見出し画像

作品解説:ボッティチェリ 『春』

ボッティチェリ制作の『春(Primavera)』は、世界史や美術の教科書、はたまたサイゼリアのかべに登場する単なる有名な絵ではない。

当時のフィレンツェを物語る、政治的意図がたくさん込められた作品である。その超大作『春』の制作年・注文主・描写・政治的意図などを紐解いていく。

※試験勉強の延長なので画像は挿入する時間がありませんでした。2月に入ったら、読みやすくするために適宜画像を挿入予定です。コメントいただければ、その点についても追記します。

時代背景

そもそもこの作品が描かれた当時のフィレンツェはどのような状況だったのか。(前に掲載した「イタリア戦争」も参照すると少し理解が深まるかもしれません。)

を書きたいのは山々ですが、試験中で時間がないので、簡単にメディチ家の家系図だけ載せておきます。詳細は2月に。

スクリーンショット 2020-01-22 11.31.19

製作年・注文主について

元々、ゴンブリッチによる説では、注文主は本家の当主ロレンツォ豪華王(Lorenzo il Magnifico)で、設置場所はフィレンツェ郊外のカステッロの別荘(1550年頃にヴァザーリがここで春とヴィーナスの誕生を見たと述べていることから)だと考えられていた。

豪華王が後見人をしていた分家のロレンツォとジョバンニ兄弟の教育目的として新プラトン主義的意味を持ち、春とヴィーナスの誕生は対作品と考えられた。
しかし、二作品は支持体も大きさも異なり、花の数も違うことから対作品であるとは考えにくい。

※新プラトン主義

古代ローマ末期のプロティノスにはじまる哲学。プロティノスは3世紀にエジプトのアレクサンドリアで学び、ギリシア哲学を研究した。そこでプラトンの言う「一者」や「イデア」という究極の真理は、人間が認識出来るものではなく、そこから流出するものを観照する(直感する)のみであると説く。感覚器官や言葉ではなく、沈黙のうちに絶対の真理と一体化しようと説く、神秘主義をとった。新プラトン派はキリスト教を否定したが、キリスト教徒の中ではアウグスティヌスらの教父が新プラトン主義を取り入れ、教父哲学を体系づけた。 - 『世界史の窓』より

研究が進むにつれて、1498年の財産目録の記述より、設置場所はフィレンツェ郊外のカステッロの別荘ではなく、フィレンツェ市内のメディチ家の本宅(旧宅の方)の1階、すなわち分家の第三代当主ロレンツォの居住空間であると判明した。寝室の隣の部屋に設置されていたとされる。

『春』はレットゥッチョと呼ばれる木製の長椅子の上に固定されていた。

この長椅子は、
・台座(プレデッラ)
・婚礼用長持ち(カッソーネ)
・帽子掛け=装飾羽目板(カッペッリナーイオ/スパッリエーラ)
の3つから構成されていた。

長椅子の長さと春の幅が一致することから、この長椅子の上に設置するために描かれた物だと考えられる。
また、『春』の支持体は8枚の板を縦に繋いだものだが、元々横木で支えられていなかった。つまり最初から壁に固定するつもりだったので横木は不要だったと考えられる。

この記録から、ゴンブリッジ説(ロレンツォ豪華王が制作主でカステッロの別荘に設置したという説)は否定され、注文主はロレンツォ豪華王ではなく、分家のロレンツォであるとされる。
また、カステッロの別荘のために描かれたわけではないので、制作年は1477年まで遡るよりも、様式的に1480年代の方が適合する。

ライトボーンによる、分家のロレンツォとセミラーミデ・アッピアーニとの結婚記念画を表す説も考えられた。しかし、ブレデカンプはこれに反論し、ボッティチェリは1480年秋から1482年秋にかけてシスティーナ礼拝堂の壁画制作のためローマに滞在していたため、1482年7月に行われた結婚式に間に合わせる制作は不可能であるとした。

加えて、1480年代前半、分家のロレンツォは経済的に困窮していたので、『春』のような大作のために借金をしたとは考えにくい。


スクリーンショット 2020-01-22 11.41.30


政治的意図

『春』は1485年に、分家のロレンツォが財産、地位、名誉を回復したことを記念して注文した物だと考えられる

本家の当主であるロレンツォ豪華王は、メディチ銀王の経営に失敗したため分家の遺産を使い込み、フィレンツェの国費も流用したことなどを背景に、1484年に現金の引き出し禁止措置を行った。

それにより分家のロレンツォは支払不能に陥り、破産。私の財務局の役職を解雇された。分家のロレンツォは豪華王ロレンツォを起訴し、現金ではなく不動産などを一括して割譲することで85年に裁判は調停した。

また85年には分家の後継である長男、その後間も無く妻は第二子を妊娠し、88年に次男を出産した。春に描かれているアイリスとフローラが妊娠しているのはその影響であるとされる。分家の一族の存続と繁栄を祈願している

また、春の極めて写実的な植物の描写は1483年にフィレンツェに到着したポルティナーリ祭壇画の影響とされる。また、師匠フィリッポ・リッピも国際ゴシック様式の画家であり、その影響も少なからず受けていると考えられる。

一見すると神話の神々と植物が描かれているだけのように思われるが、当時のフィレンツェにおいて画中の植物は大きな意味を持っていた。

女神フローラ・フロレンティア・フィレンツェの響きが似ていることから、ルネサンス期のフィレンツェでは植物の世界と政治を結びつける手法が、独特の修辞法として認識されていた。

そのため、フィレンツェやその政治に言及する際に庭園や植物のメタファーが多用された。そして、支配者はそれぞれが神話の神々に擬えられ、神話主題は君主商用の目的などで用いられた。

例えばオレンジの果実はメディチ家の紋章のパッレ(玉)を表す。また、西風の神ゼピュロスの近くに描かれている月桂樹はラテン語でラウルス(LAURUS)であり、ロレンツォという名前はラテン語でラウレンティウス(月桂樹を戴く者の意)を指すことから、月桂樹=ロレンツォを暗示している

上部に描かれたオレンジとしなった月桂樹の下にいる花の女神フローラが、メディチ家ロレンツォの支配下にあるフィレンツェを指している

自分と同じ名前の聖人が守護聖人となるので、ロレンツォの守護聖人は聖ラウレンティウスである。火に焼かれて殉教した聖人であるため、メルクリウス着用の赤いマントに火焔の模様を描くことでロレンツォを示唆している。

メルクリウスの持つ長剣は鋼鉄製(アチャーイオ)で、分家のロレンツォの母ラウダミアの旧姓アッチャイウォーリと響きが似ていることから長剣は父フランチェスコの代から分家のシンボルとされてきた

また、分家のロレンツォの妻セミラーミデ・アッピアーニの実家ピオンビーノの領地エルバ島は古代から鉄鉱石の採掘と鉄の精錬で有名。長剣の柄の部分には月桂樹が束ねられている。

つばの部分はユリ(アイリス)の花が図案化され、フィレンツェの紋章・フランス王家の紋章を表している。1483年にフランス王シャルル8世が即位するとフランス大使に任命された分家のロレンツォは、ランス大聖堂で行われたシャルル8世の戴冠式に参列。それ以来王家と密接な関係を持ち続けたため、長剣のつばの図柄は分家のロレンツォに相応しい。

以上より画中のメルクリウスは分家のロレンツォを表す。画面の外をむき、オレンジが実る春の園に忍び寄る暗雲を追い払う様子は、自らが再生し反映させたフィレンツェを守ることを暗示している。

商業神・医学神であるメルクリウスに自身をなぞらえた理由は、『春』と同じ部屋(分家のロレンツォの自宅広間)に置かれていた『パラスとケンタウロス』(ボッティチェリ作:制作年不詳)から読み解くことができる。

医学・薬学を司るケンタウロスの長ケイロン(本家当主ロレンツォ豪華王の守護神)の髪の毛を掴む女神ミネルヴァは月桂樹を体に巻きつけていることから分家のロレンツォを暗示している。パラスのアトリビュート(持ち物)は斧槍ではなく槍だが、鍍金された儀式用の斧槍は儀礼的なもので、豪華王を見張る分家のロレンツォを示す。

つまり、本家の当主ロレンツォ豪華王の守護神ケイロンに対抗できるものを探していた分家のロレンツォは、自らをメルクリウスに擬えることを思いついたと考えられる

また、『春』に描かれたメルクリウスはドナテッロの彫刻作品『ダヴィデ』に似ているという指摘もある。


片足に重心をかけ、もう片足は爪先だけを地面に触れて立つコントラポストという姿勢が特徴的な本作品は、1476年にメディチ家本家からフィレンツェ市に譲渡された物である。敵の対象ゴリアテの首を剣で切り落とし、ユダヤの民を救った英雄とされる。分家のロレンツォはこのダヴィデの姿をメルクリウスと自分自身に重ねたとも考えられる。


そうすると、メルクリウスの持つ件は分家のシンボルだけでなく、独裁者ロレンツォ豪華王を倒して政権を奪取することも暗示している。

自由な商人の街フィレンツェを独裁政治から守り、また、遺産を横領され破産されて役職を奪われた恨みを晴らすという想いが『春』という作品に込められている。

『春』は、メディチ家の本家と分家の権力争いの中で豊かな象徴や隠喩を用いて、独裁者である本家の当主ロレンツォ豪華王とその政治を批判するとともに、豪華王を打倒して政権を奪取し、分家のロレンツォのもとで北条のヴィーナスに満たされた黄金時代を現出させる(=フィレンツェを再生、繁栄させる)という政治的意欲を表明した作品である。


一旦以上。

この記事が参加している募集

404美術館

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?