「自由形ラグビー」から学んだ4つの教育
こんにちは。
スクラムヒューマンパワー代表 日原 達仁です。
私の記事を読んでいただいて、ありがとうございます。
6月から本格的に人材コンサルティングが始まります。
「社員、選手のやる気を高めるためには、
どのような教え方がいいのですか?」という質問を
受けることが多々あります。
私の人材育成方法は、大学ラグビーの経験が基になっています。
自由形ラグビーであった大学ラグビーの経験を基に、
23年間、延べ3000人以上の採用・
教育で培った知識を活用し育成に当たっています。
ですので、基礎の部分をお話しようとすると、
どうしてもラグビーの話が多めになってしまいますが、ご容赦ください。
高校時代のラグビーは、管理型のラグビーでした。
大学時代のラグビーは、自由形のラグビーであったと思います。
私なりの解釈ですので、それぞれ捉え方は異なるかもしれません。
責任を笠にした自由と権利を、学生ひとりひとりが与えられる、
そんな自由形ラグビーだったと思います。
大学卒業から3年、2つ上の先輩の結婚式に招待され、山形へ行きました。
出席者は全員先輩たちで、2つ上ですから学生時代の上下関係は明確です。
時代もあり、当時は「運動部の先輩は絶対」という、
非常にはっきりとした上下関係です。
当時はとても厳しくご指導いただいた身ですので、
再会に向けての本音は「やだな~」でした。
結婚式に参列したらすぐにでも山梨に帰ろうと、
こっそり目論んでいました。
卒業から3年もたち、先輩も私も、学生気分はすっかり抜けていました。
しかしお酒が入ると皆のテンションは最高潮、
日本体育大学の伝統「エ・サ・サ」が始まります。
余興は上半身裸で踊ります。
私はアルコールも手伝って盛り上げ隊長ですので、
余興が終わるころにはいつもズボンを探すはめになっていますが、
失態の具合は、皆様の想像力にお任せいたします・・・。
先輩方も、指導時の厳しさはすっかり抜け落ち、
とても優しく接してくれます。
お酒を注いでくれたり、
食べきれないほどの高級料理を取り分けてくれたり、
結婚式へ向かう新幹線の中での悲痛な気分はきれいに吹っ飛びました。
最後は先輩たちと肩を組んで、ラグビー部の部歌を涙ながらに大合唱です。
大学時代は完全なる寮生活でした。
同じ部屋に4年生から1年生まで、縦割りで生活します。
1年生の生活スペースは、一畳分あればよいくらいで、
高校3年時に味わった先輩気分も、入寮4日目ですっかり抜け落ち、
荷物をまとめて山梨へ帰りたくなる程です。
今はそんなこともないのだと思いますが、時代も手伝って、
当時の学生はやりたい放題です。徹夜で麻雀、部屋で煙草はぷかぷか、テレビにゲームにやり放題。上級生の授業に代理で出席したりもします。
中には一回につき千円のバイト代が出たりもしました。
19歳なのに門限は夜8時、洗濯、掃除、電話番と、比較的フランクな大学と聞いていただけに、19歳の私には試練でした。
「チームの目標は大学日本一」
私が入学する前のシーズンでは、大学2位、部員は220名、
優秀な人材が有り余っていました。
しかし私の入学後、しばらく低迷期に入ります。
時間・清掃・挨拶と、基本的なマナーはできても、
ルールを守れない選手もいました。220名も部員がいれば、
存在感の薄い選手は練習に参加しなくてもわかりません。
体調不良と偽って練習を休んでも咎められたりしません。
学生の自主性に任せた仕組みは、
「自由形ラグビー」と呼ぶにふさわしいものでした。
しかしチームには鬼軍曹が存在し、
やる気のある下級生を育成するリーダーには、
厳しい方が多かったように思います。
ラグビー強豪校としてのし上がった
神奈川県私学のラグビー指導者は、躾の部分に特に厳しい人で、
同じ部屋の1年生は時々愚痴をこぼし涙を浮かべることもありました。
自主性や選手のやる気に任せた大学でも、
本当に厳しい規律やルールは存在します。
もし下級生が違反すれば、当然しごかれますし、
上級生でも点呼時に不在であると、寮長から指導を受けます。
自由形ラグビー、大学ラグビーを振返ると、4つの教育がありました。
指導教育
態度教育
価値観教育
職能教育
この4つの教育は、現在の企業、組織、スポーツにも共通します。
次回それぞれの教育をどのように実践し、
社会を生きる力を高めたのかについてお話いたします。
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