【読書】『わが友マキアヴェッリ』第二巻③【失職】
自分の国は自分で守ろう・・・・・とした
終身大統領になったソデリーニは、新税法案の理論的根拠作成をマキアヴェッリに命じる。
新税を課さない限りフィレンツェ政府の財源は尽きていたからだ。
だからといって新税が嫌われるのはいつの時代でも変わらない。
したがって、誰もが納得する根拠を提示して、それで押す、しかない。
そのマキアヴェッリの論文は、
『若干の序論と考慮すべき事情を述べながらの、資金準備についての提言』
という表題で残っている。
塩野さんは“奇妙な表題”と述べているが、確かに奇妙だ。
それも、内容は「資金準備」には触れず、「若干の序論」と「考慮すべき事情」にしか触れていないのだから、ますます“奇妙”で“変な”論文なのである。
それでも、マキアヴェッリは初めて自分の考え、国家を効率よく機能させるには何が必要なのか、をハッキリと論じている。
『君主論』の先触れともされるこの短い論文は、イタリアでは「全文これ神経」という評価が与えられている。
言うも言ったりと思うが、マキアヴェッリにはその資格がある。
フィレンツェ政府の無能の尻ぬぐいで、あっちこっちに飛び回って、交渉を続けていたのである。
しかも、フィレンツェ政府は経費を出し渋る。
折衝役としての能力は相当に高い評価を得ていたので、必要とあればどこにでも手軽に派遣されていた。そして、そこで観察したことを、分析し、報告書として書きまくる。
そこで積んだ経験は、マキアヴェッリの想いを強固にする―――――
―――――自分の国は自分で守るしかない、と。
マキアヴェッリの『提言』がどのように使われたのかは明らかではない。
しかし、ソデリーニの演説は大変に熱を帯びた説得力のあるものであったようで、新税課税法案は一回の投票で通過する。
なのだが、せっかく確保された財源での自衛力確保には、さらに三年の歳月を要する。
ようやくのこと、一五〇六年二月十五日、政庁前のシニョーリア広場で、たった四百という数だったが、国民軍を披露する。
フランス人は政治の仕方を知らない
ヴェネツィア共和国、一千年の歴史を持つ国のほとんど唯一の外交上の誤りを犯すことになる。
ヴェネツィア憎し、で始まった教皇の呼びかけで、教皇庁、神聖ローマ皇帝、フランス王、スペイン王、とイタリア半島に領土的野心を持つ列強の、すべてを同時に敵に回してしまったのだ。
カンブレー同盟の名で有名になるのだが、それでフィレンツェ共和国はどうしたのか?
中立を維持したのだが、各国から相手にされなかったのが実情である。
それはそうだ。たかが知れている、と思われているからだ。
どうせフランス王ルイ十二世の側につくだろう、とは思われていたので同盟側だと思われていたようではある。
初戦、アニャネッロの戦い、フランス軍はヴェネツィア軍に大勝する。
フランス軍勝利、ヴェネツィア軍敗北―――――これでヴェネツィアにとって都合がよくなってしまうのだから、塞翁が馬である。
ヴェネツィアを叩き潰したのがフランス軍であったこと。それが教皇は気に入らない。どころか不安になる。
それはそうであろう。先代のシャルル八世は撤退したとはいえ、一時的にナポリを征服しているのだから。
そして、その不安にヴェネツィアがつけ込む。
カンブレー同盟結成から一年しかたっていないというのに、対ヴェネツィア同盟が対仏同盟に変わる。
困ってしまったのはフィレンツェである。親フランス路線をとっていたから、簡単に法王側にはつけない。
しかも、アニャネッロの戦いで、フランス軍の軍事的優勢は証明されているのだから、フランスを敵に回すこともできない。
ということで、いつもの手段で、いつもの人間を使う―――――マキアヴェッリが折衝役として使われ、しのごぬかす任命を帯びる。
マキアヴェッリ流に言えば、「思慮」と「力」の双方を持たない国家の行き着く先である。
国際関係の主導権を持っていない挙句、国際関係の動きに左右されないでは済まない国は、振り回されるだけなのである。
第二戦、一五一二年四月十一日、アニャネッロの戦い。今度も、フランス軍勝利、同盟軍敗北で終わる。
フランス軍の軍事的優勢は明らかだ。戦えばフランスが勝つ。
だったのだが、フランス王ルイ十二世は最大のチャンスを逃す。「何を血迷ったのか」とでも言いたくなるが、フランス軍をミラノへ呼び戻してしまうのである。
そのまま攻め込んでしまってイタリア全土征服、となってしまったら、ナポレオンのイタリア遠征がなくなってしまうのではないかと「タラレバ」を考えてしまうが、ルイ十二世の一貫性の欠如、決断力不足を露呈してしまった。
まさかここまでとは、だれも、マキアヴェリですら思わなかった。
有名な話がある。マキアヴェッリとフランスの宰相ダンボアーズ枢機卿の会話である。
「イタリア人は、戦争の仕方を知らぬ」
「フランス人は、政治の仕方を知りません」
失職
フランスと同盟を組んでいたフィレンツェに、教皇は制裁を決める。
進軍するのはスペイン軍。カネを出したのは追放されていたメディチ家である。
メディチ家は追放された当時の当主ピエロが死んでいた。弟のジョバンニが後を継いでいた。
一五一二年八月スペイン軍、フィレンツェのプラートを攻撃、二十九日に陥落。
三十一日、メディチ派の五人が、共和国大統領ソデリーニを急襲。その場で殺害か、亡命かの二択を迫る。ソデリーニは亡命を選ぶ。
こうして、メディチのクーデターは成功し、復帰成功する。
メディチ復帰後の十一月七日、マキアヴェッリはすべての役職から解任される。
フィレンツェ追放、ただし共和国内に留まる義務は持つ。一年間、政庁にも出入り禁止。ついでに、一千ドゥカードの支払い。
しかし、実際のところ、マキアヴェッリはしばらく政庁に通い続けることになる。理由は、マキアヴェッリがいないと、何がどこにあるかわからないからである。
リストラというか整理解雇というかで、退職の決まった人間が、退職日ギリギリまで働かさせらるようなものかと思うと「なんで退職なのだろう?」とマキアヴェッリならずとも思うだろう。
その理由をマキアヴェッリが知らず、後世の我々が分かるのは、ジョバンニ・デ・メディチの手紙を知っているからである。
ジョバンニは、マキアヴェッリのポストがスパイ役に向いていることを知っていた。ゆえに、「フィレンツェ共和国第二書記局の書記官」に自分の息のかかったものを送り込みたかったのである。
スパイ役の立場に立って考えよう。自分の隣に優秀な人間がいるのである。安心してスパイ活動ができるわけがない。スパイ本人はもちろん、それを指示するジョバンニだってそう思うだろう。
ということで、「フィレンツェ共和国第二書記局の書記官」の仕事が大好きで、好きであるがゆえに優秀になってしまったマキアヴェッリは、優秀であるがゆえに追放されることになる。
マキアヴェッリの立場に戻す。
落ち度があったわけでもない。不正をしたわけでもない。好きな仕事を張り切ってやっていたのにも関わらず、自分より優秀でもない人間に引き継いで失職するのである。
もう一度、『ディスコルシ』を引用する。
マキアヴェッリは、政体のいかんを問うてはいない。マキアヴェッリが求めたのは「国家の技術」つまり、国家の効率的運用なのである。自分の仕える国家が共和政であろうと貴族政であろうと君主政であろうと構わないのである。
それなのに失職する。
ダンテに追放なくば『神曲』は生まれず、マキアヴェッリに追放なくば『君主論』は生まれず、だったろう。
しかし、当人の気持ちになればどうであろう?
なんの落ち度もなく、不正をしたわけでもなく、好きな仕事を張り切ってやっていた人間が、好きな仕事を奪われるのである。
その「感情」は、好きな仕事を張り切ってやっていたのに、それを奪われた人間にしか分からない。
以降、マキアヴェッリは隠遁生活に入る。
*アイキャッチはdarrenquigley32によるPixabayからの画像
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