが今回湧いてきたのが

わたしにとって遊びって
自然に寄り添い、共に戯れ、対話し、教わること。
ゆうきになっていくことを
自然や人と共にやっていくこと。

これ、わたしにとってめっちゃ贅沢な遊びなんだ。

というメッセージでした。
メッセージというか腑に落ちた。

お金使って飲み明かしたり、オシャレして出かけたりする遊びじゃなくて、わたしは自然と一緒にいたいんだなって思ったし
自然と一緒にいられることをすごく贅沢、って思っているだなって自覚したんです。
わたしをわたしにしていってくれる自然という遊び相手が本当に有り難いなぁと思ったんですね。

そんな遊びをしながら為事をしたい。


今回はシゴト優先の訪問になったけど
あと3年で
遊びに行って為事になっちゃった!
という生き方を実現しよう!という思いが湧いたし
そうなれるように動こう!と決めました。


自然の恩恵を多くの人と分かち合いたい。

もうひとつ湧いてきたのが

自然を相手に経済的豊さも実現したい

ということでした。

昨年末に隠岐島を訪れた際
涙腺が崩壊した心の様子を書いたのがこちら↓

今頃になってやっと言語化できることのひとつは
私たち人間も自然の一部なんだと感じたんだろうな、ということ。

ただ、人間であるということは
意思を持って動けるということであって
言葉を交わせるということであって
感情を感じあえるということ。

だからわたしは
本当の意味での自然の姿や在り方をまっすぐ届けたい・・・

おむすびと一緒で
わたしのエゴや私利私欲を乗せることなく伝え渡したい・・・

いのちに響いた自然界からのメッセージを
まっすぐクリアにあるがまま伝え渡すこと。


それがわたし自身や
わたしとご縁のできた人たちの
より自分を生きる力を呼び覚ますことに繋がるんじゃないか?繋がってほしいな、と心底願う氣持ちが湧きました。

それを今いる場所からでもできるし
やっていくことが御礼であり恩送りになるかもしれない、思ったんですね。

「恩送り」これを事業にしよう!と思いました。


自然を相手にしている人たちとの関わり

今回の目的のひとつだった海苔漁師さんや塩をつくっている方との出会いが、それをより強いものにしてくれました。

写真はあかんわ、と言われたので後ろ姿を。笑


まだまだわたしが知らなかった本当に贅沢で豊かな恵が存在すること。
それらはいのちが本当によろこぶ食べ物であること。
そしてそれに誇りを持って営みとしている人がいること。
さらにその人たちは海に敬意を持って手をかけてくれていること。

そんな「本当の意味での自然の姿や在り方」を
多くのひとがよろこぶものにして届けたいと思いました。

自然の恵みをはタダで手に入ります。
だからこそ、私腹を肥やすために活用してはいけないんだと思っています。

わたしのエゴをのせた届け方になったらきっとバレちゃうだろうし伝わらないでしょうし!

かといって、慈善事業にして利益を出しちゃいけないということじゃないとも思うんですよね。

近江商人の「三方よし」という考え方があります。

商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと
社会に貢献できてこそよい商売といえる


生産者も買い手も、恵みを与えてくれる自然も喜ぶ。
それは結果的にわたしにも豊かさをもたらしてくれる。
そんな為事を実現したい。

収入が入り続けている、ということは
私腹が肥え続けている、という意味ではなく
喜んでいる人が居続ける、ということだし
自然を豊かにすることをし続けることができる、ということなんだよね。

わたしは自然を相手に、そして自然を相手にしている人たちと一緒に、その世界を実現したい!します!


お金の扱い方、修行中。

・・・と威勢の良いことを書きましたが
わたしはまだ志事と為事が混在しているのが現状です。

隠岐島行っているのも
米つくろうって思ったのも
行きたくて、やりたくて
行ってるしやっているんだけど
それだけじゃない氣もしている。

だから足を運ぶのだけど
現実問題これだけ足を運ぶってことはお金がかかるわけですよ。
だから氣持ちよく出せるだけの収入は必要だし(節約旅をしたいとは全く思わないので)志を形にするにもお金は必要。

一方で、為事ならお金は廻る(三方よしは叶えられる)というのも感じています。
今はまだ志事な部分が多くあるけれど必ず為事に繋がる事だと思えていて、正直手元にキャッシュがなくても不安はないんですよね。


とはいえ、出張の手配をしてもらう度に
新幹線だ飛行機だ高速船だホテルだと、まぁ続々(笑)

だからすごく意識しているのは
いくら稼げたから行かれる、とか
稼がないと行かれない、とは思わないこと。

為事にしよう。為事になるよ。大丈夫。
わたしも豊かになる、みんな(生徒さんやお客さん)もよろこぶ。地球も大地も豊かになって未来に繋がる。
より自分のいのちを生きることをひとりひとりがまっすぐ表現できる世界に貢献する!

根底にそんな想いを持ちながら
目先のキャッシュも丁寧に見て扱っていこうと思うわけです。

理想と現実。

これを行き来しながら悶えることもいっぱいありますが
行き来することは
今のわたしにはものすごい訓練であり
きっと必要な修行体験なんだろうと思っています。


それをやっている人が目の前にいる奇跡。

そんな想いが湧いたのと同時にすごく痛感したことが2つありました。

ひとつはわたしのOS 書き換え必須、ということ。

自然を相手にしたり
自然の恵みを相手にしている人を相手にすると

えっ?!
なんで?!
って思うことがいろんな場面であるんです。

それって一見、好奇心みたいだけど
実は単にわたしの範疇を超えているから起きる不安がそう反応してるってことに氣がついちゃったんです。

予測がつかないことに対して瞬時に沸く「不安を回避したい(から教えて)」という「なんでそれやるの?」という(一見質問に見える)防御反応なんじゃないか、って。

目の前に起きていること
今感じている感覚が
わたしの範疇を超えているから起きる感情。

委ねる怖さからくる「なんで」

(不安だから・わからないから)答えください!という「なんで」。

よくよく考えてみたら
自然の生理に寄り添うって
ぶっちゃけ答えなんてないし
寄り添うって
見通しを立てることではない。

自然を相手に
時間通り、予定通りに行くことの方が少ないに決まっているよね。

そう考えれば当然、自分の体験から外れたことは起きる。
委ねることでしか答えが出ないこともある。委ねて答えを待つ。。。

だからわたしのOS(これが起きたらこうする)の書き換えや
経験・体験の範疇外に対して
いちいち反応せず受け取る練習が必要だなって痛烈に思いました。

「あ、すみません、わたしの都合でした」
「ごめんなさい、私の理屈です」
なんてことがいっぱいなんですよ。

なんで?!と思う方がおかしい、っていうか(笑)
↑「どうして?」と質問するたびに首を傾げられる悲しさよww

自然を相手にしている人とやりとりするって
自分の中の当たり前の感覚を書き換えていく必要があるんだなってすごく思いました。(帰ってきてまぁ凹みました)

そう考えると忙しすぎるね、こっちの暮らしw



そしてもうひとつはお金の本質を理解してお金と仲良くなること。

自分の能力や才能を最高最善に使いたい、使われたい、と同じように
お金さんだってどうやって使ってもらいたいか、どうやって使うと喜ぶかを学ばないといけないな、と。


私たちも
「あとは勝手に好きなように活躍しまーす!」って瞬間があるでしょ?
それと同じで、お金さんが勝手にお金を呼んできてくれるようになる瞬間があるんだと思うんですよ。

それが廻る、なんだろうと。

でね。
今回なぜそんなこと感じられたかというと
いとも当たり前にやっている存在が近くにいてくれたから。

隠岐島で毎回お世話になっている村上さん。

またもや後ろ姿(笑)


昨年末のnoteにも書いていますが
3時間も電話で話しができるような
埼玉の人間に「いつくる?」っていとも簡単に聞ける人なんです。

今までの人生をお伺いしていると
正直、めちゃくちゃ無茶苦茶な人だと思いますw
だけど人間ってこういう姿が本来なのかも、とも思ったり(笑)

だからかもしれません。
わたしの固定概念をいつもいつも塗り替えてくれる。
(まだ2回の訪問だけど10日以上一緒にはいる)

そして
自然を守る、再生させること

お金をまわすこと

見通せている(ように見える)から
すごい勉強になるしすごいなと感心してしまいます、いつも。

口だけじゃなくて実際行動しているし。

肌感覚でやっているんだと思うので
教えるなんてことはきっとできないしするつもりもないでしょうけれど

それでも有り難いことについて回ることはできているので
ついていくの本当に大変ですが(ほら、そもそも概念が違うから)
しかもついて行っても行かなくてもいいのですが
それでもわたしはあぁなりたいなぁ、と本氣で思ったので
ひっついてみるつもりです。(心が折れない限りw)

ということで
今回の隠岐島もかなり濃い〜時間でした。
正直日程足りなかったな。

もっと遊びの時間もつくろう。

そして
シゴトしに行く
じゃなくて
遊んでたら為事になっちゃった!
を叶えようっと!!

美味いんですよ、このお酒!

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