堂々と胸を張れる大人になれていますか?
この週末は旧友と話す機会が多かった。
卒業して以来、数回しか話していないような高校時代の仲間との電話や、大学時代に学生団体で苦楽を共にした友人とのカフェタイム。
今年でもう27歳になろうとしている。
果たして、堂々と胸を張れる大人になれてるんだろうか?
いつの間にかアラサーに突入
ついこないだまで、受験勉強に勤しんでいた。嫌だなって言いながらも、部活は毎日欠かさず練習に励んでいた。そう、ついこないだまでのこと。
でも、数字だけ見ると高校を卒業してから約8年の月日が経ってしまったみたい。オリンピックは夏冬合わせて4回も行われた。
アラサーというのは色々と変化が生まれてくる。
国が数多用意してきた教育の施しを授かり、ようやく社会に放り込まれる。そこで、社会人としのてマナーや知識を叩き込まれながら"大人"へと変化していく。
学生時代、自分自身はどんな大人になりたかったのかすら、忘れてしまった。そんな僕も社会的には"大人"として見做されている。いまだに年確はたまーにされるけど。
"大人"になるってどういうこと?
大学時代の友人と話したときに「成長」というワードが出てきた。彼は成長が止まっていることに危機感や焦りを匂わせていた。
僕から見たら、仕事ぶりはよく分からないけれど、パパになってただでさえ気遣いの塊みたいな優しさにもさらに磨きがかかったし、考えのスケールも大きくなったのかなと感じた。
そんな彼にも、彼なりの課題があるんだな。
旧友と話したことに影響を受けて、この週末(というより今)考えていることは
「成長ってなんだろう?大人になるってなんだろう?」ということ。
機嫌の波が激しい上司に対して意見を通しやすくする処世術を身につけること?差し当たりないことをすらっと言えるようになること?自分のご機嫌を上手に取れるようになること?
どんな大人を目指していたのか分かんないけど、少なくともこうなりたいと思ったことはないはずだ。
自分が納得できる人生を歩んでいるか
周りに対する身のこなし方は、学生時代と比べて確実にうまくやれるようになった。自分を手なづけることも簡単になった。
でも、欲求を丸ごと出すこと、興味を素直に伸ばすこと、汗をかいてでも一生懸命に打ち込むことは少なくなった。
快適さや幸せは今が人生の中でも最高レベルであることは自信を持ってYesと言える。平塚の暮らしやお仕事も充実している。
でも、充実とは異なる性質の青臭いモヤモヤもかかっていて、時折ひょっこり顔を出して言う。
「命を燃やして生きているか?」
どうせ人は死に向かう。死ぬまでの回り道をしているのであれば、死ぬまでに好きなことに挑戦して、「あー、人生味わいきったな」って思える生き方でも良いのかもしれない。
まずは日本一周まで残り2ヶ月。楽しんでいこう。
最後に。原田マハさんの『さいはての彼女』という小説に出てくる、好きな言葉がある。
「人生を、もっと足掻こう。」
お読み頂きありがとうございます!まだまだ伸び代なので、ぜひフィードバックなども嬉しいです!