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死に苦しむ人間の姿を描いた真理は?死生観を問われる作品-『死の勝利』 ピーター・ブリューゲル


イントロダクション

プラド美術館に所蔵される歴史的名作『死の勝利』
ペスト(黒死病)が大流行した当時のヨーロッパの「死に対する恐怖」を表現しています。

美術史家の森洋子さんは著書『ブリューゲル探訪 民衆文化のエネルギー』の中で、「死を記憶せよ(メメント・モリ)」という中世の世界観を表現している点を評価しつつ、同時に、自然災害・テロリズム・エイズなどの現在の混沌とした現代社会にも教訓を示す作品だと評価しています。

ブリューゲルはなぜこの絶望的な作品を描いたのか?そしてこの作品のどこが評価されているのか?この2つの側面から、作品を深掘りしていきましょう。


時代背景:15c後半〜16c後半

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《ローマ王としてのマクシミリアン1世》
ベルンハルト・シュトリーゲルとその工房、あるいは工房作

作品が描かれる少し前、14C中頃から、ヨーロッパではペストが大流行。この作品はペストの流行により、身分や階級に関係なく人々が死んでいく様子を、骸骨の襲来に見立てて描いています

ちなみにこのブリューゲルが描いた大作がなぜプラド美術館に所蔵されているかというと、当時マクシミリアン1世がブルゴーニュ公国領であったフランドルを自国(ハプスブルク家)のものとしたためかと思われます。

ネーデルラントが正式にスペイン領土となるのは、八十年戦争/オランダ独立戦争が終了した神聖ローマ皇帝カール5世(カルロス1世)の時ですが、以前からブルゴーニュ地方はフランスとスペインから狙われていた土地でした。

スペインとオーストリア(+ちょっとイタリア)の統治において存在感を放っていたハプスブルク家が領有していた土地の名作なので、首都マドリードに置かれても違和感はありません。


制作者:誰が描いたのか?

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死後に発表された自身の肖像画 - ピーター・ブリューゲル

作者はルネサンス期を代表するフランドル(現在のオランダ周辺)画家ピーター・ブリューゲルです。彼の詳細な解説はまた別の機会に。

彼の本作品以外の代表作としては、

・『悪女フリート』(1561年)
・『叛逆天使の墜落』(1562年)
・『バベルの塔』(1563年)

が有名です。

悪女フリート』『叛逆天使の墜落』は善と悪・生と死の葛藤を表現している点で風刺的メッセージが『死の勝利』と並んで、ブリューゲルの同時期の作品として評価されています。

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バベルの塔(上画像)』は意図的にローマのコロッセオを模倣しており、ローマ帝国の政治的不安定と、当時ネーデルラントで勃興していたプロテスタントとカトリックの争いを表現した名作です。


絵画の解説:なぜこの絵画が素晴らしいのか?

この絵画の主題は当時フランス・オランダ・ドイツで流行していた『死の舞踏』であり、ペストの襲来への人々の恐怖を表しています。

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ハンス・ホルバインの木版画『死の舞踏』

この絵画が高く評価される理由として、同じフランドル地方出身の画家ヒロニエム・ボスとの対比が影響しています。プラド美術館にて『死の勝利』の隣の部屋に展示されているボスの代表作『快楽の園』とセットで読み解くことで、彼らが描こうとしていた当時の世界観が浮き上がります。

117cm×162cmという大きさは、展示室に入ると際立つほどではないですが、近づくほどに引き込まれる独特のプレッシャーを感じます。赤茶の殺伐とした背景だけでなく、細部に至る緻密な表現が、ボス同様、フランドル絵画のDNAを感じさせます。

一方で、ボスにはない、ブリューゲル独特の解釈も含まれています。そのため作品の完成は1562-1563年ごろだと言われています。

まず、『快楽の園』ではカラフルで抽象的な表現が多いことに比べ、本作品では背景は赤茶の色調で統一されつつ、表現の目的は人々が苦しむ姿にフォーカスされています

また、ボスが「あの世」つまり死後の苦しみを表現する一方で、ブリューゲルは「この世」で生前の苦しみを表現しました。

言い換えれば、ボスは生きる人々に「生とは何か・何のために生きるのか・どう生きるのか」を省みる警鐘を鳴らすような絵画を描き、ブリューゲルは「生の苦しみ・その上でどう生きていくか」を代弁するような作品が多いように感じます。

この時代のフランドル絵画は水平線を低くして遠景を鮮明に描くことで美しさを表現するのが普通でしたが、この絵では水平線はあえてかなり高めに設定され、前部の苦しむ人々が強調されている点も作品の希少性を高めるポイントです。

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自分が何を感じたか

いざ目の前にしてみると、緻密な表現と統一された殺伐とした雰囲気から、やはり恐怖を強く感じます。あくまでフォーカスされているのは骸骨ではなく、人間であるところにブリューゲルのメッセージ性を感じました。

単に死を表現するのであれば骸骨をより大きく、より強調して表現すると思いますが、苦しむ人間こそが表現の先です。

つまり、「自分たちが苦しんでいる」ということを認めながら、その上で「どう生きていくか」を強く問いかけているような気がします。

絵画的な技法やその革新性、そして細部の美しさだけでなく、「いつか訪れる死を前提としてどう生きるか」という問いかけこそが、この作品が長く評価される理由ではないでしょうか。


終わりに

プラド美術館はベラスケス、ゴヤなどの代表的なスペイン絵画だけでなく、イタリア絵画(マンテーニャ、ラファエロ、ティツィアーノなど)、フランドル絵画(ブリューゲル、ルーベンスなど)を多く展示しています。絵画だけでなく彫刻作品や壁画なども展示されていて、広範囲に渡って西洋美術を網羅しています。

1階から回れば序盤に登場する作品なので見落とすことはまずないと思いますが、やはり一度は生で見ていただきたい名作です。

フランドル絵画といえば、特徴的な緻密な表現に加え、人々の実生活を描いた世俗的な作品が多い印象があります。

だからこそ、ボスとブリューゲルの風刺的な作品は、当時も今も高く評価されているのかもしれません。

『快楽の園』やその他作品については追って解説していきたいと思います。

そんなこんなで、引き続き、記事を楽しんでいただけたら嬉しいです!

溝渕暉









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