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他人には理解されない

今日は、最近よく相談を受けたり見聞きする"理解されない"話に一言書いてみたいと思います。

他人に100%理解されようなどと期待すること自体が間違いです。説明を尽くしても理解されない、理解できない人もいます。それは考え方や価値観の違いなので、どれだけ丁寧に説明しても理解されない時はされません。そして一人でも理解を示してくれる人がいたらなば御の字と思うことです。

公的機関で理解されるまで説明せよという立場の人は、理解されるように最善は尽くす責務はありますが、最終的に理解されなくてもそれはそれで致し方ないことということで割り切ることも大切です。割り切れないならその役割は向いていないので、転職した方が良いでしょう。

また、よくある勘違いが、これは社会的に正しいこと、良いことだから理解が得られるであろうという思い込みです。理解が得られるか否かは、その内容だけでなく、語っている人、やっている人が信頼に値する人か否かという要素の方が大きいので、内容がいくら素晴らしくても、信用されなければ理解も得られません。理解を得るには信用からとも言えます。

極端な話、怪しげな新興宗教で一般的におかしなことを言っていても、そのことを信用し、理解している信者の方々がいるのを見ればその意味が分かるでしょう。歪曲して信じているだけとも言いますが・・・。

教祖が絶対的存在であればあるほど、そういう構図が創られるのです。それを利用した犯罪はいつの時代もなくなりません。今も現在進行形で・・・。

他者による100%の理解などあり得ません。それがあるなら今の社会にある問題がすべて解決してしまいます。解決しないということは、そういうことです。

俯瞰して見れば当たり前のことも、目先の自分の利害が関係してくると急に見えなくなること、見たくなることもありますが、社会は理解を得られなくとも一定数の理解が得られればそれで回っていくのです。

他者に理解して欲しいなどと思わないことが心の健康を保つには良いのですが、理解して欲しいことをやっている、やろうとするのであれば、まずは人として信用されるようになることから始めてみてはどうでしょう。

タイトル画像:ぱくたそhttps://www.pakutaso.com

著者:原田光久(ひかりば 代表 / コミュニケーション・プランナー) ●社会問題解決アドバイザー、新規事業開発・地域創生・経営支援 ●行政・教育機関・民間企業で研修・講演・IT推進をサポート ●連絡先:harada@hikariba.com