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【エッセイ】いつも僕の後ろで太鼓を叩いていた男

僕は一身上の都合により、
高校を1年休学した。
復学したとき、たまたま、
隣の席に座っていたのが松蔵だった。
どうやら僕がダブったことは、
既にクラス中に知れ渡っていて。
教師を殴った、ドラッグを密売していた。
などという謎の噂まで流れていた。

そんなことは全く意に介さず、
自己紹介の場面で、
「バンドメンバーを募集しています!」
と僕は宣言した。教室がシーン、となった。
休学している間に、
ブルーハーツを聴いて。
ロックに目覚めた頃の話だ。
1よりも先にバンドが組みたかった。

そして隣の席の松蔵に、
「きみはロックを聴くかい?」と質問すると、
「BOØWY」を聴くと答えてくれた。
次の日には、彼にドラムセットを買わせて。
一緒にバンドを始めた。

まるで展開の早い映画みたいに、
僕らの青い夏が始まった。
それは永遠に続くような気がしていた。
目を閉じれば昨日のように思える。

松蔵は恰幅がよく、眼鏡をかけていて。
とにかく無口なやつで。
人と目を合わせて喋ることができず。
額にいつも冷や汗をかいている。
かなりのシャイ・ボーイだった。

でもロックをやってみたいという、
魂があったんだと思う。
僕の無茶ぶりにも答えてくれた。
どこまでも付いてきてくれた。

手始めに高校に軽音楽部というものが、
存在していなかったので。
「ロック研究部」というチラシを作って。
学校中の壁に貼りまくり。
首謀者を集めようとしたのだけれど。
校長先生にバレて剥がされた。

僕らは作戦を変更して、
今度は町の楽器屋さんに頼んで。
メンバー募集のちらしを貼ってもらって。
それを見て集まってきた、
佐々木くん(ギター)菊田くん(ベース)
松蔵(ドラム)僕(ボーカル)で、
「ザ・ジコマンズ」を結成した。

レパートリーはラモーンズやクラッシュなど、
イギリスの初期パンクが主だった。
理由は3分以上の楽曲は、
難しくて演奏できなかったからだ。

放課後は狭いスタジオに集まり、
真冬に学ランを汗だらけにしながら、
爆音を鳴り響かせた。
僕が全く弾けないギターで作曲した歌は、
あまりにひどくてボツになったし。
練習はつまらなかったので。
すぐライブをしよう!という話になった。

初ライブは「高崎FRIEZE」だ。
17歳、ハイロウズの立った舞台に、
立てるのが嬉しかった。
当日、松蔵は髪をモヒカン刈りにして来た。
「恰好いいじゃん」というと照れていた。

初ライブは暴走的な嵐のようだった。
極度の緊張のなか、松蔵が
ありえないほどの大声で4カウントを入れたら
演奏なんてボロボロで。
ただ叫んで暴れている間に終わった。
ライブ後は体中が痣だらけ。
マイクで前歯が欠けて。
喉から血の混じった唾がでた。

でも人生で初めて、
自分が生きてることを実感できた。
つまらない世界に色がついた瞬間だった。
ここが居場所だと思った。
15分のライブで運命が変わった。

高校卒業、上京に伴って、
ザ・ジコマンズは解散したが。
その後も松蔵と僕は10年以上も、
「二郎ズ」や「悪夢のような自分の星」という
バンドの活動を一緒にやり続けた。

僕が歌を歌っているとき。
いつでも背後には彼がいて。
力一杯に太鼓をたたいていた。
今は松蔵はパン屋に就職して、
毎日パンを焼いている。
いつか自分の店を持つのが夢らしい。
こんな未来も悪くないな。

彼は昔よりも性格が明るくなり、
普通に目を合わせて話せるようになった。
僕もコロナや体調が理由で、
音楽とは少し距離が遠くなってしまったが。
詩を書き続けている。
またいつでも松蔵となら、
ロックをできると信じている。

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