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イタリア戦争(1494年〜1559年)

世界史・西洋美術史を勉強すればするほどに知りたくなるイタリア戦争を軽めに紐解きます。完全に自己満足です。登場人物ごとの解説などはまた追って。

ちなみにサムネイル画像は『カール5世のアントワープ入城』(ハンブルグ美術館所蔵)。作者は代表作『五感(Les Cinq Sens)』で知られるハンス・マカルト。クリムトにも影響を与えた。

このnoteでの登場人物

イタリア
 ・大ロレンツォ(ロレンツォ・デ・メディチ)
 ・ロレンツォ2世(大ロレンツォの孫)
 ・イル・モーロ(ミラノ公 15-16cにミラノを統治していたスフォルツァ家の当主。ダヴィンチに最後の晩餐の製作を依頼。)
 ・ニッコロ・マキャヴェッリ(『君主論』『戦術論』)
 ・教皇ユリウス2世(本名ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ。ローマにルネサンス芸術の最盛期をもたらした。)
 ・レオ10世(ユリウス2世の次代。メディチ家出身の数少ない教皇で、サン・ピエトロ大聖堂贖宥状販売を認めてルソーの宗教改革の発端に)
 ・フランチェスコ・マリア1世(ウルビーノ公。教皇ユリウス2世は父方の伯父。)
フランス
 ・シャルル8世(フランス王 ヴァロワ朝7代)
 ・ルイ12世(フランス王 ヴァロワ朝8代)
・フランソワ1世(フランス王 ヴァロワ朝9代。カール5世のライバルのライバルで、)
イギリス
 ・ヘンリー8世(フランス王位継承を求めるも失敗し続けた。フランソワ1世とカール5世の間につこうとした。)
ドイツ(神聖ローマ皇帝)
 ・教皇マクシミリアン1世(ハプスブルク家興隆の基礎を築いた)
スペイン
 ・教皇アレクサンデル6世(アラゴン・バレンシア王国出身。ローマ皇帝 ロドリゴ・ボルジア。)
 ・チェーザレ・ボルジア(ロドリゴの息子。イタリア東部マルケ州で猛威を奮うも、利権はユリウス2世により、死後にフランチェスコに。)
 ・カール5世=カルロス1世()
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第一次イタリア戦争

ことの発端は1494年、シャルル8世がナポリを継承したと主張してイタリアに遠征し、その過程でメディチ家がフィレンツェから追放されたこと。

翌年ナポリを占拠するものの、教皇アレクサンデル6世や神聖マクシミリアン1世、アラゴン王国、ヴェネツィア王国、ミラノ公国の神聖同盟により撤退。

第二次イタリア戦争

1499年、ルイ12世が父からミラノを継承したと主張し、フランス軍が侵攻。1500〜1513年までミラノを征服(イル・モーロを幽閉)。

1503年にはスペインのコルドバ将軍がナポリを征服。以降ナポリはスペイン支配下に。1504年にプロア条約により休戦、フランスがナポリを放棄。

第三次:カンブレー同盟戦争

1511年 教皇ユリウス2世による神聖同盟。ユリウス2世、アラゴン、ヴェネツィア、イングランド、スイスがフランスに対抗。

1513年にボスコリ事件によりマキャヴェッリが失脚。メディチ家から新教皇レオ10世が誕生。ノヴァーラの戦いによりミラノからフランス軍が追放される。スフォルツァ家(イル・モーロの一族)が一時復帰。

1515年、フランス王フランソワ1世がミラノ侵攻(マリニャーノの戦い)。スフォルツァ家再追放・ミラノ支配開始。

第四次:ウルビーノ戦争

教皇ユリウス2世の死後、次代のレオ10世はフランチェスコ・マリア1世を破門。

しかし、先のカンブレー同盟戦争でフランスとヴェネツィアが教皇に勝利したのに便乗して、前年に追放されたフランチェスコ・マリア1世はウルビーノ公の奪還を図り、戦争には勝利するが資金繰りに失敗し、平和条約に署名。結果的にレオ10世の死後、1521年に公位に返り咲く。

第五次:神聖ローマ皇帝選挙

教皇マクシミリアン1世の死後、孫であるカルロス1世とフランソワ1世が皇帝選挙で争い、1519年にカール5世が神聖ローマ皇帝・スペイン王に同時即位。1521年にはコムネロスの反乱を鎮圧し、名実ともにスペインの支配者に。

フランスは、南北からハプスブルク家に挟まれることになり、大ピンチ。

第六次イタリア戦争

1521年以降、ヴァロワ家vsハプスブルク家の構図が激化。1521年にレオ10世はカール5世と結び、フランス支配下のミラノを陥落し、奪還。

1522年のロドス包囲戦では、ロドス島(現トルコ沿岸近く)の聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団とも)とヴェネツィアの連合軍が、オスマン帝国軍に敗北。

1524-1525年にはドイツ農民戦争が勃発。


あとは気が向いたら更新します。

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