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人生はドラクエ。重く考えすぎでしょ。

こんにちは。ひいらぎです。

予測できない展開、次々とおそいかかる困難、人生とゲームはよく似ている。

よく言われるセリフですが、あなたがドラクエの主人公だったらどんなにハードな人生でしょうか。

毎日地獄のような数の敵と戦い、なんども死にかけ、世界を救う使命感に追われ、ドラクエの主人公はなんとも悲惨なことでしょう。

さて、それに比べ自分の人生はどうでしょうか?

確かに困難はあるが、死ぬことはほとんどない。そして、何の使命感に追われることもなく日々を過ごせる。

「人生はドラクエ」と表現されるが、大間違いもいいところだ。
人生なんて「どうぶつの森」並みにイージーゲームである。

笑い話に聞こえるかもしれないが、筆者はいたって真面目である。

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ゲームの3大要素は、「目的・条件・敵」

人生はこの3つを定めて攻略していくだけでいい。

血沸き肉躍る目的を自ら設定し、独自ルールを見極めながら、難解を攻略することで楽しみを見出すゲームである。それぞれの3要素をドラクエと比較すると、どんなに簡単なゲームかが伝わると信じたい。

ドラクエの最大の目標は、ラスボスを倒し、世界を平和に導くことである。

たいして、人生の目標というのは、そこまで難易度が高いわけではない。お金をたくさん持つでもいいし、美人な女性と結婚するでもいい。

つまりは、お金をたくさん稼ぐだけのゲーム・美人な女性と結婚するだけのゲーム。

笑えて来るだろう。クソゲーである。
でも人にとってはその程度の目的が、人生に大きな輝きを持たせてくれる。

そのために自分のなかで独自の行動ルールを設けて、困難に直面するたびにその敵を倒していくだけだ。

生きてる意味がない?

生きること自体に人類の意味があるのだから、そんなのなくて当然だ。
人々は何を血迷っている。楽しんで生きるだけでいいんだ。

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しかし、実際はゲームより難易度が高い

ここまで楽し気に話しておきながら、誤らなきゃいけないことがある。ゲームはあくまで全員がクリアできるように難易度が設定されているということだ。

では、なぜ先ほどの話をしたかというと、目的がない人間・死への恐怖が大きいことで人生を焦ってしまう人間があまりに多いからである。

先ほどの話から伝えたいことを簡潔にまとめると次の2点である。

人生は目的・条件・敵を定めて攻略を楽しむゲームだということ。

生きる意味などなく、死を焦らず日々を生きればいいということ。

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死への恐怖は解消できる

人生というゲームにおいて万人に生まれながらにして課せられている敵は、「死への恐怖」である。

人間は生まれてきたからには、確実に死を迎える。

これをネガティブにとらえるとこうなる。

「どうせ死ぬのなら、生きることに何の意味があるのか」

しかし、先ほども述べたように、人生というゲームは自分で目的を設定することができ、途中で何度でも変更可能だ。

そして繰り返しにはなるが、生きる意味などなく、もしあるとすれば、自ら設定したわくわくする目的を達成することなのだ。

「死んだら何もかも終わりではないか」

このような考え方に至る者もいる。

確かに死後の世界を体験した人間などだれもおらず、その世界について明らかな答えはない。

しかし、あなた自身が生まれる前もそうだったであろう。体験したことのない状態を死と仮定するのであれば、生まれる前にも死を味わっていたということになる。

そう考えると、死はもはや怖いものではない。

そして死について考えること自体、全くもって意味のない行為である。

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血沸き肉躍る目的の見つけ方

自分自身、若者であるわけだが、これに悩む若者たちがあまりに多すぎるような気がする。

思い込みだったら申し訳ない。だが、ほぼ間違いないだろう。

これについて僕自身が定義するとしたらこうである。

あらゆる情報と手段をもとに無限ともいえる事象を体験し、自分がどれだけその物事にのめりこめるかを一つ一つ手探りしていくこと。

現時点で「これだ!」と思えるような目的が見えていなかったとしても全く問題ない。

世の中の大人たちは、「将来的にどうなりたいのか?」ということばかりを聞いてくる。しかし、社会に出たばかりの人間に対し、答えを求めるというのは、あまりに残酷な話ではないか。

世の中にどんな仕事があり、どんな楽しいことがあるかも知らずに選択を求められる行為は、内容の分からない昼食メニューから好きな食事を選択しろというのとなんら変わりない。

行動を起こして初めて、その物事や思いついたことに自分がどれだけ関心を持てるのかが分かってくる。

普段関心がないことでも、ひとまず着手してみると、意外に面白いと思える瞬間も幾度とあるはずだ。

展開が決まっている人生は実につまらない

この世界に生まれ、ものごころつく頃には、学校に通い始め、やがて進学の道へと進み、そのうち就職する。

慣れないながらも20代のうちは耐えながら努力しつづけ、慣れてきたころには家庭と家を持つ。

自分のこどもにも似たようなレールを走らせ、自分はいづれ老い、死ぬ頃には決まってこう思う、「もっといろいろやれば良かった」。

にもかかわらず、自らの子は同じ人生をたどり、またその子も繰り返す。

悪いことだとは思わない。しかし、あまりに退屈ではないだろうか。

もしあなたが面白い人生を送りたいとするのであれば、不安定な状況をネガティブにとらえず、むしろ「刺激的だ」と思って楽しむべきなのだ。

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常識を捨てて自分を生きろ

残念なことにあなたの人生の主人公は、あなたにしか勤まらない。他の誰かにすべて決めてもらい、自分はわき役でありたいと思っても、残酷なことにあなたは主人公から逃れられない。

であるならば、やはり主人公のように生きるのがいい。そこに常識・見栄・世間体といったものは全く必要ない。

それらを押し付けてくる敵がいるというだけの話だ。

こういう価値観を強制されると次第に人はこう思うようになる。

「上手くいかなくなったら周囲から白い目で見られるのではないか」

ゲームではどんなに失敗しようと、自分以外にその様子を見ている人間など誰もいない。

では人生ではどうか。

僕自身これまで幾度となく失敗してきたが、その失敗の回数を数えている人はひとりもいなかった。誰もが自分のことで精一杯であり、他人に意識を向ける余裕などないのだ。

こういったことを知ると、「常識・見栄・世間体」が過剰な自意識によって生み出されている幻想にすぎないというなんとも羞恥的な本質に気づく瞬間がやってくる。

まとめ

結局のところ、寿命が尽きれば人間はこの世界から消滅する。それなら、常識や世間体に振り回されず、のびのびと楽しく生きるほうがいい。「旅の恥は掻き捨て」というが、人生の恥も掻き捨てなのだ。

要するに伝えたかったことはこれだ。

人生は目的・条件・敵を定めて攻略を楽しむゲームだということ。
生きる意味などなく、死を焦らず日々を楽しく生きればいいということ。

もしあなたが今、八方ふさがりで目の前が真っ暗になっているのであれば、金欠に陥っているのであれば、無気力になってしまうのであれば、その憂鬱さから脱するきっかけとなれば、筆者にとってそれ以上の喜びない。

心の中の霧がどんどん晴れていくことを願う。

今回はここまで。

参考にさせていただいたもの


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