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北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【24】9日目 ウトロ〜中標津① 2015年9月27日

「週末北海道一周」9日目は、標高740mの知床峠へのヒルクライム。そして根釧原野を目指すのですが、天候は下り坂。

◆ 爽やかなウトロの朝

「今朝はかなり冷え込みましたから、風邪をひかれぬよう気をつけて…」
宿の女将さんに言われて、玄関先で、カペルミュールの長袖ジャージーの上にウィンドブレーカーを着込み、レッグウォーマーも穿いて、7時半過ぎに宿を出発しました。

ウトロは爽やかな晴天。

▲ 朝のウトロ港

しかし、知床山脈を見上げると、羅臼側から稜線を越えて、滝のように雲が流れ落ちていました。

本日は、北海道一周ルートの中では多分唯一の、本格的な山越えです。

知床峠は、ウトロ側と羅臼側で、天候が全く異なる日が多いと言われます。

自転車で知床峠を越えるのは初めて。しかし、自動車ではすでに2回、峠に上ったことがあります。

初めての時は素晴らしい晴天で、峠からは国後島の爺爺岳の全容を望むことができました。2回目は、羅臼で濃霧に包まれ肌寒い朝を迎え、峠もまた濃い霧に包まれていたものです。しかしウトロ側に下り始めると快晴で、その日は35度の猛暑となった記憶があります。

知床峠は標高740メートル。ウトロから15キロなので、単純計算では平均斜度5%程度。体力的には厳しい峠越えではないが、この気候変化には注意が必要でしょう。

ウトロを出てすぐ、半ループ状にぐっと高度を上げていきます。
朝食がまだ十分に消化しきれていない状態で、この登りは少々辛い。

さらに、少々寝不足でもあります。ロングライドした日の夜はいつも熟睡できるのですが、昨夜は枕が合わなかったのか眠りが浅く、夜半に何回か目が覚めてしまいました。

そんなことが重なり、体が重い。のっけからフロントギヤをインナーに落として、時速13キロほどの腰砕けのようなペースで、よたよたと登ります。

半ループを登りきったところがブユニ岬への入り口で、ウトロの素晴らしい眺望が開けていました。"Runtastic"のデータによると80mほど登ってきたことになります。車が一台止まっていて、一眼レフを手にした女性が一人、しきりにシャッターを切っていました。

▲ 高台からウトロ遠望

空は晴れ渡り、海は凪いでいました。山稜の向こうの雲の中に、わざわざ突入していくのが酔狂に思われてしまいます。ポカポカと陽が差し、早くも身体は汗ばんできました。ウィンドブレーカーとレッグウォーマーを脱いで、また登り出します。

ブユニ岬、フレベの滝、さらにこの奥にある知床五湖やカムイワッカの滝など、見どころをすべて通過して先を急ぐプランを立ててきたことを後悔しつつ、爽やかな朝の森を行きます。

◆ 知床峠ヒルクライム

国道344号線はやがて内陸へ進路を変え、左に知床五湖方面への道を分けて、本格的な登りに突入。標高300メートルあたりまで、思ったよりきつい傾斜で、グッと一気に登っている感じ。

昔は国土地理院の地形図とキルピメーターを使って、手書きでプロフィールマップを作ってから、パスハンティングに向かったものでした。

最近ではグーグルマップで事足りてしまうので、出発前に地図を買いに行く習慣がなくなってしまいました。なので平坦と思っていたコースが実は起伏に富んでいたとか、厳しい登りを想像していたのに拍子抜けだったということが、往々にしてあります。

速度は徐々に落ち、やがて10キロを切ってしまいました。エゾマツの原生林の中を、オレンジ色のジャージーがするすると駆け上がっていく、なんていう図を当初は描いていたのだけれど、中年男がよたよたと坂を登る図になっております。

空には雲が広がり、日が陰ってきました。

正面に羅臼岳のピラミッドが聳えています。岩尾別温泉からの登山道は、かなりの急登だと聞きます。

▲ 羅臼岳のピラミッド

この羅臼岳、その北の知床硫黄岳など、知床山脈は火山が連なっています。

標高300メートルを超えると、多少傾斜が落ちて楽になりました。
「羅臼 22キロ 標津 71キロ」の標識を通り過ぎました。宿を出てから10.5キロほどの地点。

ウトロ側からの登りは、大きなカーブを描きつつも、比較的直線的な登りが続いています。対して羅臼側は急峻であり、山肌を這うようなカーブが多かった記憶があります。どちらから登るのがいいのかは一概に言えないだろうけれど、ともかく、今日は青空に背を向けて雲の中に突入していく嫌らしい感じです。

多少楽になった、といってもペースは時速10キロ前後がせいぜい、ちょっと情けない。もっとも体脂肪の燃焼効率を高めるには、心拍数が上がりすぎないよう、ギヤを軽めに無理なく登る方が効果的。そのことを自分への言い訳にして、引き続きよたよたと斜面を詰めていきます。

標高の高いところでは、そろそろ紅葉も見られるのではないか、と思っていましたが、まだ少々早い様子。木の葉が黄色く色づき始めている雰囲気はありますが、見頃になるまでにまだ1〜2週間ほどかかるでしょうか。

▲ 傾斜が緩くなり、少し余裕が出てきたあたり

下から見上げて、そろそろ峠か、と思っていた箇所から、道はさらに大きく弧を描き、半ループ状に高度を上げていきます。

斜度は幾分緩くなり、稜線を詰めきった箇所からは、ここまで登ってきた原生林を一望することができました。

▲ ウトロ側の眺望

その直後、周囲は霧に包まれ、視界は全く効かなくなりました。

9時20分、標高740メートルの知床峠に到着。知床連山も、国後島も、全てが霧に包まれているのが残念でなりません。風が変わる、風景が変わる、というパスハンティングの魅力とは、今日は無縁。

▲ 濃霧の知床峠

稜線の両側から登って来た観光客たちも皆、知床峠の名を刻んだ石碑の前で、記念写真を撮るくらいしかすることがない様子。

私もトイレに行くくらいしかすることがないので、取り敢えず用をたし、ダウンヒルに備えて衣類を着込みました。ウトロから一時間半、身体は十分に温まっていますが、それでも剥き出しの頬などに感じる大気は、水分に満ち冷んやりとしています。

再び、上半身はウィンドブレーカーを羽織り、下半身はレッグウォーマを穿き、さらにレーサーパンツの上からクロップトパンツを纏いました。

それにしても、学生時代に初めてここに来た時の感動を思い出します。あの時は、買ったばかりの中古車を林道で横転させてしまい、決して楽しい旅ではなかったのだけど、ここからの知床連山と国後島の眺めは記憶の底に今も残っています。

その眺望を再び堪能したいと16年前の夏に再訪したのだけれど、峠は乳白色の霧の中にありました。今回も望みは叶わず。

リベンジを誓って、私は羅臼側の霧の中へ走り出しました。

◆ 知床峠ダウンヒル

下り始めて間もなく、羅臼湖への入り口を通過。学生時代に初めて来た時、ここからゴム長を履いて、雪渓を越え沼地を越え藪を漕いで、山奥の羅臼湖まで往復したものです。残雪の山々を水面に映す湖は素晴らしかったが、地元のガイドなしで行けるような場所ではありませんでした。

何年か前、親友のアメリカ人が、「これから知床へ行くんだ」とメールを寄越しました。「羅臼湖がお勧め。ただしガイドを頼まないと厳しいよ」と返信したところ、どうやら前半しか読まなかったようで、しかも午後になってから山に入ったらしく、男女3人、危うく遭難しそうだったと散々恨み言を言われたものであります。

▼ 羅臼湖 
 ※現在ではトレッキングルートが整備され、ガイドなしでも行けるようですが、ヒグマや天候の急変などに注意が呼びかけられています。

それはともかく、知床横断道路は緩やかなカーブが連続して飽きることなく、路面状態は大変に良好。対向車線にはみ出す危険はない程度の緩いカーブなので、さほど減速する必要もなく通過できます。

霧の層を抜けました。知床連山も国後島も相変わらず白いベールの向こう側ではありますが、眼下には樹海が広がりました。

▲ 霧の層を抜けたところ

しっかり着込んでいるので、風を切るダウンヒルもさほど寒くはありません。所々に大気の層があり、一つの層を過ぎると気温がグッと上がるのが感じられます。

尾根道を駆け下り、やがて道はスノーシェルターを抜けて、羅臼川の谷間へ分け入って行きます。

路肩に車が何台も止まっている場所を通過しました。先ほど峠の頂上で出会ったサイクリストがここで自転車を止めており、私を認めて手を振ってきました。手を振り返し、通過します。
通過した後、あ、ここが熊の湯か、と気付いたが、せっかく気持ちよく下っているのに登り返すのも面倒。熊の湯は知る人ぞ知る山中の野湯です。

傾斜が緩やかになりました。羅臼川の谷も出口が近づいたようです。

それと共に、扉に木の板を打ち付けた宿泊施設の跡地が目立ち始めました。地図には「羅臼温泉」と記されているのですが、温泉街らしき風情も活気もありません。

ウトロのある斜里町では、観光客の入込数のピークは1998年、というと私が前回来た頃ですが、その180万人。以後減少を辿り、2005年の世界遺産登録でも173万人と、ピーク時を超えることがなかったといいます。世界遺産効果は1年しかなかった、とも地元では言われていとのこと。

そんなウトロと比較しても、羅臼はさらにパッとしない模様。羅臼の観光客入込数は、町のHPに掲載されていた一番古いデータ(平成12年度)で63万人。世界遺産に登録された年が75万8千人。それが去年は52万人にまで減少。この間、町の人口も1000人以上減少し、今年は5千7百人となっています。

▼ 観光客の入込み数 知床白書(平成28年度) 知床データセンター

https://shiretokodata-center.env.go.jp/data/research/annual_report/h28/ch3_1_1.html

交通が不便、厳しい冬、といった条件が作用してのことでしょうか。世界遺産として認定されたのは知床の生態系そのものなのだから、観光客が殺到して俗化が進み、それが破壊されては元も子もないが、地域社会の衰退もまた知床の魅力を減殺することになってしまうでしょう。

そんな現状を反映してか、また今にも降り出しそうな陰鬱な空も相まってか、740mを下り切って到着した羅臼の町は、灰色に沈んだ印象。

海峡を挟んで横たわっている筈の国後の島影も、靄の中にあり、輪郭すら見えませんでした。

▲ 濃霧の海峡

※ この後、「あきあじまつり」で賑わう標津を目指しますが…天気はますます下り坂。

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