見出し画像

「物事はそう簡単にはわからない」と知っていても・・・

 週の半ばに、河合隼雄の『こころの処方箋』を読み終えた。

 別の記事でも紹介した通り、この本は、日本における臨床心理学の第一人者であった著者がとある雑誌で連載していたエッセイをまとめたもので、文庫本で4ページほどの短い文章が55編収録されている。エッセイの内容はいずれも身近な心の悩みに関するものが多く、サッと読んでいてもハッとさせられることが多かった。

 以前取り上げた時は、「心の新鉱脈を掘り当てよう」というエッセイにフォーカスし、疲れることをイヤがって心のエネルギーを節約することばかり考える生活スタイルを見直そうと思った、ということを書いた。今回はもう少し視野を広げて、この本全体を通して一番印象に残ったこと、そしてそこから考えたことについて書いてみたい。

     ◇

 『こころの処方箋』の中で語られているメッセージで特に印象に残ったのは、〈物事はそう簡単にはわからない〉ということだった。

 例えば、同書の最初のエッセイは、「人の心などわかるはずがない」というタイトルである。その内容は、概ね次のようなものだ。

 臨床心理学を専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではないか、とよく言われる。しかし私は、人の心などわかるはずがないと思っている。人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である、などと言うこともある。

 誰もが手を焼くほどの非行少年が、カウンセリングに連れられて来ることがある。そこで専門家に期待されることは、その子や周りの人たちの心を分析し、非行の原因を明らかにし、対策を講じることである。しかし、本当の専門家はそんなことをしない。

 一番大切なことは、誰もがその子に回復不能な非行少年というレッテルを貼っているときに、相手を「悪い少年」だと決めてかからず、「果たしてそうだろうか」という気持ちで接することである。するとその子は案外素直に話をしてくれる。しかし、そこで彼が「母親が怖い」と語ったとして、「母親が原因だ」とすぐ決めてかかるのも素人である。少年にとっての真実は、確かに尊重しなくてはならない。しかし、それが非行の原因だなどと簡単に決めることはできないという態度で、引き続き少年と会っていくことが大切なのである。

 このようにして相手と会い続けるのは容易なことではなく、ある程度の期間にわたり、上ったり下ったりの変化と付き合うことが必要になる。これは随分と心のエネルギーのいることであり、「わかった」と思って決めつけてしまうほうが、よほど楽だ。だが、心理学はそんな決めつけのためにあるのではない。むしろ、即断を排して未知の可能性の方に注目し、そこから生じてくるものを尊重することこそが、心理学の専門家の役割なのである。

 ここに見られる〈人の心は簡単にはわからない、わかるはずがない〉というメッセージは、同書の中に何度も登場する。中でも、「人間理解は命がけの仕事である」という章は印象深かった。

 子どもが父母を殴りたいと言った時に、「勝手にせよ」と突き放すのは、その子どもを理解していないからできることであって、かえって子どもの怒りを買う。お金を派手に使う夫と倹約家の妻は、両者が協力関係にある限りバランスを取って上手くやっていくが、互いのことを理解しようとすると口論になる。——そんな例を出した後で、河合は言う。

 うっかり他人のことを真に理解しようとし出すと、自分の人生観が根っこのあたりでぐらついてくる。これはやはり「命がけ」と表現していいことではなかろうか。

河合隼雄『こころの処方箋』新潮文庫、1998年、89頁

 同書は心理学の本なので、〈人の心は簡単にはわからない〉というのが、直接的なメッセージである。しかし、簡単にわからないのは人の心に限った話ではあるまい。そういうわけで、僕の受け取ったメッセージは〈物事はそう簡単にはわからない〉というように変形していた。

     ◇

 〈物事はそう簡単にはわからない〉というのは、この本を通じて初めて出会った考え方ではない。僕は以前からそのことを知っていた。

 これを書いていて思い出したが、僕が物事のわからなさに最初に直面したのは、大学に入って間もない頃だった。高校よりも上の学校に入り、より専門性の高い教育を受けることで、今まで知らなかったことが分かるようになるにちがいない。それが、大学に対する僕の期待だった。

 ところが、実際に授業を受けてみると、何かがわかったと思ったら、また新たな疑問が湧いて出てくるということの繰り返しで、結論などそうそう出ないということが見えてきた。わかるどころが、わからないことが増えていくばかりで、僕はすっかり混乱してしまったものだった。それが、物事は簡単にはわからないと痛感した最初の経験だった。

 その頃から知っている考え方なのだから、決して目新しいものではない。だが、『こころの処方箋』を読んだ後、僕は〈物事はそう簡単にはわからない〉ということにひどく打ちのめされた。それはきっと、この本に書き留められた心の理解の具体例を辿ることで、わからないことと向き合うこととはどういうことなのかが、ずしりと伝わってきたからだろう。そしてまた、その考えを携えて生きることの大切さを痛感したからだろう。

 僕は、わからないことをわからないままにして、それと向き合い続けるのが苦手だ。

 どんな物事にも、それらしい解釈を施したがる。簡単に解釈できそうもないことは、見なかったことにしてしまう。自分の目に見えているものは、全てわかった状態にし、わからないものは視界から消し去ってしまう。それが僕の態度だった。自分の好みややりたいことを探す時さえ「きっとこうだ」と決め打ちし、その対象にしがみつく。本当にそれがやりたいのかどうか、きちんと省みたことは、一体何回あっただろう。

 大学の講義では答えは得られないと知った時、僕はそこから大海原に漕ぎ出し、自分なりの真実を掴み取ろうとはしなかった。ただ、高度な教育を受けても何もわからないということに幻滅し、いじけただけだった。何が正解かわからない世界の中で、僕は目にし耳にする全てのことに対し、「それは本当のことなのか?」と疑ってかかるような態度を取り続けた。その癖、そこから先に思考を進めることはなかった。僕はただ、次々と降りかかる情報を突っぱね続けたに過ぎない。そして、自分の小さな世界をこよなく愛しながら、その世界の窮屈さに腹を立てることになった。

 思えば、僕はあの頃から殆ど成長していない。学生から社会人になり、生活環境も、普段接する人たちの雰囲気も変わったし、そのお陰で徐々に世界を広げることはできた。でも、物事を既知の事柄に照らし合わせて安易に判断したがる傾向や、すぐにはわからないことを無視したがる傾向は、全く変わらない。

 このままではいけないと思った。

 あーだこーだと騒ぎ立て、答えに落ち着こうとする自分を黙らせよう。そして、色んな物事とじっくり、静かに、向き合ってみよう。

 それが、『こころの処方箋』を読んで、一番強く感じたことだった。

(第219回 2024.04.26)

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,615件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?