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生きる実感を取り戻す。フードスコーレDay3

今回は、「食のがっこうfoodskole 」Day3!

DAY3 市場、ポケマルとスーパーのちがい。
ゲスト講師:高橋博之さん(ポケットマルシェ)
さまざまなサービスや仕組みでできている日本の食の流通システム。「サステナブル」という視点での食の流通システムにおいて、その思想や理想が多様的であることは果たしていいことなのか?

(勝手にですが)大好きな、高橋さんの授業でわくわくしております、!!

著書:「都市と地方をかきまぜる」「共感資本社会を生きる

今回もですが、思ったことをそのまま言葉にしています。こんなことも関連するのでは!などと調べたり考えたりするので、書いていることがあっちこっちに行きます。

1.一次産業の重要性

「生みの親は自然、育ての親は農家さん」

第一次産業が決定的に違うのは、命にかかわっている点です。その命を生み、育てることが、一次産業に従事している方々です。そして、命を育てる際には、漁師さんや農家さん、それぞれの教育方針があります。例えば、農薬を使うところ、使わないところ。面倒をよく見るところ、放任主義の教育。大勢を多く見るところ、少なく見るところ。

そのプロセスが重要であるのに、現状は出来上がったプロダクトしか見られていません。というお話を聞き、大切にしたいのは、生きることなのだと改めて思いました。

学校の教員をされている受講生の方からは、教育現場においても、子どもたちのプロセスではなく、結果が重視されがちであることに同じような疑問を抱いており、共感を得ていました。

生産者は自然でしかないのではないかという、キクチシンさんの考え方にも少し似ている都ところがあると思いました。

【資源に根差し、つくる人の時代へ。】
全ては「プロダクト・アウト」である。モノが先。資源も食料も、ある時にしか手に入らない。だから、不安で過剰に取ろうとする。人は、ゼロからモノ(エネルギー)を生み出すことができない。本質的には生産者ではない。モノの有無は環境に依存するのだ。
キクチシンさん、フェイスブックより

疑問を抱くのは、都会では、仕事と暮らしが別々になっている現状。暮らしを得る手段がないので、暮らしを買って‘‘生活‘‘をしています。

2.食とのかかわり方

生活を、国家や大企業に任せて支えてもらっている。その対価としての支払いをしていた時代。こうして人間の機会化が進んできました。‘暮らし‘‘を人に任せることで生存実感がなくなっているのが今の現状ではないでしょうか。

例えば、人間の機会化について、高橋さんからこんなお話がありました。

「食べる」ことは、単にエネルギー補給のためにあるものなのか。創であれば、スマホの充電と、車のガソリン補給と一緒なのではないか。時短をすることで、「食べる時間が削られる」ことになった。「食べえること」を楽しめるのは、人間だけなのではないか。動物は、食を喰うか喰われるかの関係であるが、人間は、文化的に食を考えることができるのである。

高橋さんが牛丼チェーンの人の様子を見ていた時には、食券を購入し、待っている間にスマホをいじり、注文したものを食べて、お店を後にする一連の流れに疑問を持ち、豚舎と同じようだと思ったそうです。

さらに、教育現場での現状は、授業の配分を考えるために給食が削られ、「黙食」になっているそう。ますます、食を介して人が自然にいられる時間が少なくなっていると思いました。

近年は、おうちの時間が増えたことで、「暮らし」に目を向けられるようになり、ポケマルで食に時間をかけて楽しむようになった人が増えているそうです。

食卓で一緒にご飯を食べるときには、コミュニケーションができます。例えば、ポケマルで買う前の食材と買った後、食べてみてからの感想。わくわくするような体験。「食卓」というのは、本来そうした場であると思いました。

2.政治家と事業家

政治家での経験と事業家での経験を持っている高橋さん。2つの経験通して、その違いについてお話してくださいました。

議員であるときは、民主主義に基づき、多くの人に自分の意見を聞いてもらわないといけません。そのため、決まるのに時間がかかります。ただ、行う際には、税金を使うことができるので一気に大きな政策を実行することができます。一方事業では、ある程度、自分のやりたいことや好きなことができるます。しかし、事業で大きく全面領域を変えることはできません。

この、全面展開と一点展開をできるだけ近づけていくことが、今後必要になると考えられていました。

例えば、教育業界では長年、日本の教育変革について話されてきました。教育現場を変えたい!と熱い思いを持った教師の方は、大学院に行き、良い教師の育成を学んだり、新しく自分で学校を立てたり、しているそうです。そのほとんどが、教育現場には帰ってこないそう。

ただ、すべての子どもたちが平等に学べる義務教育の場所だからこそ、変革が必要であるともおしゃっていました。受講生の中には、事業と国と協力するコレクティブインパクトの大切さに注目される方もおられました。

3.あいだを大切にすることで見えること

時間、手間、人間。すべてに「あいだ」があること。

AとBどちらかではなく、「あいまいなこと」に重要性があるのではないかと話されていました。
そのためには、AとBの意見を通訳する人が必要です。NPO、NGO、一般社団法人など、かき混ぜる人たちの役割があらわれています。都市のシステムをひっくり返すのではなく、地方と都会をかき混ぜるという考え方です。これは、漢方と同じようなことであり、漢方は時間をかけてゆっくり根本的原因を直していくそうです。

AとBのはざまでのもやもやを大切に抱いて、答えに近づくのにあきらめない姿勢。もやもやの間での揺れ幅は、大人になるにつれて小さくなっていくそうです。

4.自然とのあいだで

私の家は木造住宅で縁側があります。私は縁側が大好きです。(隙間があってそこから風も虫も入ってくるので、ほぼ外とも言えます、、、。)

縁側の様子は天候にも左右されますし、よその人が縁側に腰を掛ける際には、家での中ではないけれど、どこか親しみやすい、丁度良い距離感があると思います。

そうした、自然と人、人と人の絶妙なあいだを繋ぐ縁側の良さを改めて知ったきがしました。(縁側は家の一部なのでバルコニーとも少し違う??)


また高橋さんは、講義の中で自然に触れたくなったら裸足で歩くと良いと話していました。自分の体は自然のものだからです。

裸足で縁側を歩く。芝に素足で踏み込む。そこから感じられる、自然(自分)はここで生きていると安心できます。



フードスコーレ全12回中の3回が終了しました。ここで講師の方の共通点は、「理想を追い求める姿」と「感謝する想い」なのではないかと感じました。

「理想を追う姿」
困難をしっかりと見つめ、等身大でお話してくださいます。「本当にそれって理想なのか?」自分自身に問いかける強い姿勢を感じました。

「感謝する想い」
目の前の人と自然の、背景までを想像することで自然と出てくる「ありがとう」の言葉を大切にしていると感じました。例えば、自分にできない事に対価としての感謝の気持ちでお金を払っていますが、お金を持っている側が強くなっているのが現状です。

最後まで見てくださって、ありがとうございました!!


【フードスコーレ・レポ】
授業は興味深い内容が盛りだくさん!そして、答えを出すのではなく、講師の方や受講生の方との対話を通して考えを深めるため、自分の考えがゆらゆらすることもしばしば。「答えのない問い」を考える要素と、心の体力をつけるために「体験レポート」として書き記しておくことにしました。
foodskole で学ぶことは?
食べることは「文化」そのものでです。「食」を中心として、入手先、食べ方、保存方法などの様々なかかわりながら生きています。食に対して「持論」を持つことで自分の価値観に責任をもって食卓を楽しむことができるはず。「食の創造論」を学んでいます。


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