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私は何者なのか。後編

※この記事は前編の続きです

高校在学中にテレビの仕事が決まり
卒業して早々に私は札幌で一人暮らしを始めます。
家族も友達も職場も全てに恵まれた環境でした。

札幌に引っ越して1年後、上京することを決意し
その更に1年後に上京しました。

1年目からファッションショーに出させてもらったり
撮影に呼んでもらったり思っていたよりずっと
順調にお仕事に呼んでいただきました。
この頃ご縁があり、少しずつではありますが
デザインの仕事をし始めるようになります。

ですが上京して1年半後大きな転機がやってきます。

2015年の9月、私は難病の
全身性エリテマトーデスと診断されました。
この病気については改めてまたnoteに書こうと思います。

時期が悪くすぐ入院できる状況ではなかったので
1ヶ月先送りにし入院。
入院期間は1ヶ月の自宅休養を条件に
1週間で退院させてもらいましたが
明らかに病気になる前とは身体の勝手が違いました。

足は痛むし、身体に痣もできる。
おまけに紫外線がダメなので
もうモデルの仕事は無理だろうと思いつつ
ひとまず1年間休業しました。
夢はこれしかなかったから、本当にどうしたらいいか
わかりませんでした。

そんな時、病気について情報収集をしたいけど
セミナーに行くのはなんか嫌だなと考えた結果
私が主催して始めたのがLunapus(ルナプス)です。
団体名は一応付けましたが、
同じ病気や似た病気の方に声をかけてのただのお茶会です。
でも、このただのお茶会が私にはとても良かった。
同じ悩みを持った人がたくさんいることがわかったし
薬や治療法の情報交換も出来ました。
やっぱりいきなり病気になった時は
(私は)不安からか卑屈になりがちでしたが、
同じ病気の人の口から聞くアドバイスは
不思議とすんなり入ってくる。
みんな怪しまずに来てくれてありがとう!笑

周りの方々の応援もあり
私はモデルの仕事に復帰しました。
有難いことに、この病気に興味を持ってくれる人も増え
朝の情報番組での取材や
ドキュメンタリー番組の密着取材もしてもらいました。
(気になる方は「生きるを伝える 光梨」で検索してください。笑)

そして現在ですが、前編でも書いた通り何者でもありません。
コロナの影響もありほぼニートです。
モデルはもうやらないの?って聞かれたりもしますが
ピンポイントでの依頼を除きもうほとんどやっていません。
正直、引退します!とかわざわざはっきり言うことに
需要があるとも思いませんので、特に公言もしていません。笑
でも、「本業:モデル」と名乗ることは二度とないでしょう。

デザイナーの仕事は今も続けています。
やっぱり表現することが好きだし、創造することが好きなので
性に合ってはいると思います。
そう考えた時、いまの私の冠は「デザイナー」なのかな
とも考えましたが、まだまだ発展途上で烏滸がましいし
なんか自分でベッド作ったりテーブル作ったり
文章を書いたり絵を描いたりもしているので
わざわざかっこよく言うなら、フリーランス(自由業)と言うのが
一番ニュアンス的には近いかも知れません。
いずれにしろそれだけで生活するには程遠いのですが。

結論、何をしている人だとか
そんな枠にはまりに行かなくてもいいじゃないってところです。
とは言ってももう27歳になる歳ですので
この先も考えて行かないといけません。

ひとまず今後しばらくの目標は、
30歳までに在宅で仕事を完結できる環境を整えること
コロナに罹らない・移さないこととしておきましょう。

長々と読んでいただき、ありがとうございました。

photo by : Masakazu Takada
model : Hikari

#note   #エッセイ #ひとりごと #難病 #人生 #生き方

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