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言葉はとどくよ、どこまでも

ライブハウスでよくみた光景がある。
それは、じっくりと音の世界にひたったり、ゆらゆら揺れて踊ったりするタイプのライブではなく、まるで、洗濯機のなかに放り込まれた靴下のように、もみくちゃにされたり、押しつぶされたり、そのうえ、人がどかどかと降ってくるような、そんなむちゃくちゃなタイプのライブで、みていたものだ。
満員電車以上に、ぎゅうぎゅうに圧縮されたスタンディングゾーンめがけて、ポールや、仲間の背中によじのぼった誰かが、ぽーんとダイブして、そのまま、たくさんの人の手のひらに運ばれて、ごろごろと転がりながら、ステージ前の柵まで進んでいく。
それは、クラウドサーフ、というらしい。
当時は、そんな名前は知らずに「たくさんの人の手によって、ごろごろと前方に運ばれていくあれ」とだけ、認識していた。

先日、Jリーグクラブチームへの想いを書いた文章が、たくさん、本当に、たくさんの方に読んでいただける機会に恵まれた。

最初に読んでくれた方は、二十五人。
サッカーについて書いたのも、ストレスから退職した経験を書いたのも、はじめてのことだったので、ちゃんと、誰かに伝わるように書けているのか、自信がなかった。
だから、二十五人も読んでくれた方がいて、読んだよ、届いたよ、というしるしを残してもらえたことは、とてもうれしかった。
それでも、たぶん、もうこれ以上遠くには、届いていくことはなくって、図書館の書庫の棚に、ひっそりとおさまっている本の言葉のように、誰にも読み返されることなく、眠りつづけるんだと、さびしいけれど、そういうものなのだと、そっと受けとめていた。


あるひとつのきっかけから、読んでくれた方の手を渡っていくように、わたしの言葉が、遠くまで運ばれていくのを感じた。
サッカーを愛するサポーターの方、クラブの運営に携わっている方、ピッチに立つプレイヤーの方の手から、SNSのシェアを通じて、どんどん運ばれ、届けられていく。
クラウドサーフみたいだ、と思った。
あのとき、ライブハウスで、たくさんの手によって、前へ前へと、運ばれていた誰かは、こんな気持ちだったんだろうか。
こんなにまぶしくて、こんなにうれしくて、あたたかい気持ちだったんだろうか。
スマートフォンの画面をみつめたまま、胸がいっぱいになって、なんども泣いた。

ストレスに押しつぶされて、仕事を辞めて、苦しくて苦しくて仕方がなかった、あのころのわたしの心に、そっと寄り添って、希望を与えてくれた、サッカーのクラブチームと、その文化を底から支えている、大きな大きな何かに、わたしは感謝の気持ちを伝えることができたんだろうか。ほんのちょっとでも、恩を返すことができたんだろうか。
返すどころか、また、あたらしく、超特大の恩を、もらってしまったような気がする。

この経験を、きっと忘れない。
言葉は、どこまでも遠くまで届いていくんだという希望を、きっときっと、忘れない。


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