北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【63】21日目 室蘭〜長万部③ 2017年10月9日
週末や有休を利用して、50代のサラリーマンが、ロードバイクで北海道一周した記録。21日目は、室蘭から噴火湾に沿って走っています。曇天の空の下、なんだか気分が乗らないライドを続け、いよいよ道南の険路・礼文華峠を越え、胆振から渡島へと入ります。
▼「週末北海道一周」のここまでの記録はこちらです。よろしければご笑覧ください。
◆ 礼文華峠
束の間の海岸線のライドから再び内陸の国道に戻り、礼文華峠の上りにかかります。「もっとも長くて、噂で判断すれば私の旅では最悪となりそうな行程」とイザベラ・バードがしたためていた険路。急峻な上に原生林に覆われ、道は雨で深く削られて山から押し出された石が転がり、馬が転倒したりすることも度々であったよう。
ただ、こんにちの礼文華峠は、ここまでのいくつかの高巻きに比べても道路はきれいに整備され、路肩もさほど広くはないが荒れておらず走りやすい道でした。
左下の谷間にバンガローが身を寄せ合っているのを見下ろして、大きなカーブを描くように高度を上げてゆきます。
陽光もさしてきました。意外と大したことないな、と思いながら上っていくと、3キロほど行ったところで登りっぱなしの直線的なトンネルが出現しました。
対向車が多い。仮に後ろから車が迫ってきたなら、私を追い越すために反対車線にはみ出すのが難しいくらいにつながって来ます。一気に駆け抜けたいのだけど、上り坂なので思うようにピッチが上がりません。小心者なので、後続車が来たら迷惑を掛けてしまうのが気になります。
ところが、奇跡的に後続車一台も来ず。ゆるゆると登り切りました。
トンネルを抜けると、海に向かって森に包まれた険しい地勢が続き、その谷間から海が見えています。地図によると、ちょうどこの谷が海に至るところに、秘境駅として近年名高い小幌駅があるようです。
登り口から5キロほどで最高地点に至りました。GPSのデータによると標高差230メートルほどの登りでした。
その先は、見通しの良い直線的な下り。車もほとんど来ません。ここは60キロを超すスピードで一気に下ります。地図にはもう一つ「静狩峠」というのが記載されていましたが、登り返しはなく、古いトンネルがあるだけでした。
その先、大きなカーブが続き、やがて眺望が開けました。
人跡稀な荒地とゆったりと弧を描く砂浜とが、靄の中に延びています。
製造業が集積し、人口密度も北海道の中では高い胆振を抜け、渡島に入りました。
峠越えの少ない北海道一周の行程の中では珍しく、生活圏の変化が、ハッキリと実感される瞬間でした。
緩やかにカーブする坂道を駆け下り海岸線に出ると、海からの風がきつい。沿道に建物がほとんどなく、樹木も砂地に生える灌木程度で、風を遮るものがないのです。長万部まであと10キロほど、こんな単調な道が続きます。
◆ 長万部の思い出
3日連続のライドがヘルニアに響いているのか、右肩のあたりに鈍い痛みと凝りが出てきました。ひと月ほど牽引治療をサボっていたのがいけなかったのか。加えて、フォームが崩れて怒り肩のような姿勢になり、患部が圧迫されているのでしょう。
こういう時は、ハンドルバーの上を軽く持ち、上体を起こした姿勢でしばらく走ると、体幹の筋肉がもう一度引き締まり、崩れたフォームが矯正できるといいます。が、その姿勢をとると風圧がますますキツくなるのです。
1キロごとに路肩に現れる「長万部市街まであと*キロ」の表示だけが励みのラスト10キロでした。
人影が見えるのはコンビニばかりの、眠ったような長万部の町に入り、駅前にある「かにめし本舗」でペダルを止めました。昼ごはんは長万部のかにめし、と決めて、それだけを楽しみに、ここまで走ってきました。
店の駐車場には、次々と乗用車がのりつけて、人々はかにめしの折詰を抱えて去っていきます。むかしの特急列車の座席を置いた休憩室があり、そこて食事することもできる様子。
かにめしは1080円。私が初めて北海道の鉄道旅行に来た頃は、確か500円だったと記憶しています。もっとも、この30年余の間に最低時給も倍以上になり、この月から北海道の最低時給はついに800円の王台に乗りました。
人気のない休憩室で食べるのも路肩で食べるのも味気ないので、多少雰囲気は感じられるところで、と長万部駅の待合室に入りました。
就職活動をしていた頃、東京での面接を終えて札幌への帰りに、確か台風のためだったと記憶していますが、室蘭本線経由で札幌へ向かう列車が全て止まってしまいました。仕方なく東室蘭から引き返してきて、この待合室で一夜を明かし、翌朝、函館本線経由で札幌へ戻ったことがあります。
その頃の長万部の様子は全く記憶にないけれど、あの時は確か飛行機も全便運休になっていて、羽田空港から予定変更して向かった上野駅でも、東北方面への寝台特急のダイヤが大幅に乱れていたこと、また紆余曲折の末に札幌へ戻った翌日、最終面接をやるから翌朝9時に来いという連絡が来たものの、飛行機が全て満席で、急いで札幌駅に向かって特急「北斗」に飛び乗り、青函連絡船に乗り継いで深夜に青森着、寝台特急に乗り、翌朝は宇都宮から新幹線に乗り継いで、面接時間に何とか間に合わせたことなどが思い出されました。
この当時はバブル期、就職活動はアゴ足付きだったので、札幌からでもお金の心配をすることなく、何度でも上京できたのです。
久し振りの「かにめし」の味はというと、やはり車内で車窓風景をおかずに戴くよりも劣る気がしました。
駅舎を出ると、駅前に蕎麦屋がありました。確か昔、長万部駅の構内で、折詰の蕎麦を立ち売りしていた蕎麦屋さんです。凍てついたホームに響く売り子のおばさんの「おそーばー」というよく通る声は、今でも忘れられない汽車旅の記憶となっています。
今日は、新函館北斗を17時21分に出る「はやぶさ」を予約していました。これには函館行きの特急「スーパー北斗14号」が接続しています。長万部発は15時49分、まだ2時間以上も余裕があります。
次の町である八雲まで走ることも十分可能な頃合いなのですが、これ以上走る気力がなくなってしまいました。そこで、長万部の町内を軽くポタリングし、駅の裏手にある長万部温泉に足を運び、温泉街、というにはあまりに人気がなく寂れた通り沿いにある旅館の一つで日帰り入浴をお願いしました。先客は1名だけ。
イザベラ=バードは長万部のことを、「落ちぶれてふしだらで、大勢の人々が何もせずにブラブラとうろつき、酒の飲み過ぎでトロンとした目をしている」陰気なところと描写し、また宮脇俊三氏の著書では「毛ガニの看板が林立する」が枕詞のようになっていましたが、平成の長万部はそのどちらでもなく、急速に過疎化の進む活気の失せた地方の町でした。
しかし、長万部駅の待合室は思いの外賑やかで、函館行きの特急列車も、三連休最終日ということも手伝ってか90%近い乗車率でした。
パッとしないライドでしたが、初めて乗る北海道新幹線では、サッポロクラシックが程良く染み渡り、気持ちよくまどろむうちに大宮に着きました。
ー第21日目 以上ー
【本日の走行記録】
走行距離 87.2Km
走行時間 3時間31分
平均時速 24.8Km/h 最高64.8Km/h
獲得高度 974m
消費カロリー 1893kCal
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最後までお読み頂き、ありがとうございました。次は、性懲りもなく、冬の足音が迫る11月の渡島半島を走ります。よろしければ続きもお読み頂けると嬉しいです。
なお、本稿で引用したイザベラ•バードの文章は、以下から引用させて頂きました。
私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。
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