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エシカル消費って結局なに??フードスコーレDay2.2

前回の「発酵がもたらす未来へ。フードスコーレDay2.1」では授業の内容についてまとめました。

今回は自分の日常での感じたこと考えたことを踏まえながら、頭の中にある「もやもや」を言語化しています!

【フードスコーレ・レポ】
「食のがっこうfoodskole 21年度前期Basicカリキュラム」の受講内容をレポートします。
授業は興味深い内容が盛りだくさん!そして、答えを出すのではなく、講師の方や受講生の方との対話を通して考えを深めるため、自分の考えがゆらゆらすることもしばしば。「答えのない問い」を考える要素と、心の体力をつけるために「体験レポート」として書き記しておくことにしました。
DAY2 発酵でつなぐ都市と地域。
ゲスト講師:酒井里奈さん(ファーメンステーション)
「合理的ではない」と周りから言われても事業をやり続ける、ファーメンステーション酒井さんの活動意図とは。地域、都市、食、環境、暮らし、そして生産と消費。すべてにとって良い活動とは。サーキュラーエコノミーのリアルに迫る。

エシカル消費とは?

消費者それぞれが各自にとっての社会的課題の解決を考慮したり、そうした課題に取り組む事業者を応援しながら消費活動を行うこと。(消費者庁)

こう考えると何が倫理的であるかどうかには人によって異なるが、価値と価値を交換する経済活動でなされる消費という構造であると言えます。

1.消費ではなく、投資とみる?(エシカルの定義とは)

消費とは、消費(しょうひ、consumption)とは、欲求を満たすために財・サービス(商品)を消耗することを指す。資源を使用することでもある。生産の反意語。
投資(とうし、英: investment)とは、主に経済において、将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動を指す(現代において、生産能力の増加しない商業活動はこれに含まない)。広義では、自己研鑽や人間関係においても使われる語である。

上記の経済的な定義から行くと、「エシカル消費」は消費ではなく投資に近い感覚なのではないかと思います。
ただ、何のための投資なのか。資本とは何を指すのか。どのような理想への投資なのか。どの程度の規模の投資なのか。は人によって異なります。
例えば、「エシカル消費」をするのは、自分の健康のための人もいるし、未来の子供たちのための人もいるし、海外の人々のための人もいるし、地域活性化のための人もいる。
大事なのは、”自分は何を考えて「エシカル消費」をしたのか”であると思いました。それは、自分自身の価値観を深く知ることでもあり、相手(エシカルグッツをつくっている人やエシカル消費に興味のない人)を理解することでもあるのではないでしょうか。

1.ファンであるけれど、消費しないもの(現状のサスティナブル)

講義の中で、応援してくれる人はたくさんいるけれど、ファンはたくさんいるのに、結局商品を買う人は少ないという話題がありました。サスティナブルな社会に貢献したい想いが先行してお金を支払うことは、普段の消費と目的が違うため、そうしたことが出てくるのではないかと思いました。

私は、販売のアルバイトをしています。物販は、食品や日常日と比べると、人間にとって「なくてもよい物」です。しかし、「なくてもよい物」だからこそ、そこに価値をつくることで人々にさらに豊かな生活を提案しているともとらえられます。例えば、私のバイト先では革製品でつくられたノートカバーを販売しています。人は、ノートにカバーをつけなくても困ることはありません。しかし、ノートカバーを使うだけで、毎日の仕事が楽しくなったり、なんでもない日常で自分のやる気が上がったりします。

このように人は、必要不可欠なものではなくても、自分が物を所有する先に豊かな人生(自分がありたい姿の実現)を目的として消費をするのではないかと考えました。

サスティナブルのファンは、上記の考えに少し似ているのではないかと思いました。サスティナブルなことが好きなファンというのは、サスティナビリティへの活動に関わることで得られる知識、尊敬する人々の活動への共感、活動する人の熱い思いに触れることで湧き上がる想いなどの価値をもらう目的の方が多いのではないかと思います。

そうだとすると、提供されるプロダクトを消費する価値はそれほど重視する人がいないとも考えられます。プロダクトは、サスティナブルとは別の目的を果たすために消費するので、より便利で安価な消費を選択する要因になると思いました。

消費する上で焦点をあてている(目的としている場所)が違うことや、時と場合によって使い分けることが現状のサスティナブル消費といえるのではないかと考えます。

そこで、自分も便利で環境や社会により良いプロダクトが日常になることを目指すことが、SDGsのゴールに含まれているのだとつながりました。


3.選択することの自由と責任。

私たちは、ある程度‘‘自由な暮らし‘‘をています。(一般的には、生きることに精一杯でそれ以外に選択肢がないことよりも、と表現される。)しかし、実際には、その‘‘自由な暮らし‘‘は、社会が提供してくれる選択肢の中での行動に過ぎないのではないでしょうか。

例えば、環境に負荷を与える選択肢が多く、(その事実は製造している側も提供される側も認識していない場合がある)それらほど‘‘良い‘‘(便利で安くて流行にのっているなど)とされています。

そのため、自分の豊かさを選んだら、無意識のうちに問題を起こしていた、問題に関わっているという社会構造になっていると言えます。

しかし、祖先の人がつくってくださった構造の中で生きる事よりも、自分で選んだ道を進むことの方がはるかに大変である気がします。ただこの構造を作り直していかなければ、自分や社会が思い描いている未来には近づかないのかもしれません。


4.選択肢は自分を作る。

選択肢を決めることは、自分が「何者であるかを決めるもの」であると思いました。

例えば、何かのアンケートフォームに記入する際の話。
選択肢をチェックする方式のアンケートで、そこには性別の項目、男性or女性を選択してくださいと書いてありました。
それの選択肢を選ぶ際に考えたこと。。。

・その選択肢は生物学的な分類なのか。
・それとも精神的な分類なのか
・または、それ以外の選択肢はえらぶことができないのか。
・アンケート制作をする側は何を書きたいのか。

自分が選んだ選択肢によって、自分の物事のとらえ方、何を重要視するのか(したいのか)が分かるor決めていると言えます。「エシカル消費」をする人は、自分を「何者であると決めたい」のかなと思いました。


5.あなたにとってのエシカル消費とは?

私の現在のエシカルの基準は、自分が「語りたいもの」であるのかどうかです。(これからアップデートしていきたい)
例えば、自分の持ち物を「○○さんがつくったもの」と人に紹介したい物にする。信頼して使うことができますし、大切に使うことができます。この考えは、自分が販売したいものに似ています。(だからといって、モノやサービスに妥協することとは違います。)

ただ、あいまいな概念であるため、なんとでもとらえられることが難点。その際に、科学的な根拠や事実、構造の「正しさ」を認識することの重要性も感じました。オーガニックのお話も今後考えたい。。。
※「正しさ」と「楽しさ」の重要性はDay1の【環境にやさしいではなく、環境に「正しい」行動とは?】のお話から。

もやもやポイントはまだまだたくさんあるので対話をさらに深めていきたいと思います!ここまで目を通していただき、本当にありがとうございました^^貴重すぎます、、!


樋口彩加(ひぐちさやか)
2000年生まれ。法政大学人間環境学部人間環境学科在学中。環境社会学、環境人類学などを選考。小学生の時に「どうして食べられる人と食べられない人がいるのか」を疑問に思ったことがきっかけで、国際関係や環境問題について考えはじめる。国際・国内ボランティアを経験する中で「食の背景」について興味を持つ。身近にできるアクションとしてフードロス削減に関するイベント開催や情報発信などの活動を開始。自然と文化、生きがいなどの社会的な面から環境問題へ取組み、持続可能な社会の実現について勉強中。


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