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【77】北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周 26.5日目 早期退職・新型コロナ・ふたたび落車事故…

2015年から2020年にかけて、週末や有休をやりくりしながら、ロードバイクで北海道一周した記録。
最終レグに近づいてきたところで、この記録の投稿をしばらく中断していましたが、そろそろまた書き足していきます。
その前に、余談にすこしお付き合いください。自転車や北海道が好きな方よりも、早期退職ご検討中の皆さま向けの読み物になりますが…

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2020年8月15日の午後。
わたしは濃霧と強風の雲石峠を越えて、1年3ヶ月ぶりで熊石へ戻ってきました。
海は靄に包まれて視界が効かず、灰色の波が岩礁で渦巻いていました。

▲ 濃霧の雲石峠

その前年、令和のはじまりを目前にした初春の日にここに立って以降、世の中も、わたしの身辺も、すっかり様変わりしました。
まず、そのことを振り返っておきたいと思います。

▼ 北海道一周 ここまでの記録はこちらです


◆ 2019年の記録

2019年の4月末。1年間中断していた「週末北海道一周」を再開し、函館から松前・江差を経て、熊石まで走りました。
北海道一周完走まで、残すところ350キロほど。ここまで来ると、あとは残りの区間をどう分けて、どこへ泊まりながら走ろうか、という選択肢も、次第に少なくなってきます。
ともかくも、ゴール目標は決めておきたい。そこで、11月初旬に開催される北大の金葉祭の頃、札幌ゴールを目標と定めました。そこまで2〜3回に分けて、西海岸の豪壮な海岸線を堪能しよう。
そこまで決めて、6月中旬、まずは茂津多岬と弁慶岬を巡って内陸の黒松内まで走り、函館線と北海道新幹線を使い輪行で帰京する計画を立て、再び函館に乗り込みました。

ところが、間際になって天気予報が悪い方に変わりました。日本海側は激しい風雨になるとの予報。熊石から先は峻険な海岸で、ルート上には一部越波に注意を要する区間もあります。
「週末北海道ライド」ではこれまで何日か、冷たい風雨に祟られました。あんなのは、もうこりごりでした。
そんなわけで、雲石峠を越えて日本海岸を目指すのは断念。
函館郊外のヒルクライムルートである湯ノ岱と大沼公園を1日走り、函館で寿司を食っただけで、旅程を切り上げて帰京したのでした。

▲ 2019年6月 湯ノ岱にて、霧の海の上に姿を現した駒ヶ岳
▲ 2019年6月 大沼国定公園を走る

その後、夏以降は仕事が忙しくなって、週末北海道どころか週末出勤が増え、結局2019年は函館~熊石間を走ったのみで終わってしまいました。

◆ 早期退職

2019年の年末、勤務先で早期退職の募集が始まり、この機会に、わたしは三十余年勤めた会社を辞めることにしました。

会社が早期退職に応じてほしいのは、まさにわたしのような50代半ばの中間管理職で、このまま残ったとしても遠からず役職定年となり、以後は生活のために意に沿わぬ仕事をし続けることになるのだろう。そんなこともあるにはあります。
ただ、それは承知の上で、生活の安定を選択し、残留した社員も少なくはありませんでした。

わたしの場合、一部マスコミが使いたがる「去るも地獄、残るも地獄」的な苦渋の決断をしたわけではなく、退職金の額を見て、ほぼ即決で応募を決めました。
相当額の割増加算金が出るため、マンションのローンを完済し、老後の必要資金も確保して、なお若干のお釣りが残る計算。以後は、生活費プラス趣味を楽しめるくらいの収入を得られれば良い。
だから、この先は業種・職種やポジションにこだわる必要もない。Uターン・Iターンも視野に入れて、今後のことを考えられます。
つまり、わたしにとっては、今後の人生の選択肢を大きく広げられる絶好の機会と映りました。

遡ること5年前。
札幌から本社へ帰任の内示が出た時、東京へ戻るのが嫌で嫌で、転職して北海道に残ることをかなり真剣に考え、実際に職探しまで始めたものです。
このとき諦めたのは、直接には東京で担当する仕事の問題でした。色々配慮して本社のポジションを用意してくれた上司に対し、恩を仇で返すようなことになるからです。ただそれだけではなく、関東から北海道の企業に転職すると、収入は良くて7掛け、中高年だと半減も覚悟する必要があると聞いたことも、5年前に転職をためらった理由の一つでした。
住宅ローンも老後資金も気にしなくて良いならば、仮に収入半減でも何とかなります。
5年越しで北海道Iターン計画を実現できる絶好のチャンスが訪れました。

選択肢は北海道だけではありません。出身地の信州へ戻るのも悪くないと思うし、四季を問わず自転車に乗ることができてダイビングにも好適な南国への移住も捨てがたい。
満員電車で都心への通勤はもう御免被りたいが、今住んでいる川越は大好きな街。埼玉に根を下ろして働くのも悪くありません。

問題は、この歳で再就職が可能か、というか、可能としても雇ってくれる仕事や収入はどんなものなるのか、イメージが湧かないことでした。
ただ、早期退職は会社都合退職の扱いなので、雇用保険も3ヶ月の待機期間なしで、最長330日支給されます。永年勤めてきたから、支給額も独り身の生活には十分な額。54歳での転職は容易ではないでしょうが、焦って妥協しなくとも、当面の生活には困らない。

ならばこの機会に、シミランとモルディブのダイブクルーズを梯子しようかとか、世界一周航空券で未踏の南米やアフリカ大陸を目指そうかとか、不安以前に能天気な夢がどんどん膨らんで、そのうち今の会社に残る選択肢は、わたしの内から完全に消えていました。

年が明け、2月に入って早期退職が認められ、さて、いつまでに残務処理を終わらせて旅に出ようか、なんてことで頭が一杯になり始めた最中。
新型コロナウィルスの拡大で、世の中はざわつき始めました。
勤務先でも、ラッシュアワーを避けて時差出勤すること、出張を控えること、また公私問わず海外渡航は禁止、との通達が出されました。

◆ また落車事故

まあ、わたしが海外旅行に出るのは最終出勤日の後だから、渡航禁止令なんて関係ないよね、などと思っていました。しかし、予約していた国際線のフライトキャンセル、振替の連絡が次々と入ってきます。こりゃ世界中が尋常ではない状況になってきたな、と、鈍いわたしもさすがに察しつつ、それでも有休消化で長期の海外旅行の夢を諦められないまま、夜な夜な旅程を組み替えていました。

ところが、そんな諦めの悪いわたしに引導を渡すかのような事態が発生しました。
2月の終わりに、落車によって右肘骨折の大怪我をしてしまったのです。

その次第をここに記すのは誠にお恥ずかしい限りですが、かいつまんで書くと、前輪ブレーキアーチの整備不良が原因でした。房総半島へロングライドに出かけ、走行中に異常に気づき、中断して輪行で帰ろう、と決めた矢先のことだったのです。その時点で乗車はあきらめ、最寄り駅まで曳いていけば良いのに、空模様が怪しかったこともあり、また駅まで約3キロと少々微妙な距離だったこともあり、駅まで乗って行っちゃうことにしたのでありました。
その結果、うっかり前輪ブレーキを掛けた瞬間にブレーキアーチのバネが飛び、前輪が完全にロックされ、前転してしまったのです。おっさんなので、とっさに前回り受け身などとる反射神経はなく、両掌をついてしまいました。
右腕は肘から手首にかけて激痛が走り、ほとんど動かせず。
左腕は、なんとか使えるものの、手首を捻挫して力が入りません。そんな左腕一本で、そぼ降る雨の中、最寄り駅までロードバイクを曳いて歩き、駅前でホイールを外し、輪行バッグを広げ、輪行準備をするのは、みじめなばかりでなく塗炭の苦しみでした。
その日の夕刻から、右腕はギブスと三角巾で固定。左腕も、力の要る動作ができなくなってしまいました。

東南アジアのダイブクルーズは泣く泣く断念。出発まで1ヶ月を切っていたためキャンセル料も結構な額で、泣き面に蜂。
ダイビング抜きで、東南アジアでブラブラと過ごしてこようか、とも思いましたが、なにせ箸を使えないし字も書けない。左腕だって手首の捻挫で、まともに使えない。これでは重いスーツケースは持てないし、三角巾で腕を吊っているからバックパックなんて絶対無理。
要は、夢の有給消化は諦めて、退職日まで真面目に出社し、有給休暇買い上げを増やして、それでダイビングのキャンセル料や治療費を賄うしかないのでした。
ただ、結果論を言うならば、その後、新型コロナウィルスの感染拡大により各国の出入国制限が厳格化されたため、予定通りに渡航していたら戻ってこられなくなるところでした。

3月下旬。いよいよコロナ禍は深刻さを増し、在宅勤務の指示が出てオフィスには人影も疎らな中、最終日の勤務を終えてパソコンや社員証を返却し、さしたる感慨もないまま会社を後にしました。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。次ももう少し、54歳の就職活動など、脱線にお付き合いください。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。




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