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第15回「オンライン哲学カフェ参加録~お金編・その2~」

◆はじめに

 前の記事に続いて、1月8日(土)の夜に彩ふ読書会のメンバーで行ったオンライン哲学カフェの振り返りを書いていこうと思います。哲学カフェとは、簡単に言えば、テーマを決めてみんなで考える集まりのことです。「友だち」や「癒し」のように身近なものをテーマにすることが多く、専門的な用語はなるべく使わず普段の言葉で話し合いながら、テーマについてゆっくり考えていくのがポイントです。

 今回の哲学カフェのテーマは「お金」です。

 前の記事では、お金と幸せの関係を考えるところから振り返りを始めました。そして、僕らはお金そのものを手に入れることによってではなく、お金を使ってものを買ったりサービスを受けたりすることで喜びや幸せを感じるということ、したがってお金とは道具であるということを確認しました。しかし実際には、お金を集めることそのものに喜びや幸せを感じている人もいるでしょう。そこで次に、単なる道具に過ぎないお金を集める自体に喜びや幸せを感じる理由について、哲学カフェのやり取りから見えたことを紹介しました。具体的には、①お金に執着しているのではなく、金額=数字を増やすことに喜びを見出しているのだという考えと、②お金が増えることに、できることの選択肢が増える=可能性が広がるという価値を見出しているのだという考えについて説明しました(詳細が気になる方は、下記のリンクからお読みください)。

 さて、ここまでの話の内容から、お金との接し方は人によって異なるということが見えてきます。お金は道具であると割り切り、お金を増やすことよりも、自分の欲しいものを手に入れるためには幾ら必要か考えることを大切にする人もいれば、お金の持つ可能性という魅力に取りつかれ、闇雲にお金を集めようとする人もいるでしょう。持ち金が少ないと不安になるけれど、ある程度手元に貯まれば安心するという人もいれば、お金がなくても不安にならないという人もいますし、幾らお金を手にしても「足りない!」と不安で仕方がないという人もいるでしょう。

 こうしたことが見えてきたところで、次のような疑問が出てきました。

「お金に振り回されるのはどういう人だろう?」

 今回は、この問いを巡るやり取りをから見ていきたいと思います。

◆3.お金に振り回されるのはどんな人?

「お金に振り回されるのはどういう人だろう?」という問いが出てきた後、哲学カフェの中では、お金に振り回されていそうな人の具体例が幾つか挙がりました。先に結果を言ってしまうと、誰かが具体例を挙げると別の誰かが「そういう人だからといってお金に振り回されているとは限らない」と反論するというのが繰り返され、結局「こういう人はお金に振り回されている」という明快な答えが出ないままこの話は終わりを迎えることになります。しかし、一連のやり取りは非常に興味深いものでしたし、そこから後の話に通じる論点も出てきましたので、以下で一通り見ておこうと思います。

 お金に振り回されている人の具体例としてまず挙がったのは、「株や仮想通貨に手を出す人」です。株や仮想通貨、或いはFXなどには、「これで1ヶ月に数百万円稼げます!」といった広告が出回っていることもあり、上手くやれば良い金儲けの手段になるというイメージが付いて回っているように思います。そこから、株や仮想通貨に手を出すのはお金にがめつい人という印象が出てくるのでしょう。

 しかし、この意見に対しては次のような反論が寄せられました。

「株などをやっている人の中には、別にお金を儲けて何かに使いたいわけじゃなくて、ただお金が増えたり減ったりするのをゲーム的に楽しんでいる人も少なくないと思います。生活に必要なお金と株に使うお金とはきっぱり分けているなんて例も珍しくないですね」

 この反論への再反論はありませんでした。ですので、株や仮想通貨に手を出しているというだけで、お金に振り回されているとは言えないということになります。なお、事後的な分析になりますが、上の反論が成り立ったことから、「ものやサービスを買う手段としてのお金を増やそうとしているのでなければ、お金に振り回されているとは言えない」ということも指摘できるように思います。

 次にお金に振り回されている人の具体例として挙がったのは「転売ヤー」でした。劇やコンサートなどのチケットの高額転売という違法行為が後を絶たなかったり、マスクを買い占めフリマアプリなどで高値で出品する行為が社会問題として取り上げられたりしたこともあり、転売には悪い方法で金儲けをしているというイメージがあるように思います。こうしたネガティブイメージから、転売ヤーはお金に振り回されているという話が出てきたのでしょう。

 しかし、悪質な転売行為が後を絶たないということと、転売を行っている人はお金に振り回されているという指摘とは、論理的に結びつかないように思えます。稼ぎ方が悪質であっても、日々の生活を賄うため以上のお金はいらないという人は、お金に振り回されているとは言えないでしょう。もちろん、違法な転売やマナーの悪い買い占めが許されると言っているわけではありません。ただ、それらの行為への批判を「お金に振り回されている」という評価に結び付けるのは不当でしょう(急いで付け加えると、全ての転売が違法なものや社会規範にもとるものでないことにも注意が必要です)。

 哲学カフェの中では、引きこもりだった人がせどり(転売)を通じて生計を立て社会とのつながりを得た事例が紹介されたことで、転売ヤー=お金に振り回されているという評価が断ち切られました。

 最後にお金に振り回されている人の例として挙がったのは「YouTuber」でした。しかし、これも人によるとしか言いようがないでしょう。そもそも、YouTuberはお金に振り回されているという評価がどこから出てきたのかについては、想像を巡らすことも難しいように思います。実際、哲学カフェの中でも、次のような疑問が出ていました。

「確かにYouTuberの中にお金に振り回されている人はいるかもしれないけれど、それはサラリーマンの中にお金に振り回されている人がいるというのと同じことだと思うんですよね(筆者注:おそらく、YouTuberが職業化していることを念頭に置いている)。その中で、なぜ特にYouTuberを挙げたのかは分からないなあと思います」

 以上、お金に振り回されている人とはどんな人かを巡って、哲学カフェの中で展開したやり取りを見てきました。最初に述べた通り、「お金に振り回されているのはこんな人だ」という明快な答えは出ていません。幾つか具体例が挙がりましたが、どれも一部にしか当てはまらないという結論に達しています。

 それでもこのやり取りを紹介したのは、具体例を挙げながら物事を検討していくプロセスが哲学らしいと思ったからです

 折角ですから一連のやり取りから見えてきたことを整理すると、「ものやサービスを買う以外の目的でお金を見ている人は、お金に振り回されているとは言えない」「購買手段としてお金を集めている場合でも、生計を立てる程度の目的であればお金に振り回されているとは言えない」「稼ぎ方が悪質であることとお金に振り回されていることとは、論理的には結び付かない」となるでしょう。更に整理すれば、お金に振り回されている人と言うのは、ものやサービスを買う手段としてのお金を、必要もないのに手元に置くことに執心している人ということになりそうです。

 ところで、一連のやり取りを踏まえると、実際にお金に振り回されているかどうかは別にして「お金に振り回されていると見なされがちな人」の具体例は幾つか見えたように思います。するとここで、「なぜその人たちはお金に振り回されていると思われがちなのか」という新たな問いが出てきます。既に見たように、その答えのひとつとして「稼ぎ方が悪質だというネガティブな評価が、お金に振り回されているというネガティブな評価と結び付いている」というのが挙げられますが、他にも理由があるように思います。このことを念頭に置きつつ、話を進めていきましょう。

◆4.金の良し悪しに僻みが関わる?

 哲学カフェ後半の話題の中に「良いお金と悪いお金」というものがありました。お金を稼ぐ・持つ・使う、それぞれの場面において、僕らは「あの使い方は良い/悪い」「あの稼ぎ方は良い/悪い」というような評価を下しています。稼ぎ方について言えば、先ほど挙がったチケットの高額転売や、或いは詐欺のように、法律を犯すものは「悪い稼ぎ方」と言えます。また使い方についてみると、例えば大金を手にした人が、そのお金を弱者救済などの社会的事業に使ったら「良い使い方」と評され、他方、ありったけの物財を消費して使いきれずに捨てるようなことがあれば「悪い使い方」と批判されるのではないかと思います。

「良いお金と悪いお金」については、様々な具体例を挙げたうえで、良し悪しの判定やその根拠を検討することができるだろうと思います。どんな具体例を挙げるかによって検討の中身は大きく異なってくることでしょう。哲学カフェの中では、1つだけ具体例が挙がり、あれこれ議論が起こりました。

 そこで取り上げられたのは、ふるさと納税です。

 ふるさと納税とは、自分の生まれ故郷や応援したい自治体に寄付をする制度です。理念的には、自分が生まれ育った自治体やこれから応援したい自治体に寄付をする制度とされています。しかし実際には、返礼で豪華な品物を送ってくれる自治体に寄付が集中しているようです。このような返礼品目当ての寄付は、お金の使い方として良いものなのだろうか。そんな疑問が、ある参加者から出されました。

 その後のやり取りを総合すると、哲学カフェに参加した人の殆どは、その寄付の仕方は良いものであると考えていましたそれは、寄付金のやり取りを行っている当事者が全員得をしているからです。寄付をした人たちは、豪華な返礼品を貰って得をしています。一方、寄付を受け取った自治体にとっても、収入を増やしたり、返礼品という形で地元の特産品をPRしたりするのはプラスに働くと考えられます。このように、当事者が全員得をしているならば、そのお金の使い方は良いと言えるというのが、やり取りの結果出てきた答えでした。

 ここで問題になるのが、ではなぜ「返礼品目当てのふるさと納税は良くないのでは?」という疑問が生まれたのか、ということです。後で補足するように(※)理由は色々考えられるのですが、哲学カフェの中では次のような意見が出ました。

「知っている人が得をすることを、ズルいと感じる人がいるんじゃないでしょうか」

 ふるさと納税の仕組みややり方、豪華な返礼品のある自治体を知っている人は、制度を利用して自分の欲しい返礼品を手に入れることができます。一方で、それらの知識を持たない人は得られるものがありません。前者は得をしています。これに対し後者は得をしていない代わりに損もしていないわけですが、中には、他人が得しているのを見て自分が相対的に損をしたように感じ「あいつばかり得するのはズルい」と感じる人がいるかもしれません。そういう人には、返礼品目当てにふるさと納税をするのは汚い手口のように映ると考えられます。

 しかし、これは不当な僻みでしょう。持てる知識を使って自分に有利なように物事を進めるのは、決してやましいことではありません。むしろ当然のことです。それを良くないと非難するのは無理があるでしょう。ともあれこの話から、「たとえ不当な非難であったとしても、一部の人だけが得するようなお金の使い方は良くないと評されることがある」という考えを導き出すことができます。

 ここで思い出したいのが、お金に振り回される人を巡るやり取りです。既に書いたように、お金に振り回されている人を具体的に挙げることはできなかった一方で、「お金に振り回されていると思われがちな人」については、株をやっている人、YouTuberなど、幾つかの具体例が見えてきました。そこで、なぜこの人たちはお金に振り回されていると思われがちなのか、という問いが浮かんでいたのでした。

 さて、一部の人だけが得をしている場合、たとえそれが不当であっても、その人たちには非難の眼差しが向けられることがあるということを見てきた僕らは、この考えを「あの人はお金に振り回されている」という指摘に当てはめることができます。株もYouTubeも、それを使って利益を得ているのは一部の人たちです。もしかしたら、その人たちには「ズルい」などネガティブな評価が向けられているのかもしれません。そこから、彼/彼女らはお金に振り回されている、という評価が生まれたと考えられるわけです。

 重要なことは、ふるさと納税であれ、株やYouTubeであれ、それらを利用して得をすることそれ自体は悪ではないということです。哲学カフェではそれらにネガティブな評価を下す場面が数度登場しましたが、検討を重ねることで物事の見え方は大きく変わるということが、ここからもわかるように思います。

 ところで、一部の人だけが知っている方法で、お金を稼いだりお金を使ってものを手にしたりした人に「ズルい」と言っている人は、なぜそれを「ズルい」と感じるのでしょうか。そこには、自分に必要なお金は幾らかという考えをすっ飛ばして、ものやサービスを買う手段としてのお金は、あればあるだけいいとみる思考が働いていないでしょうか。そうだとしたら、「ズルい」と感じたその時に、自分の方がお金に魅惑されていないか、考えてみてもいいのかもしれません。

(※…この記事では「返礼品目的のふるさと納税を良くないと感じるのはなぜか?」という問いに対し、哲学カフェ中で出た意見だけを取り上げる形で考えを進めてきましたが、紹介した内容以外にも、この疑問に対する答えはあるように思います。例えば、「寄付において見返りを求めるのはよこしまだ」という価値観がそうでしょう。この立場を取る人からみれば、当事者が得したか損したかにかかわらず、返礼品目的のふるさと納税は許されないということになります。言うまでもなく、ここでは「寄付において見返りを求めるのはよこしまだ」という見方の妥当性が問題になるわけですが、検討を始めるときりがないので、ここで話は止めようと思います。)

     ◇

 第14回・第15回の2回にわたり、1月8日に行ったオンライン哲学カフェの振り返りをお送りしました。本編の振り返りは以上ですが、いま、振り返りを終えて僕自身は何を思っているのかを改めて書き出してみた方がいいなと感じています。というわけで、もう1本、今回の哲学カフェ絡みで記事を書こうと思います。正直自分でも長引かせすぎだと思っていますが(本読んだり、別のことしたい……)、もう暫くお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いします。

(1月15日)

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