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【17話】人は1人では生きていけない

人は1人では生きていけない。誰かとコミュニケーションをして成り立っていくものである。コミュニケーションが乏しくなると、心も乏しくなってしまう。何度も伝えるが、機械が増えていくのはいいが、その分、人とのコミュニケーションのことも考えていく必要がある。時に人とのコミュニケーションでは、摩擦を生む。しかしその摩擦も尊いのである。心と心が交わったから摩擦が生まれたのだ。
 
 
 たまにこういうことはないだろうか? いつもなら、我慢できている些細なことも、なんだか今日は我慢ができなくて、ついつい、相手にきつく言ってしまった。私は最近疲れているのかな?イライラしているのかな?今度の休みは、リフレッシュしよう!等、相手との摩擦が生じたことで、自分の心の様子を伺うことが可能なのだ。 相手との摩擦を避け続けることは、自分の心を伺う機会も減るということ。自分で自分の心の状態を把握する機会が減る。気づいた時には、もう手遅れ・・・とならないように、積極的に人とのコミュニケーションを取ることを心がけるようにしなさい。
 
 
 これをいうと、私には心許せる友達がいないだの、家族とも仲が良くないなどと言う声が聞こえてくる。私は、いま、そういう話をしているのではない。 例え、友達が少なくとも、家族と疎遠であっても、人とのコミュニケーションは可能だ。お店の店員に対して、または道行く人に対してさえも可能である。


 一つ付け加えておくが、コミュニケーション=会話だけではないぞ。笑顔で会釈することも、立派なコミュニケーションの一つである。コミュニケーションが苦手だと言う人がいるが、そういう人は大抵、人と会話をするのが苦手と言う事を指している。その場合は、表情に気を配りなさい。会話をしなくても、「あの人はいつも穏やかな表情をしている」等は、相手に伝わるものだ。コミュニケーションが苦手だと言って、自分に殻を被っている人も多くいる。その状態じゃ、相手からも怖がられ、相手から話しかけられることは、ないだろう。「誰からも話しかけられない」ではない。もし話しかけて欲しいなら、自分の殻を破り、自分から話かける必要がある。何も動かない人ほど、受け身の姿勢であるだけでなく、上から目線で相手に求める。そういう人ほど、今一度、自分を見つめ直して、これからしっかりと、自分の人生の歩き方で、生きて欲しいと願う。
 
 何事も手遅れということはない。「自分には無理」と言っている人は多い。また「そんな夢みたいな事言ったって、何も変わらないよ」と、自分の人生を諦めている人もいる。自分で無理と思っているなら無理であり、何も変わらないと思っているなら、何も変わらない。そして自分の人生を諦めているなら、その通りになるだけである。そういう人たちに、神は手を差し伸べると思うか? 神は手を差し伸べない。これは誰に対してもである。神は、アドバイスを伝える立場であり、誰かの人生に介入はしない。
 
 もし、こんな自分でも変われるのかな?と少しの希望を持ち、行動してみようと思った人に対して、この本「自分の人生の歩き方」を通して、私は君にアドバイスを送る。私にできることはそれだけだ。私が手伝えるのは、これだけだ。一つ一つ自分を知っていく行動をしていくのは、君自身だ。君の人生を変えていくのは、君自身なのである。
 

 別に大きな何かを成し遂げる人になって欲しい訳ではない。
ただ、一人一人が、自分の人生を歩いて欲しいのだ。誰かの真似をしたり、違う方向に頑張って走り続けてしまえば、いずれ、限界がくる。身体や心が悲鳴をあげる。そして自分の人生とは何なのかを考えることなく、今世を終わる人もいる。なんのために、今世があるのか?それを地球に生きながら、探し続けて欲しい。肉体を離れた時に、後悔をしないように。
 

  最後に、あなたの人生の歩き方は、この世に、どこにもない。誰かの人生の歩き方はたくさんあるが、それはあなたではない誰かの人生の歩き方。しかし参考になる部分も多いにある。であるが、誰かの本の真似をしても、意味はない。参考になる部分だけを、自分の人生の歩き方に取り入れていくことが大事だ。尊敬するあの人の歩き方、または有名なあの人の歩き方、両親の歩き方も参考になるかもしれない。誰かの人生の歩き方で参考になる部分を取り入れつつ、自分流に人生を創り上げていく。これが大事なのである。
 
 さぁ、君も、自分の人生の歩き方を紡いでいこう。

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