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一番衝撃を受けたのは町田康さんの本だ。

わたしにとって、町田康さんは特別な作家だ。

なにがって、ものすごい力を感じる。そしてこわい。
好きって作家はいても、こわいって思う作家なんてそうそういない。

なかでも、といっても、何冊か町田さんの小説に挑戦して、力負けして最後まで読み切れたことが極めて少ない、読んでみようと思っても自分のコンディションがよほど良くないと本を手に取ることも難しいので、「なかでも」と書くのはおこがましいのだが、とにかく「告白」がすごかった。
ここ数年、実は小説を読む量が減ってきてはいるのだけど、そんなことは関係なく「告白」はすごかった。

”安政四年、河内国石川郡赤阪村字水分の百姓城戸平次の長男として出生した熊太郎は気弱で鈍くさい子供であったが長ずるにつれて手のつけられぬ乱暴者となり、明治二十年、三十歳を過ぎる頃には、飲酒、賭博、婦女に身を持ち崩す、完全な無頼者と成り果てていた。”

出だしがすごい。冒頭からすでに、不吉で、禍々しい。
図書館でここを読んで、その清潔で文化的な空間から、熊太郎が生まれた江戸末期の関西のふちに、一気に飛ばされた。
4センチはあろうかという厚みの本を抱え、そそくさと帰宅した。

この本は「河内音頭」の「河内十人斬り」をモチーフにした小説だ。
「城戸熊太郎」という凡庸な男が、破滅へと向かう様、純粋な狂気を帯びていく様が描かれている。
圧倒的な表現力と膨大な文章量、そして、主人公の"どうしようもなさ"を表したようなだるさ、倦怠。のらりくらり進むかと思うと、追い詰められた絶望的な恐怖(わたしは元々怖がりなのですが、自分がどうにかなりそうなくらい本当にこわかった)、それらを奇跡的に或いは間抜けに潜り抜けながら、ひとつの、必然の場所に向かって物語は確実に進んでいく。

「読む側("本が好き"なひと)」の体力と根性が試されているような本だ。
読むのが苦しい本だ。少なくともわたしはそうだった。

この小説の評論をしたいわけではないしできないので、これ以上のことが書けないのですが、足元の悪い沼地をずぶずぶと進んでいくような感じ、それまでと打って変わったクライマックスの鮮烈、見事な転換のラストシーン、かなしさ。
傑作としか言いようがないです。
読後、本を閉じて見る表紙の「告白」という赤いタイトルが胸を突きます。「告白」を言い換えるなら「祈り」、「城戸熊太郎」というひとりの男の、悲痛な祈りの話だと思いました。熊太郎のたましいのかなしい叫び。

ご存じの方も多いと思うのですが、町田康さんは「町田町蔵(まちだまちぞう)」という名で、「INU」というパンクバンドでボーカルを担当していました。(わたしのなかではやっぱりこわい)
その後詩を書き、小説を書き、古典文学の現代語訳なども手掛け、「汝、我が民に非ズ」というバンドで活動しているそうです。
実生活では、保護した犬や猫たちとともに暮らし、動物愛護活動にも力を入れています。猫たちとの暮らしをつづったエッセイは、小説とはまた違った、町田さんの優しさとユーモアと切なさにあふれています。

上記は「猫」シリーズ四部作の一作目です。「告白」とは全く違う意味でこちらも胸がつまる作品です。

一方、コラムやインタビュー記事などを読むと、創作の源を垣間見せてくれる深い思考と、適切に言葉に置換する知性をひしひしと感じます。

どこからあれだけの表現が生まれるのか。
猫や犬のエッセイでみる慈悲深さと繊細さ、コラムなどに見る明晰さと知性、小説にみる闇鍋のような表現力。
すべての振り幅が大きく、しかし、すべてにつながる一本の線のようなものが確かに見えます。

町田さんのあたまのなかってどんなだろう。どれだけの熱がどこから生まれ、醸造され、どうやって吐き出されているのだろう。
情けないくらい幼稚な疑問がいつも湧きます。

「すごすぎる、こわい」という言葉しか浮かばない。
町田康さんは特別な作家です。


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