見出し画像

織田信長の桶狭間合戦

 織田信長の合戦は、意外と運任せに見えるものが多い。
 しかし、目の前に転がってきた運を
掴むには、それを見極める眼力とこれを握りしめて離さない腕力が必要。

 桶狭間合戦は、合戦時に雨☔が降ったことで有名である。

 信頼できるとされる『信長公記』首巻(天理本)には、次のように書かれている。

【意訳】
 (織田信長が今川義元の本陣がある)桶狭間山の間近まで接近して、これから攻撃するところにいきなり大雨が降り、
義元隊はこの投げ打つような強い雨を顔面に受け、味方(織田信長隊)は背中にこれを受けた。沓掛の峠に生えていた二抱えも三抱えもありそうな楠の木が西からの豪雨で東に倒れた。

 桶狭間山に布陣する今川義元は、西に向かって布陣していた。
 織田信長はそこに密かに近づいた。
そこへ突然の豪雨が降りかかった。
しかも、単なる豪雨ではなく、巨木を
打ち倒すほどの勢いであった。

 戦国時代の戦場でこのようなことが
あったらどうなるか。

 まずは鉄砲は、ずぶ濡れで使えなくなる。今川義元は、高い地形に布陣していた。防御の柵や盾も立ち並べていたであろう。
 もし、この豪雨がなければ、見張りは
視界がよく届いており、ここに信長の兵が乗り込もうとしてもすぐに発見したであろう。少しでも高い位置にいれば、
弓と鉄砲でやすやすと応戦できたはずである。
 ところが、この豪雨が義元本陣の防御力を100点から0点に低下させた。
 空が晴れたところで、信長が猛然と
襲いかかった。
 『信長公記』は言う。

【意訳】
(織田信長は)空が晴れるのをご覧になり、槍を取って、大音声(だいおんじょう)を上げ、
 「よしっ、かかれ、かかれ!」とおおせられ、(今川義元本陣は、信長隊が)
黒煙を立てかかるのを見て、まるで水が流れるように後方へ崩れてしまった。

 またとないというタイミングを見極めるのが絶妙であった。これより少し早くても遅くても信長の勝てる戦いとはならなかったかもしれない。
 今川軍は驚いて、信長の槍が届く前に総崩れとなった。
 義元は信長の襲撃を感じ取って、すぐさまコシに乗ったにもかかわらず、そのまま置き去りにされたのかもしれない。
 ここで馬を使って味方を見捨てて逃げてしまえば、命を失うこともなかっただろう。

 思わぬ天運、信長即座の英断、そして今川義元の判断ミス、これらどれかひとつでもかけていたら、義元は討たれなかった。

 こういう歴史的な瞬間があるのだ。
今川義元が討たれなければ、今川義元の人質であった徳川家康も、今川家の一武将で終わり、のちの徳川幕府もなかったであろう。
 
 歴史のダイナミズムというところであるといえようか。


索引  戦国大変  乃至政彦 著
  発行 株式会社日本ビジネスプレス
  発売 株式会社ワニブックス  
  2023年


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?