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留学の心の拠り所:未知の土地での支えと絆

 学生時代、留学という大きな一歩を踏み出した時、私は多くの不安や期待を胸に秘めていた。新しい土地、新しい文化、そして新しい言語。そんな未知の環境の中で、思っていた以上に困難や挑戦が待ち受けていた。そんな中、節目節目での困難を乗り越える力となったのは「食」であった。
 渡英前、私は自らの英語能力に自信を持っていた。学校での成績は常にトップクラスで、外国人とのやり取りでも通訳を担当する程であった。異国の地でもコミュニケーションに困ることはないはずと考えていた。しかし実際に留学先での生活が始まると、その自信は一瞬にして打ち崩された。特に、パブでの会話は最悪だった。彼らの英語は学校やビジネスでのやり取りとは全く別物で、正確に聞き取れても文化的に意味が分からない。一昔前に流行った一発ネタ等分かるはずもない。そんな高速のやり取りを見る光景は、ウィンブルドンのテニスの試合をコートの脇で見守るボールボーイのようだった。華麗に決まるスマッシュ。そして圧巻のプレーに沸くパブ会場。私には何が面白いのか分からず、ただ心から笑う友人たちに合わせて愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
 そんな一刻も早く消え入りたい時、卓上の料理が私を支えてくれた。食事が心の隠れ家となり、それを通じて自分自身と向き合う時間を持つことができた。イギリスの食事は、素材の味を生かして味付けをせず、テーブルの塩と胡椒で調整するといわれているが、よくよく注意すると独特の味を感じた。特にペーストにされたり、茹でられただけだったりするビーンズは、日本ではあまり食べたことがない、苦いのか酸っぱいのかどっちつかずな粘りっこい濃い緑の味がした。
 留学生たちとの交流を深める中で、互いの料理文化を共有する機会がじわじわと増えていった。各国からの学生たちは、母国の伝統的な料理を持ち寄り、食卓を囲むことで文化交流を深めていた。例えば、ベネズエラ出身の友人は「アレパ」という伝統的な料理を作ってくれた。外見はシンプルながらも、一口食べるとメキシカンとも少し違うような、しかしながらほんのりと南米特有の暖か味のある辛味が広がり、彼の故郷の味を感じることができた。
 私も積極的に留学生仲間との交流を深めるために、ホームパーティを主催する側となった。参加者たちに楽しい時間を提供したいと考え、日本人としてはベタ過ぎるが外すことはない手巻き寿司を提供することに決めた。手巻き寿司は、参加者たちが自分の好みに合わせて具材を選び、きざまれていない海苔を使って自分で巻く楽しさがあった。準備したのは、酢飯、海苔、そしてさまざまな具材。シンプルながら、これが大当たりとなった。
 パーティの当日、多くの参加者が初めての手巻き寿司に興奮していた。生魚には少し抵抗があったようであるが、彼らは、自分の好きな具材を選び組み合わせる楽しみや、均等に巻くのは意外と難しい寿司を巻く技術に夢中になった。おすすめの組み合わせや、あまりやらない調味料を組み合わせることで、更に盛り上がりを見せた。
 「食」はただの生命維持の手段ではなく、心の栄養にもなった。留学の終盤に近づくと、奨学金の期限が差し迫ってきていた。当初の予定よりも長く滞在することになった結果、銀行の通帳とにらめっこしながらの毎日が続いていた。経済的な制約から、私はコスパを重視して大量の安いパスタを買い込んでの食生活を続けていました。しかし、味付けに使うソースやドレッシングは価格が高く、手を出す余裕がなかった。そこで、私は調味料だけを駆使して工夫を凝らした。塩、胡椒、醤油、オリーブオイルの4つを基本として、それらを使うか使わないかの組み合わせで15通りの味を作り出し、(全く味のしない茹でただけのパスタを除いて15通り)、によりどうにか味を絞り出し、飢えをしのいでいた。
 昼食の時間は、賞味期限ギリギリになって半額シールが貼られた食パンを買い込んで、バターを薄く塗って出来た、辛うじて食べ物と呼ぶことが出来そうな湿らせた塗れ雑巾のようなものを口にするで飢えをしのいだ。賞味期限が切れたパンは角が青く変色したり、白い毛のようなものが生えたりし、ほんのりカビの味が口に広がったこともあった。
 そんな極貧生活の中、ある日図書館で課題に苦しんでいると、隣の席に座っていた友人が近づいてきた。「ちょっと気分転換に、ご飯行かない?」とのお誘いが。そして、彼は「今回は私のおごり」と言って、レストランへ連れて行ってくれた。彼の気配りに、私の目には感謝の涙が浮かびました。隣の部屋の韓国人の友人が「作りすぎちゃったから」と言って、辛くて美味しいチゲを持ってきてくれ、フロアの上に住んでいるイタリア人の女の子は、家族のレシピで作ったグラタンを分けてくれた。そのグラタンは、クリーミーで濃厚な味わいで、カビとオリーブオイルで味覚を失いかけた舌と、貧困で荒んだ心を同時に満たしてくれた。
 これらの「食」の瞬間は、物質的な困窮を乗り越える力となった。心が疲れ果てていた私にとって、友人たちの手料理やごちそうは、心の癒しとなり、留学生活の中での小さな幸せとなっていた。今振り返ってみても、彼らとの食事の時間は、私の留学生活の中で最も価値のある時間であった。彼らとの「食」がなければ、私は留学を途中で断念し、中退していたかもしれない。彼らとの食事は、私の留学生活の中での貴重な宝物となり、今の私の存在の礎となっている。彼らとの食事があったからこそ、私は今の自分がある。私は、彼らとの時間を決して忘れることはない。
 時は流れ、留学から数年が経ったある日、私は彼らの結婚式の招待状を手にすることとなった。彼らの結婚式に向かう道中、心の中はワクワクとドキドキの入り混じった感情でいっぱいだった。留学生活を共に過ごし、多くの困難を乗り越えてきた彼らの結婚式は、私にとっても特別な日であったからだ。
 式場に着くと、そこには留学時代の友人たちが顔を揃えていた。一人一人と再会する度に、当時の思い出が蘇ってきた。そして、式が終わると、披露宴の席での食事が始まった。その食事は、留学中に彼らと共に楽しんだ食事と変わらず、国際的で豪華なものであった。料理を楽しむ中で、私たちは、互いに食事を奢ってくれたことや、合同で料理を作った日々、さらには特別な食材を分け合ったことなど、様々なエピソードを笑いながら振り返った。助けてくれた彼らは「もうカビの生えた塗れ雑巾は食べていないのか」「パスタの新しい味は思いついたか」と当時の極貧生活を茶化すエピソードが次々と出てきた。披露宴が進む中で、私たちは再び「食」を通じて絆を深め、留学時代の思い出を胸に刻み込んだ。そして、新たな一歩を踏み出す彼らの門出を祝福するとともに、私たちの間の絆をさらに強固にしたのであった。
 留学時代、未知の土地で直面した困難や文化の壁、そして寂しさ。それら全ての中で私を支えてくれたきっかけを作ってくれたのは「食」だった。「食」はただの栄養補給ではなく、心の拠り所となり、異文化との架け橋となった。「食」は、私の心の救済となり、その栄養以上の付加価値は計り知れない。私の留学の記憶は、「食」による暖かい思い出で満たされている。


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