見出し画像

人の価値観について

「いじめるのは良くないかもしれないけどいじめられる側にも問題あるよね
学校に来れなくなるのも今に思えばただの甘えだったし 行こうと思えば行けるし
やろうと思えばやれるんだよみんな」


これはつい最近通っていた美容学校の2年間担任してもらった先生に言われた言葉だ

多分先生にとっては何気無い一言で私が卒業したからこその言葉だったとも思う
途中で心が折れそうだった私に
「諦めずに頑張って学校通ってよかったでしょ」という意味でもあったと思う

『いじめられる側にも問題がある』
正直世間でもよく聞く言葉かもしれない

ただ私の中でその言葉が先生の口から出てきた事が信じられなくて一瞬呼吸が止まったのを覚えている

今落ち着いて思えばその先生にはその先生の価値観や今までの経験があっての言葉だったのはとても分かる
先生もいじめられた経験があって不登校の時期もあり自分がそれを乗り越えて来た過去があったから尚更そう思ったのかもしれない



美容学生時代先生にはとても迷惑をかけた

前提として私はその時自分をバイセクシャルだと自認していた(今はパンセクシャルだと思っている)

入学して早々着付けの授業があった
クラスメイトとの相モデルで着付けをしあう授業(生徒同士で着付けあう)がとても苦痛だった

教室の中男と女の間が仕切りで区切られているなかの授業

自分は自分がバイセクシャルだと他人に言うつもりはなかったが
いつか相モデルをした事ある女の子が私が女性に対して恋愛対象として好きと言う感情を持つ可能性があると知ってしまったらどう思われるだろうか
気持ち悪いと拒絶されるのではないかという恐怖
とんでもないトラウマを作ってしまうのではないかとすごく不安になった
授業とはいえ私が女の子の体を触ることにすごく申し訳なさと恐怖が渦巻いて授業どころではなくなってしまった



そして親友以外の人に初めて自分が異性愛者(ストレート)では無い事を告げた

着付けの授業が辛いこと女の子に対して申し訳なさを感じること 
そして怖くて怖くて仕方がないこと
もし可能であれば相モデルから外して欲しいと頼んだ


そしてもし先生から否定されても自分が
傷つかないように拒絶される想定
最悪の想定をしてから話をした

話す前に何度も何度も
「何訳の分からないこと言ってるのわがまま言わないで」と言われるかもしれない
もっと傷つくかもしれないとイメージトレーニングまでした
実際今思い出しても心臓がバクバクする程緊張していた
それほどにその時は異性愛者ではないことを誰にも知られたくなかったしすごくコンプレックスだった


そして先生の口から出た言葉はいい意味で自分では想定してなかった言葉だった

「そうだったんだね、しんどかったの気が付かなくてごめんね、また近いうちに身長とかで合わせて相モデル組み直そうと思ってたから次からマネキンでできるようにするね 話してくれてありがとう」


もっと変な目で見られるかもしれない
もっと拒絶されるかもしれない
もっとわがまま言わないでと呆れられるかもしれない
と傷つく用意しかしてなかった

だからこの返事をもらって
正直こんなにすんなり受け入れて貰えるものなのかとビックリしたし
先生は信用してもいいかもしれないと思った



そんな感じで始まった美容学生の2年間の間
着付け以外でも自傷行為をしてしまって学校抜け出して外科に行ったり体調崩したりでたくさん迷惑をかけたし
たくさん困らせたと思う

けれどそれほどに先生を信用していた
今思うとこの人はきっと分かってくれると簡単に期待し膨らまし過ぎてしまっていたんだと思う
そしてそのまま卒業した


卒業して1年経ったぐらいに先生に会いに行った時
色々話してる中で


「いじめるのは良くないかもしれないけれど いじめられる側にも問題あるよね 学校に来れなくなるのも今に思えばただの甘えだったし 行こうと思えば行けるしやろうと思えばやれるんだよみんな」

そう言われた
きっと先生の言葉は先生自体そんな考えずに出した言葉だったと思う

しかし私にはとてもショックな出来事だった

私が勝手に作り上げ勝手に先生に繋げた信用という名の糸は簡単に切れた。

確かに私が勝手に信用して色んなことを話して分かってもらった気になっていた所はあったかもしれない

自分の中で自分の知らない先生の理想像を勝手に作り出して完璧な先生像を作って、きっと先生はこんなことを言うはずがないと勝手に思いこんでいたからからのショックだったんだとも思う


ただ自分の中でこれまで沢山の経験をしてきて
鬱状態になってベッドから起き上がれないつらさ
やりたくても出来ない情けなさ
自分が今までできていたこと、あたり前のことが出来なくなる恐怖
家族に対しての申し訳なさが私の頭の中にある事。

またどう考えても人をいじめていい理由は自分の中で見つからない。
多分一生をかけて探しても見つけられないだろう
確かに今思うといじめられる側になる原因は学校の中で生活していく中で沢山あった
ただどれも人を傷つけていい理由にはならない
少しの出来心 ちょっとからかっただけでその人の日常を簡単に壊してしまうかもしれない
その人の人生を変えてしまうかもしれない




先生の言葉を聞いて自分の価値観の押し付けはすごく怖いものだと実感した
私は大丈夫だったけどあなたは違うかもしれない
そう考える事がとても大切だと

そして自分も誰かに価値観を押し付けて話してしまった事があるかもしれないと怖くなった
あるかもしれないよりかあると思う
親友の子なんか1番話をしているから多分沢山してしまっていると思う
とても申し訳ない
この書いている文も誰かに対しての価値観の押し付けかもしれない
これを読んでいて傷つけてしまっていたらそれもとても申し訳なく思う


しかし先生を今でも大好きなのは変わらない
そして今でもとても感謝している
きっとこの言葉だって私が学生の時に言わなかったのは先生の優しさだろうか
きっと学生の時に言われていたら心がへし折れていただろう
きっとそう思いたいと思うのは自分の弱さなのだろうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?