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「物語に物語に入っちゃった人」と比べられたとき、私は書くのが嫌いになった

自分でも、ちょっと自信を持ちすぎていたかもしれない、とは思う。
だけど私にとって「作文」の授業はいくらあっても足りないくらい心躍る時間で、あの読書感想文も、書きたいことをすべて書ききったー! と心から満足していたはずだった。

小学5年生のときの、ある日の国語の授業だった。
大好きだった担任の先生が、

「先生にはどうしても選べないから、みんなに意見を聞きたい」

と、こんな話を切り出した。

市が作成する「市内小学校合同文集」に載せる読書感想文を、各クラスから一人ずつ選ぶことになった。
本来は担任が選ぶのだが、甲乙つけがたい作文が二つあり、決められないでいる。ついては書いた人二人にみんなの前で発表してもらい、クラス全員の多数決で決めたい、というものだ。

そこで先生から呼ばれたのが、私とMちゃんという女の子だった。
二人で教室の前に立ち、最初にMちゃんが読み始めた。
だが、やたらとつっかえるし、ところどころ意味の通らない文脈が出てきて、そのたびに担任に「あれ? 先生これは?」などと尋ねている。

結局、「光里さんが先に読んで」と言われ、私は自分の作文を読み始めた。
私が読んでいる間、先生とMちゃんは横の方でなにやら小声で話していて、私が読み終えると、Mちゃんがもう一度最初から読み始めた。

だけどやっぱりMちゃんは、何度もつっかえては先生に助けを求めている。
自分で書いた文章なのに、なんで普通に読めないのだろう。
不思議に思った私は、Mちゃんの原稿用紙に目をやった。

すると、その作文用紙は赤ペンで全体が真っ赤になるほど添削され、段落の前後がページをまたいで入れ替えられたり、先生の追記が行間にびっしり書き込まれたりしていた。
これじゃあ、すらすら読めなくて当たり前だ。

Mちゃんの読んだ本の主人公は確か「ポリアンナ」だった。

彼女の感想文によると、事故に遭って下半身不随になってしまったポリアンナが、リハビリを成功させてついに立ち上がる、というシーンがこの物語のクライマックスだったように思う。
Mちゃんはそのシーンを語る前までは、本当にたどたどしい口調で作文を読み上げていたのに、
「ポリアンナのことが心配でたまらなくなった私は、いつの間にか物語の中に入っていて、ポリアンナの部屋に向かう〇〇さんの後ろについて歩き始めていました」
といったことが書かれていたあたりから、急によどみなく生き生きと語り始めた。
多分この部分は、Mちゃんオリジナルの文章がほとんど残っていたのだろう。
それからもMちゃんはよどみなく読み続け、
「〇〇さんは、立ち上がったポリアンナを見て、びっくりして持っていた水差しを落としてしまいました。私も持っていたお皿を落として割ってしまいました」
と語った部分では、クラス全員が大爆笑した。

圧倒された。
その前に私が読んだ感想文なんて、もうだれも覚えていないだろうなと思った。
それくらい、面白かった。
そしてようやく分かった。
このシーンは「Mちゃんオリジナルの文章がたまたま残っていた」のではない。
先生はここだけは極力、手を入れたくなかったのだ。
そして、このシーンをみんなに聞かせるために、先生は他の部分をあれだけ書き直したんだな、ということも。

Mちゃんが読み終わると、先生は
「光里さんの方がよかったと思う人、手を挙げて」
と言った。
パラパラとまばらに手が挙がった。
「Mさんの方がよかったと思う人、手を挙げて」
クラスメートのほとんどが手を挙げた。

惨めだった。
確かに面白かった。
本当に面白かった。
だけど、9割が先生の手による作文になんて、私、勝てっこないじゃん。
ていうか、それMちゃんの文章と言えるの?
私の作文、先生はどこも直さなかったよね。
Mちゃんのもともとの作文だったら、市に推薦できないから直したんでしょう?
そこまでしてこれをみんなに読んでもらいたかったんでしょう?
だったら最初から、Mちゃんのを出せばいいじゃん。
なんでわざわざこんなことすんのよ先生。

色んなことが悔しくて、涙をこらえながら自分の席に戻っていると、目ざとい男子が「あー! 光里が泣いとるぞー」と茶々を入れた。
まだ泣いてないわ! ちょっと涙が溜まってるだけだ! 
私はそいつを、うるんだ目でギッとにらみつけた。

もう嫌だ。バカみたいだ。
やらなくてもいいことをわざわざ企画した先生も、選ばれて喜んでいるMちゃんも、デリカシー皆無の無神経男子も、9割先生作の作文に手を挙げたクラスメートも、そしてなにより、代表に選ばれず、Mちゃんに嫉妬して悔しがっている自分が一番。

「作文」や「読書感想文」は学校にいる限りついて回るので、その後もなにかしら書いてはいたが、ただ無難にやりすごすことだけを心掛け、内心ではめんどくさいと思っていた。
どんなに一生懸命書いたところで、あんなふうに当て馬にされることだってあるのだから。

自発的に何かを書いてみようと再び思い立ったのはそれから10年以上たってからで、私はそのとき、北京からモスクワに向かう国際列車の中にいた。
列車の旅なんて退屈だろうと思っていたらむしろその逆で、見るもの聞くものすべてが驚きの連続だった。
貴重で何物にも代えがたい当時のその経験を、記録に残さないではいられなくなった私は、毎日ペンを走らせた。
文字通り、書くことに没頭していた。
ノートの白いページが、見る間に減っていった。

だれかから評価されなくたって、書く喜びはあるはずだ。
そもそも、人から認められることだけが、ペンを取る動機でもないだろう。
心が動くことがあったら、それを好きに書いたらいいんだよと、当時くさっていた11歳の自分に教えてやりたい。

……いや、違うな。
「もうちょっと待ってろ。そのうち、書かずにはいられない!!! って気持ちが心から湧き上がってくる日が来るから、今から楽しみにしとけよ!」
の方がふさわしい。
国際列車の中で突如スイッチが入る快感は、やはり何物にも代えがたいから。

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