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第14回「オンライン哲学カフェ参加録~お金編・その1~」

◆はじめに

 1月8日(土)の夜、彩ふ読書会のメンバーとZoomを使ってオンライン哲学カフェを行いました。今回はその振り返りを書いていこうと思います。

 哲学カフェとは、簡単に言えば、テーマを決めてともに考える集まりのことです。「友だち」「プライド」「ゲーム」「お酒」など、とにかくテーマを1つ決めて、集まった人同士で思っていることや考えていることを話し合ったり、問いを発したりします。そのやり取りを通じて、参加者それぞれが自分なりのものの見方を練り上げていくことが、哲学カフェの目的です。意見の正しさを判定したり、結論をまとめ上げたりするのではなく、出てきた話をまずは受け止め、そこからゆっくり考えていくのがポイントです。

 また、哲学というと「昔のエライ人がこんなことを言っていた」という話をイメージする方がいるかもしれませんが、哲学カフェは哲学者の話をするための集まりではありません。専門的な話をするのではなく、身近な物事について普段の言葉で考える場所、それが哲学カフェというものです。

 彩ふ読書会はその名の通り読書会ですが、メインの読書会以外にも、メンバーがそれぞれの趣味や興味を持ち寄って様々な派生活動を行っています。哲学カフェもその1つです。現在は、読書会哲学カフェの立ち上げ人であるちくわさんという方が中心になり、2週間に1回のペースでオンライン哲学カフェを行っています。

 さて、1月8日、2022年最初の哲学カフェのテーマは「お金」でした。お金は実に身近なものです。日々の買い物をはじめ色々な場面で、僕らはお金を使っています。しかし、身近すぎるがゆえに、お金について時間を取ってゆっくり考えることはあまりないように思います。そのお金を巡って、どんな話が飛び交ったのか、その話からどんなことが見えてくるのか、これから書いていきたいと思います。

 予め断っておきますが、この振り返りは、哲学カフェで出た話を、全て、順番に書き出したものではありません。僕自身思考を整理しながらこれを書いていて、その過程で内容を取捨選択したり、話の順番を入れ替えたりしています。生の議論と比べると幾らかスッキリしていますし、僕という書き手のフィルターも強くかかっていますが、ご了承ください。

 ちなみに、今回の哲学カフェの参加者は、途中入退室した方も含め全部で9名でした。これは最近のオンライン哲学カフェでは多い方です。中には聞く専で参加した方もいましたが、折を見て話に加わったり、Zoomのチャット機能にコメントを寄せる形で議論に参加したりした方もいたので、結局殆どの人が議論に参加していました。また、哲学カフェ初参加のメンバーもいました。大きな輪を作って色んな話を聞くことができたのは、とても良いことだったように思います。

◆1.お金と幸福の関係を考える

「大金を手にするのは幸せなことなんだろうか?」

 こんな疑問が寄せられたところから、今回の哲学カフェは始まりました。

 お金を手に入れるのは嬉しいことです。百円貰ったら嬉しいですし、1万円貰えたらもっと嬉しいでしょう。しかし、宝くじが当たって10億円いきなり手に入ったとしたらどうでしょう。もちろん嬉しいには違いありませんが、百円や1万円の時とは違って「どう使ったらいいんだろう」という戸惑いもあり、かえって純粋に喜べないという人もいるかもしれません。少なくとも、10億円は1万円の10万倍嬉しいというほど話が単純でないことは確かでしょう。

 お金と幸せとの関係はどのようになっているのでしょうか。そんな問いを考えていると、ある参加者から次のような発言が出てきました。

「お金と幸せの間には何かがあるんじゃないかと思うんです」

 確かにその通りです。僕らはお金を使って、欲しいものを買ったり、快適なサービスを受けたりしています。お金と幸せの間には、これらのものやサービスがあります。お金そのものが幸せをもたらすわけではなく、お金で買ったものやサービスが幸せをもたらしてくれるというわけです。

 ここから、お金は幸せになるための手段・道具であるということが見えてきます(哲学カフェの中でも「お金はあくまで道具だと思ってます」と話した方がいました)。厳密に言えば、お金で買ったものやサービスも幸せそのものではなく幸せの手段・道具になるわけですが、お金の方が幸せとの関係がより間接的であることは明らかでしょう。ですから、お金をただ持っているだけでは意味がなく、お金をどう使うか、どう使おうと考えているかが大事だということになります。

◆2.お金を増やすこと自体が喜びになる理由

 お金そのものは特に値打ちがあるわけではない。お金を使って欲しいものや快適なサービスを得ることに意味がある——この考え方はとても大事なものですし、内容的にも正しいことを言っているように思います。

 とはいえ、現実に目を向けてみると、お金を増やすことそのものに喜びや幸せを見出している人もいることでしょう。預金残高の増減に一喜一憂している人などを見ていると、そう考えたくなる人もいるかもしれません。

 そこで次に、お金は幸せの間接的な手段に過ぎないはずなのに、それ自体を増やすことに喜びや幸せを覚えることがあるのはどうしてなのかについて考えてみたいと思います。色んな理由が浮かびそうですが、ここでは哲学カフェの内容をもとに、2つの考えを書き出してみましょう。

 1つ目の考えは、人は数字が増えることに喜びを見出すからだというものです。僕らは一般に、お金の多さを数字で表します。先に触れた預金残高はその典型例と言えるでしょう。残高が増えると嬉しいから、お金が増えることが喜びになるというわけです。

 この考え方に従えば、お金に執着しているように見える人は、実は数字にこだわっているのだということになります。本当にお金が欲しいわけではなく、お金が増えたり減ったりすることにゲーム的な快楽を見出しているのかもしれません。もちろん、お金が増えることに喜びを見出している人全員がゲーム的な快楽を味わっているというわけではないでしょうが、こういう見方もできるというのは間違いないように思います。

 もう1つ紹介したいのは、お金があると選択肢が増えるので安心や喜びが生まれるという考え方です。実際に出たたとえですが、夜帰りが遅くなった時、お金がなければ家まで歩いて帰るしかありませんが、お金があればタクシーを呼ぼうかなと考えることができます。つまり帰り方の選択肢が増えるのです。このように、お金があるとできることの幅が広がります。それが喜びの源だというわけです。

 僕は哲学カフェが終わった後になって、この考え方はもっとよく見ておくべきだったと思うようになりました。ふと思い当たるところがあって調べてみたのですが、お金の持つ最も重要な性格はそれが可能性を表すということであるというのは、これまで多くの哲学者が言及している重要なポイントに当たります。そして、お金が可能性としての性格を有するのは、それがものやサービスを得るための手段であるからなのです。

 お金はものやサービスを得るための手段に過ぎないのでした。しかしそれ故に、お金は他の何ものにでも化けられるという特別な性格を有します。これがお金が持つ可能性という性格の意味するところです。車や家や宝石にこのような性格はありません。それらは使い道が限られているからです。したがって、お金は手段である限りにおいて、他の何ものも持たない特別な価値を帯びることになります

 お金はものやサービスを買うための手段・道具であり、それ自体価値を持つものではない。それなのにお金そのものを集めようとしてしまうのはなぜなのかというのが、今の議論の出発点でした。しかし、ここに至って議論はひっくり返ります。なぜなら、お金には他のものやサービスには存在しない可能性という価値があるからです。

 ただし、誰もがこの可能性という価値に酔いしれるわけではありません。哲学カフェの途中、次のような発言がありました。

「私は一番やりたいことがお金で手に入るようなものじゃないんですね。だからお金が増えてもそこまで喜ばないですし、逆にお金が減っても不安になったりしないです」

 こういう考えの人は、お金の持つ可能性に振り回されることはないでしょう。なぜなら、お金が可能性であるのは、お金を使って様々なものやサービスを手に入れることができるからです。欲しいものがお金で買えるものではない人にとって、この可能性はさほど魅力的なものとは映らないでしょう。もちろん、その人もやりたいことと別のところでお金を使って色んなことをしているでしょうから、お金が全く要らないわけではありません。しかし、闇雲にお金を増やすことはないだろうと思います。

 このように、人によって違いはあるものの、お金を増やすことそのものが喜びになるのは、お金には単なる手段・道具に過ぎないがゆえの固有の価値があるからだという点は押さえておいて良いように思います。

     ◇

 さて、哲学カフェの振り返りはまだまだ続くのですが、ここで一度記事を区切ろうと思います。

 次の記事では「お金に振り回されるのはどんな人?」という問いを巡るやり取りを紹介するところから始めようと思います。結論から言うと、この問いに対する十分な答えは出ないのですが、「お金に振り回されていると思われがちな人」はある程度列挙されます。すると、「なぜその人たちはお金に振り回されていると思われるのだろう?」という問いが浮かび上がります。この問いを念頭に置きつつ、哲学カフェの中で出てきた「良いお金と悪いお金」を巡るやり取りを紹介するという形で、話を進めていく予定です。

 もしかしたらまた途中で記事を区切るかもしれませんが、書けるところまで書いて順々に上げていこうと思いますので、引き続きお付き合いいただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いします。

(1月12日)

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