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ビジター席が無かったアウェイ町田戦で学んだこと

先日の町田ゼルビア対アルビレックス新潟の試合の2日前に僕は下記のツイートをした。

今回この件について書きたい。

※今回のnoteは自身の反省と思考の整理の為に書きました。かなりデリケートな話題に触れており非常にセンシティブな内容です。不快に感じる方がいらっしゃる可能性を理解したうえで執筆しました。

行かない理由

自慢ではないが僕はこれまでの人生で人一倍失敗をしてきた自負がある。

間違いなく失敗>成功だ。

しかしながら最近やっと自分が失敗を犯す時の法則に気づいた。

社会を成り立たせる当たり前の決まりごと。

いわゆる原理原則から外れたとき僕は大抵失敗を犯す。

そして原理原則から外れるキッカケ。

それは決まって感情のコントロールがうまくいかなかった時だ。

さらに分析すると感情のコントロールを失うのはストレスを受けた時だろう。

つまりこういうことだ。

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ストレスとはネガティブな事象だけを指すわけではない。

結婚や出産、昇進昇格など嬉しい要因もストレスになり得るそうだ。

実際に振り返ってみた。

4月に栃木へ観戦へ行った時のこと。

僕は出発前に妻から「旅するルルルン」というご当地でしか買えないフェイスパックをお土産に頼まれていた。

しかし久々のアウェイ遠征という嬉しい体験(ストレス)で僕は浮かれてしまった。

お土産は試合後にドラッグストアかサービスエリアで買えるだろうとたかをくくって頼まれごとを後回しにしたのだ。

「遊ぶなら仕事を終えてから」という基本のキを無視しているわけだ。

その結果

このあと帰宅したらケチョンケチョンに怒られ2日ほど口をきいて貰えなかったことは記憶に新しい。

お恥ずかしい話だが典型的な自分が失敗を犯すパターンだった。

さて改めて前述のアウェイ町田戦における原理原則とは何だったのかを振り返る。

①東京都には緊急事態宣言が発令されておりビジター席が販売されなかった

②アルビレックス新潟からは現地観戦は控えるよう公式に呼びかけがされた

③僕はアルビレックス新潟のサポーターを名乗っており世間的にはビジターに該当する

主観的な感情を抜いて客観的な事実だけを並べるとこうなる。

自分はビジターであるため今回は行けない。

それまでだ。

ここで下手な理由をつけ原理原則に逆らうと失敗をする。

だから自分は行かない。

付け加えると大宮戦の様な劇的な展開にでもなったらきっと大騒ぎをしてしまうだろう(苦笑)

1番上のツイートはそういう内容だ。

しかし実際にはアウェイチームのユニフォームやグッズを身につけないルールとマナーを守れば観戦は可能だろう。

その日だけアルビレックス新潟サポーターではなく「いちサッカーファン」が応援ではなくサッカーの観戦をしに行く。

いわば抜け道だが理が通っている。

ただし一般的には白か黒かで言えばグレーな判断だろう。

だが実際のところ世の中はグレーだらけだ。

特に今のこの世界を白か黒の二元論で語ることの方が乱暴だろう。

だから行く判断をした人を咎めるつもりは毛頭ない。

何せ僕も心情的には行きたくて仕方がなかった。

だからその気持ちがよく分かる。

しかし。

そのうえで敢えてこれだけは述べておきたい。

アルビレックス新潟のサポーターを名乗る人が町田戦へ行くことをわざわざSNSで公言する行為

この行為を理解することが僕には難しい。

見に行くのは個人の判断であり選択の自由だ。

ただしSNSでそれを公にする必要性はあるのだろうか。

もちろんSNSで公にすることも個人の自由だろう。

だが自粛を呼びかける自クラブと相手クラブへのリスペクト、自粛をする人への配慮、ネットリテラシーという観点から僕は望ましくない行為と考える。

もとよりSNS上で公にすると客観的に見られた際に「いちサッカーファンが」という道理が通らなくなるのではないか。

SNS上にはアルビレックス新潟のサポーターが現地観戦をしたという証跡だけが残るからだ。

平時はアルビレックス新潟のサポーターを名乗っているアカウントがわざわざSNSで町田へ行く予定を公言すること、どの席種にするか公に見える状態で話し合うこと、当日現地から写真をあげること、観戦してきた事実を嬉々として語ること。

申し訳ないがこれらの行為は少なからず度が過ぎていると僕は感じた。

何よりわざわざ証跡を残すことでその人にリスクが生じる。

同じアルビレックスのサポーターが万が一にもバッシングに遭う可能性を考えるといたたまれない。

「いい人病」だった自分

とてつもなく偉そうな物言いで綴ってしまったが、僕自身が偉そうに言えた義理ではない。

それらの行為を是とは思っていないにも関わらず見て見ぬ振りを貫いていたからだ。

昨年アルビレックス新潟は不祥事を起こした。

さらにサポーターも各地で観戦ルールやマナー違反で非難を浴びた。

これらの経験も手伝ってか僕は今年のアルビレックス新潟は、クラブもサポーターも品行方正過ぎるくらいで丁度いいと考えている節がある。

自身のこの考えの押し付けになるのではないか?

そう葛藤しているうちに時間が過ぎた。

しかしいま猛烈に後悔している。

度を超えた行為とまで感じるなら、言わずに後から後悔するなら、その時その人へ直接言えば良かったのだ。

なぜ言わなかったのか?

「嫌われるかもしれない」

情けないことにそう思ってしまったからだ。

特にSNSは対面のコミュニケーションではないので「きっと聞き入れる人ではないだろう」などと決めつけたり、思い込みをしがちだ。

典型的な「いい人病」が発病していた。

全ての人から好かれることなど無理だ。

人からは好かれなければならないという決めつけをしていた。

半分ぐらいの人に好きになってもらえれば大成功だし、人を傷つけてはいけないということも思い込みだ。

自分の考えを伝えた時に傷つけることだってある。

その時は傷つけたことを認めて真摯に修復に努ればいいのではないか。

自分を諌めてくれる人の大事さ

自分のSNS上での経験をお話させて頂く。

SNSで発信をした際に大勢の方から「いいね」のリアクションをして頂けることがある。

これが起こると自分の考えや発言は多くの人から「承認されている」と感じられる。

とても嬉しいことだ。

しかし時に恐ろしいことでもある。

あくまでも僕の経験上だがこれがしばらく続くと自分を見失う。

何を言っても自分は承認される。

雑な言い方だが天狗になるのだ。

発信内容からも謙虚さが次第に失われてくる。

これもストレス(嬉しい要因)で感情のコントロールを失っている状態なのだろう。

実際、僕はわざわざ言う必要がないことやリテラシーが欠けた発信をしてしまった経験がある。

そんな時だった。

ありがたいことにフォロワーさんから直接「それは言うべきではないのでは?」と諌めて頂いたことがある。

嬉しかった。

この人に対する感謝は今でも忘れない。

どれだけ多くの「いいね」より、たった一人でいいから自分と本気で向き合って苦言を呈してくれる人の存在の何とありがたいことか。

だからこそだ。

本気で相手の為を思い、面と向かって言えば理解して貰える可能性が高かったのではないか。

自身は諌めてもらうことのありがたさを知っているというのに。

それを今度は自分が人にしてあげればいいのに。

これを読んでる人も直接話してみたら「あ、何だ。思ってたより全然まともな人だった。話も分かって貰えた」という経験もあるのではないだろうか。

それなのにそれを試みることすらしなかった。

大いに反省すべきは自分だろう。

(余談だが最近の僕は天狗になりそうな兆候がある時や、SNSからストレスを多く感じる時は意図的に1~2日間SNSを見ないようにしている)

アサーティブなコミュニケーション

では今後どうすべきなのだろうか。

もし同様のケースがあった時に僕はどう振る舞うべきなのか。

具体的には7月の京都戦や8月の千葉戦で同様の措置が取られる可能性もある。

それをこの数日間考えていた。

考えた末に無機質に損得で判断をした。

「もしまた同様のケースがあった場合、自分の目に留まる人だけでも直接対話をするべきか」

メリット

①対話して理解して貰えたらサポーターのリテラシーが向上する

②昨年の様な騒ぎが起きクラブが公式謝罪文を出すようなリスクが減る

デメリット

①自分がうるさい奴と思われる


2対1でメリットの勝ち

何より自分がどうしたいかだ。

今回静観をして後悔したのだから次は動きたいと心根でそう思っている。

だから次に同じようなケースがあったら自分の目に留まる範囲だけでも直接コミュニケーションを取ろうと思う。

その時に大事になるのがアサーションと言われるコミュニケーション方法だ。

攻撃的でもなく、非主張的でもなく、自分のことも考えるが他者も配慮するアサーティブなコミュニケーションのことだ。

僕は今回、非主張的な自己表現をした。

相手からしたら知らずに軽蔑されたり、恨まれたりしているのだからたまったものではない。

一方で攻撃的な自己表現にならないようにしなくてはいけない。

例えば正義の振りかざし行為がこれにあたる。

自分は正義という安全な立ち位置から出ることはせず、相手に正論だけを唱える。

仮に自分の言い分が通っても相手は服従させられたような気分になり大切にされた気持ちは残らないだろう。

自分の考えや気持ちを正直に話し、率直に表現する。

率直に考えを述べ合えば意見が合わないこともあるだろう。

その際に譲ったり譲られたりを繰り返す。

そうすれば結果的にお互いに歩み寄り大切にされたという気持ちが残る。

そのために出来るだけ自分の気持ちを適切に表現をしなくてはいけない。

しかし年齢を重ねると心を抑圧し自分の本当の気持ちが把握しにくくなるから本当に大変なことだ。

そのうえで自分の考えや気持ちを大切にして、敵意やへつらいなく言う。

そしてその結果、失敗をしてもいいし、そのことに責任をもつ権利もある。

互いの希望を述べ合う権利を大切にし、相互の確認をして歩み寄ろうとする。

僕たちは誰からも尊重される権利があるのだから。

おわりに

このnoteを書くか非常に葛藤した。

一部の人に対する当てつけになってしまうからだ。

気を悪くされた方には申し訳ないと思う。

卑怯な行為と言われても仕方がない。

尚のことアサーティブ(相互尊重)なコミュニケーションを取るべきだった。

自分の未熟さを思い知らされた今回の一件だった。

最後にスピリチュアルな話になってしまうが、やはり町田戦はビジター席の件もあってかサポーターも一丸となれていなかった様に感じた。

そして最近、確信したが我々のSNS上の発言は思っている以上に選手や関係者に届いていると思う。

本当に不思議だがピッチを取り巻く雰囲気は選手に伝わってしまうものなのだろう。

その点、明日の京都戦は楽しみだ。

何の弊害もなく全国のアルビレックス新潟サポーターが「新潟一丸」となって応援を出来るのだから。

なんて清々しい環境なのだろうか。

選手もサポーターも含めて「新潟一丸」となった時、ここまで首位をひた走ってきた力を見せてくれるはず。

明日は絶対に勝つのみだ。

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