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自分を愛する、好きになるという難題

久しぶりにトレーニングを再開しようかな、と
ジムへ行ったとき、
ジムの中を見回すと見覚えのある顔がちらほら。

???となりながら思い出した。

数年前に会員として通って、少しだけ働かせていただいた、
お世話になったジムの1店舗が閉じられたことを。

そこで顔を合わせていた会員さんたちが流れて来ていた。


もう一生会うことは無いと思っていた方達との再会で
相手が覚えているかどうかなんて関係なくて
ただ、あの時はお世話になった。
気にかけて、声を掛けて話してくれた。
そんな記憶がよみがえってしまい心が躍ってしまって
声を掛けずにはいられなくなっていた。

普段なら声を掛けたりしないはずなのに
この時ばかりは嬉しくて、嬉しくて。

正直に言うと前の時は
トレーニングに集中したい、ジロジロ見ないで欲しい。
会いたくない、話しかけてほしくない。
そんな気持ちが強かった。

“断る”ことも“スルー”することもできなかったし
何よりも自分よりも重量を扱える、筋肉がついている、絞れている
そんな人たちを羨んで、嫉妬していただけなのかもしれない。

なのに、自分の時間を他人に干渉されて邪魔されている。
そんな自分勝手な被害妄想を繰り広げていた気がする。

今は自分よりも○○なんてどうでもいい。
1人1人、個人の理想があって、考えがあって、実践して
それぞれが戦って努力している
ただそれだけの話。

自分と他人を比較しても
生き方も価値観もリズムもDNAも違う。
枠組みは一緒であってもオプションが全く異なる。
似せることはできてもその人にはなれない。
あくまでも“自分”というオリジナルになる。

こんな考え方に行きつくことができたのが大きいのかもしれない。

この考え方はつい最近、やっと自分の中で腑に落ちて
心の中に落とし込むことができたのですけれどもね。

だがしかし、これは世紀の大成長並みに自分の中では大きいこと。
赤ちゃんが立って走り出すぐらいのレベル。


自分と他人は違う。と思っていても
頭ではわかっていても
心のどこかでは他人になれる、と信じていた。
あの人みたいに、が
あの人に、なれる。と思い込んでしまって
憧れの人がやっていることを真似して、
同じことをしても上手くはいかなくて自分を責めてばかりいた。
どうしてあの人みたいになれないのか。
自分の努力不足だろう、どれだけやっても足りない、自分はダメな人間。
ずっと苦しかった。

でも、考え方や捉え方を変えることができた。
自分自身としっかり向き合うこともそう。
自分の中だけに閉じこもらずにたくさんの考え方に触れるのもそう。
※あくまでも誰かからされる、してもらう、のではなく自らすること。

そんな中で

“自分を愛する方法って何通りあってもいいんだと気づいた”

悩んでいる自分との会話の中で話してくれた恋人さんの言葉。

もう一度、思い返してみた今
この言葉が大きく背中を押してくれた、
吹っ切れるための一歩だった気がする。

なぜか自然と学ぶことができて、落とし込むことができる。
友達や家族とは違うその先の奥深くに入ることができる恋人という存在。
人を好きになる、恋愛をするってとても素晴らしいことですね。

恋人さんの人となりが素晴らしいというのもあるのだけれども。笑


-END-

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