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新規就農物語⑥〜沖縄移住〜

第5話目にして、ようやく農業を始めた高松でした。

過去記事はこちらにまとめてありますのでお時間あればご覧ください。高松と言う人間がどんな人間なのかよくわかると思います。

さて、農協の仕事を辞めた高松でしたが、辞めた時期がちょうど1月。と言うことで、今思えば梨の剪定仕事やら何やらやるべき仕事はあったと思うのですが、それでも農業の仕事をしてみたい!と思い、とりあえず暖かい所へ向かうのです。

当時、「ボラバイト」と言うシステムがあり(今でもあるのかな?)ボランティアとバイトを組み合わせた求人があったのです。

今思えばただの求人だったように思うのですが、そこはまぁいいでしょう。

暖かいところで誰も知っている人がいなくて、1月でも農業ができるところ。

沖縄だ!

と思い、そのボラバイトで沖縄の農家の求人を探すのでした。それが退職願いを出すと同時くらいに始めたんだったかな。

そしてポンと目に入ってきた求人が、

「伊江村のサトウキビ収穫とタバコの管理」と言うお仕事。

地図を見ると沖縄の中部より少し上らへん。の沖縄ギリギリ本島くらいに星マークがついていたので、離島ではないんだなとそこへエントリーを出すと、社長本人からすぐに電話がかかってきました。

1〜2分電話で話して、その場で採用が決定。

1月できれば早めにきて欲しいとのことだったので、1月6日まで今の仕事を続けなければならない旨を話すと、じゃあ1月8日に来てとの返答。

「あ、わかりましたー!」なんて言って電話を切ったのですが、考えてみれば退職後2日で沖縄へ行くことに電話を切った後に気づくのです。

そして引き継ぎなどを終えて、こんな急に辞めた人間に送別会まで開いてくれて、最後は円満(?)で辞めさせてくれた農協には本当に感謝しかありません。

さぁ、いよいよ沖縄生活の始まりです!

そして、いよいよ農家として本格的に一歩を踏み出したしました!


当日、社長にこれから向かいますと言うことを伝えると、

「じゃあ、○時の【フェリー】に乗って!そこの港に迎えに行くから!」

と言う言葉を残してプツッと電話を切られる。


(えっ!?フェリー?本島じゃねぇの?)


とそこで初めて気付くのです。

沖縄県国頭郡伊江村とは、沖縄中部の離島であると言うことを。

またしても出鼻を挫かれる…。

まじか!離島か!とびっくりはしましたが、まぁ沖縄まで来たんだから今更本島も離島も関係ないですよね。

どっちゃでもいいわ。

と思い、ひとり飛行機に乗り込んで沖縄へと向かうのです。

その日の新潟はかなり大雪の日でした。自分が乗る飛行機が飛ぶか飛ばないか、微妙なところだったのですが、なんとか飛び立つことができたのですが、後で聞くとそれ以降の飛行機は全便決行だったとのこと。

「沖縄空港へ着いたらとりあえず電話しなさい」と社長に言われていたので、電話をするも出ない。

何度電話しても、出ない。

まぁいいかと思って自分で調べて伊江島行きのフェリー乗り場までバスで向かっている途中で、ようやく社長から電話が来たと思ったら、

「今日忙しいからフェリーまで迎えに行けない!港のタクシーに○○の家までって言えば来れるし、歩いてもそんなに時間かからないからどっちでもいいからとりあえず来なさい」

とのこと。

あぁ、まぁいいですけど、タクシーの運転手が名前でわかるってどんな島!?となんか不安にもなったり…。

そうこうしているうちにフェリー乗り場まで辿り着き、フェリーに乗り込んで30分ほどでそこはもう未知の島、伊江島なのでした。

その頃、貯金も全くなかったし、まだ退職金も入ってきていない状態だったので、タクシーはもったいないと思い、近いって言ってたし歩こうと思って歩いたのですが、距離的にはそんなにないのですが、ずーーーーっと登り坂。30分から40分くらい坂を登ってようやくそれらしき家にたどり着いたのです。


ここまで社長とのやりとりをご覧になるとわかると思いますが、これが沖縄です笑

適当さで言うと、高田純次をはるかに超えています。

最初はそれがめちゃくちゃカルチャーショックでしたが、住めば都でだんだんそれに慣れてくるものですね。


当時はビデオ電話なんてなかったし、写真を送るにもパケット代が結構かかる時代だったので、社長の顔を見るのも初めてです。

「ごめんくださーい」と言って出てきた男は、

ずんぐりむっくりで毛むくじゃらでソース顔の男。

「おー、よくきたな!名前はなんだ?」

と言うのが最初の会話。

「あ、高松と申します!宜しくお願いします!」

と返すと、

「いや、下の名前は?」

と返ってきたので、

「あ、利行(かずゆき)です」

とお返しすると、

「かずゆきよくきたな!さぁ昼ごはん食べよう!」

となんと気さくなこと。

聞けば、その島では同じ苗字がめちゃくちゃいっぱいいるのでみんなが下の名前で呼び合うのです。

なので下の名前を呼び合い、自分も社長や奥さんやその息子さんのことを○○さんと下の名前で呼んでいました。(おばぁだけは「おばぁ」と呼びます。未だに名前がわかりません)

今でも忘れない沖縄初のお昼ごはんは、

・タコライス

・なかみじる

でした。

「なかみじる」って何かご存知でしょうか?豚の中身、そう、豚の内臓のお汁です。

めっちゃ美味しいんですが、名前がグロテスクで笑ってしまったのを覚えています。


お昼ごはんを食べ終わると、翌日からお仕事と言うことでその日は伊江島観光。奥さんにいろんなところに連れて行ってもらって1日を終えたのです。


あ、住み込みのバイトは自分を合わせて3人でした。

全員男で1Kのお部屋に男3人で暮らすのです。もはやそれが一番不安でした…。


さぁ、明日からはいよいよ農家として沖縄生活の始まりです!

結論から言うと、半年間を沖縄で過ごしました。

どんな生活をしていたのかはまた明日。

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