私は何者なのか。前編
SNSが普及するにつれて、自分が「〜をしているひと」と
見たひとにわかるよう明記するような、
いわば自分にある種の冠をつけるようなことが増えて
果たして私はなにをしているひとなのだろうと考えては見るけど、
パッとするような冠が見つからなくて
そもそも自分にそんなものが必要なのかとか
思ったりもするのだけど
それらの気持ちもまるっと持ち合わせたまま
発信したい気持ちもありnoteを始めてみました。
今回は14歳でモデルになると決め、商業高校に進学し
17歳でモデルを始めるまでのことを少しお話ししようと思います。
私は小さい頃から絵を描くことが好きでありながら
擦り傷だらけの落ち着きのない子どもでした。
大人になって専門家に聞くところによると
どうやらADHDだったようです。
小学校2年生の夏休み、慣れ親しんだ地から
母の故郷である北海道の余市町へと引っ越しました。
その頃はまだそれなりに友達もいたし
別れるのが悲しかったのを覚えています。
今は誰一人として連絡先も知らないくらいですが。
転校するや否や洗礼を受け
いきなり1ヶ月不登校になりました。
母は学校に相談に行きましたが
担任に逆に文句を言われる始末で母はカンカン。
転校しようと提案されましたが
そこに留まることに決めた私でした。
どういうきっかけで再び学校に行くようになったかは
正直あまり覚えていません。
田舎の学校なので、99%が同じ中学校に行くわけですが
中学の頃にはそんな事実はなかったかのように
普段の学校生活でも入部した吹奏楽部でも
それなりに楽しく、ごくごく普通に過ごしていたと思います。
前述した通り、絵を描くのが好きだったので
水彩画、アクリル画、鉛筆画、パステル画、ペン画
なんでも描きました。
最終学年になった頃にはそこから派生して
自ら表現体になりたいとモデルになることを決意します。
最終学年の進学先を決める際には
なにが起こってもいいように資格を取っておきたかったため
普通科の学校は選ばず、商業高校の情報処理科を選びました。
高校に入ってすぐのことは
あまりいい思い出がないので省きますが
そもそも隣町の学校に通学していたこともあり
クラスに知っている子は1人しかいませんでした。
が、ぼっちで過ごすはずの研修旅行中に
その子が話しかけてくれたことで新たな友達ができ、
私には高校3年間、そして今も親友と呼べる友達がいます。
これに関しては一生感謝すると思います。
モデルを始めてからのお話は
次のnoteに書かせて頂いておりますので
今回はこれにて。
photo by : Masakazu Takada
model : Hikari
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