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よく読んで、よく書いた年

去年、どんな一年だったと聞かれたら、

「よく読んで、よく書いた年」と答えるだろう。

そんな実感をもつほど、ひたすら文字を目で追い、指を動かし文字を書き連ねた。

本を読むことは昔から好きだったのだけど、こんなに読んだ年はなかった。(自分史上、一番本を読んだと思われる)

いろんな作家さんを知り、いろんな考えを知ることができた。

これはTwitterを始めたのがかなり大きくて。

本の感想ツイートなどを通して、さまざまなジャンルの本と出会うことができた。感謝。

今年も本を読んで感想を書くことは、続けていきたいと思う。

文章を書くほうは、これまた自分史上、一番文字を書いた年になった。

わりと分量のある児童文学や小説を書くことに挑戦したり。

このnoteも去年の11月ごろからなんとなく書き始めて、なんとか続いている。奇跡。

途中、やめようかなと思ったことは幾たびもあったが、継続できている。


書くことで何を得たか。

一応、実感として4つある。

1つめは、相手のことを考えること

誰かに読まれる場所に書いている以上、それを読む人がいる。

いかに❛ 相手に伝わるように書くか ❜というのを意識するのは、はじめてのことだった。

ただ自分の思いを吐き出すだけでは、相手には伝わらなくて、これを読んだとき❛ 相手はどんなことを思うか ❜という視点を自分の中に持つことができた。(まだまだ修行中の身ですが)

2つめは、自分の想いに気付けること

自分の想いだから、自分の想いに気付けるのはあたりまえだと思われるかもしれないが、そうではないのだ。

これは、去年書いたnoteなのだけど、

ここで引用した若松英輔さんの文章があって、彼はこんなことを言っている。

想いを書くのではない。むしろ、人は、書くことで自分は何を想っているのかを発見するのではないか。書くとは、単に自らの想いを文字に移し替える行為であるよりも、書かなければ知り得ない人生の意味に出会うことではないだろうか。

実は、この言葉がきっかけで書くことを始めた。

自分で書いていながら、こんなことを思っていたんだという客観的になる瞬間が何度もあった。

3つめは、頭の中を整理できること。

文章にすることで、頭のなかではぼんやりとしていたものに筋が通る。

先ほども言ったが、noteに書くということは、人に見られることでもある。

頭のなかではまとまりがないし、そのまま書いたところで、相手のことをまったく意識していない独りよがりの文章になってしまう。

人に見られることが頭の片隅にでも意識できていると、構成とか言葉のチョイス、文章のリズムなどを考えるため、文章にまとまりがでる。

つまり、読みやすいものになる(この文章は読みやすいものになっているだろうか・・・)

これは読む人にとってもいいことだし、自分にとってもいいことだ。

4つめは、ある程度、自分の自由が利く場所を持てたこと

これが、一番自分のなかでは大きかった。

ぼくなりの自由の定義は、誰にも強制されないこと。

強制されず、自分のやりたいことができる。思ったこと、感じたことを言える。

そういう場を持つことで、深く自分と向き合うことができた。


と、今更ながら2018年を振り返ってみた。

これからも書くこと、読むことを続けていきたい。

お正月テンションでかなり本を買ってしまった。

今年もよろしくお願いします。



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Twitter:@hijikatakata21

最後まで、読んでくださってありがとうございます!