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ヤンとフリデリク【創作マンガ】ショパンの友だち

はじめに

このマンガは、ショパンの少年時代の親友を描いた作品です。
前作『ひとりぼっちのヤン』の続編になります。


ヤンはショパンのお父さんが経営してる寄宿舎の生徒であり、そこで幼いショパンと出会いました。
9年後、病気で故郷に帰ったヤンに、ショパンは手紙を書きます。

君がここにいないのはとても残念です。
ワサン・ドブロッズと一緒の時はとても楽しかった。
おしゃべりしたり、冗談を言ったり、歌ったり、泣いたり、笑ったり、殴り合ったり。

ショパン1825年7月8日の手紙、ポーランド語をDeepL翻訳

彼らの出会いはショパンが6歳、ヤンが11歳のときでした。
ショパンが中学生になるころ、ヤンは大学生です。
このように年の差があるのに親友となり、一緒に泣いたり取っ組み合いのケンカをすることはできるのでしょうか?

芸術を愛するヤンが5歳年下の子を殴る姿は想像しにくいですが、もしかしたらショパンが生意気だったのかもしれません。また、彼らの関係が兄弟のようなもので、兄弟ケンカのようなものだったのかもしれません。あるいは、精神的に完全に対等な関係だったのかもしれません。

ショパンとヤンの友情がどのように育まれたのか、彼らの関係がどれほど特別だったのかを、想像し感じていただけたら嬉しいです。


【創作マンガ】ヤンとフリデリク


あとがき

ヤン・ビヤウォブウォツキは若くして亡くなり、歴史の中で忘れられてしまった人物です。19世紀に書かれたショパンの伝記に彼の名前はありませんでした。しかし、20世紀にショパンがヤンに宛てた手紙が発見され、少年時代のショパンの親友としてその存在が浮かび上がりました。

とはいえ、ショパンの手紙以外で彼について知ることはほとんどできません。「ドブジン地方の家族たち」というポーランド語のウェブサイトに彼の家系の詳細が記載されていましたが、ヤン自身についてはほとんどわかっていません。誕生日と場所は不明、寄宿生時代はショパンと教会の聖歌隊で歌ったこと、大学で専攻は法律学科ですが、絵画の授業を受けていたこと、亡くなった年の場所くらいです。彼が偉業を成し遂げたわけでもないため、その人生は謎のままです。

ショパンには他にも友だちが大勢いるのですが、どうしてヤンだけが特別親友になったのだろう?

ショパンは絵を描くのも好きなんですよね。ヤンは絵、ショパンは音楽が得意。ヤンとショパンは芸術を通して、お互いに教え合う関係で親友になったのではないかと想像しています。


この作品をお読みいただきありがとうございました。
これからもショパンの周りにいた人たちを描きたいと思ってます。

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