心地よい麻痺とゆるやかな退化
考え方の変化と目標の再構築
赤裸々に言うと「Jリーガーになる」という目標は変わってきています。
正直に言うと、もう目指していないと思います。
「と思います」と書いたのは自分でもまだはっきりしていないからです。
それは諦めるのが怖かったり、他人からの見られ方が気になるからかもしれない。
鎌倉インテルで過ごすサッカー人生は実に充実したものです。
理由は挙げ始めるとキリがないのだけれど、端的に言えばクラブの存在意義とピッチの中が通じていることによる自分たちのサッカーへの誇りと自分たちのサッカーが誰かの役に立っているという実感を色んな角度から感じられること。
だと思っています。
Jリーガーにならなくてもいいと思い始めたのはこの充実感からです。
ならなくたって自分が求めるサッカー選手にはなれるかもしれないと、そう思いました。
細かい話は別の記事で書きます。
ただ、
本記事の主題は鎌倉インテルの素晴らしさではなく、そこに身を置いて1年と4カ月が経った今自分に起こっているゆるやかな退化についてです。
麻痺
昨シーズンは全ての公式戦に出場した。
今年も現時点で全ての公式戦に出場している。
恐れ多いが、ファンの方もいる。
暖かい人たちに囲まれて
一生誇れるチームメイトがいて
良いプレーもたくさんしてきた
最高な勝利をいくつも納めてきた
こんなに素晴らしいいくつかの事象が自分を取り巻く環境にある、今までのサッカー人生において稀有な状況でした。
そんな中、先週の練習でふと気づいたことがありました。
自分の中に、飢えのような、渇きのようなそんな、サッカーに対して渇望する気持ちがなくなっている。
トレーニング終わりに監督が全員に投げかけた
「誰も取り乱さないし喧嘩も起きない、練習の合間葬式みたいになってる、受け身なんだよねずっと」
やけにムカつくその言葉、ムカつくのは図星だからで、自分が失点してもフラストレーションをあらわにしなくなったこと、体を張らない味方に対してキレなくなったこと、脳が擦り切れるほど何か意識をしてトレーニングしなくなったことに気が付いた。
今の環境は素晴らしい。
こんなに幸せなサッカー人生は今までなかっただろうと思います。
でも、今の自分はダメなんです。
どこかで今の環境に慣れ、このぐらいでやっていけるという感覚を見つけ、恵まれた環境の甘い蜜を吸い、気づけば退化していた。
心地よく麻痺し、ゆるやかに退化しました。
サッカーに対してこの身一つ、すべてを投げ打つぐらいの覚悟じゃないと自分で自分のサッカー人生に胸を張れないと思うのです。
ここ数週間の練習に対する不完全燃焼感、監督やコーチやチームメイトの言葉に対する拒否反応、ピッチに立つ自分に対する嫌悪感。
これら飲み込んでいた感情がそのすべてを物語っていました。
僕は麻痺していました。
飢えろ
ビジョンや環境なんかにあぐらをかいて飢えていなかった自分が急に恥ずかしくなり、同時に憎たらしくもなりました。
もったいない時間を過ごしたように思いました。もっと成長できたはずだと。
もっと必死になるべきだと。
ビジョンも、誰かのためにもその後ろについてくるはずです。
僕にはサッカーをしなきゃいけない理由なんてひとつもないんです。
だからこそ誰よりも必死になりたい。
サッカーで生計を立てていプロサッカー選手が生きていくためにサッカーに必死になるのであれば、サッカーで生計を立てていないサッカー選手である僕は、自らの意志でサッカーをすることを選びピッチにいることを理由に必死になりたい。
サッカーてものが好きなわけです。
自分で勝手にサッカーしにきて必死にならず、なにも背負わずサッカーをするなんて、虫が良すぎる。
サッカーで幸せになりたければ、それだけのものを懸けろというのです。
サポートいただいたお金の使い道 4:love futbol japan への支援金 4:片親家庭支援団体への寄付 2:自分のサッカー人生への投資 最後まで読んでいただきありがとうございます。 よろしくお願いいたします。