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ありがとうが一番大切

いつもスキやコメントありがとうございます。
気になった情報などリンク紹介が多いのですが、移住定住に関してはちゃんと書きたいなと常に思っています。

10年前の原発事故を契機に九州移住したのが2011年の昨日6月17日
車で6月16日朝8時に福島を出発し、新潟に母子避難中の生後4ヶ月の娘と妻をピックアップし、新潟から一度も高速道路を下りる事なく深夜2時に福岡のSA到着仮眠、17日朝9時に佐賀県鳥栖市の避難先住居へ到着。1500キロあまりを25時間で走破して来たあの日だった。
佐賀県鳥栖市には2013年3月まで避難、滞在1年10カ月で現在は長崎県の島に移住しリスタート。
都市部に目と鼻先の距離で利便性の良い、小さな小さなかわいい島へ移住をしたんですよね。
娘の為の避難が原点なので、幼稚園や小中一貫校もある贅沢な環境だった事、元炭鉱のあった行政過保護の島で補助金助成金にズブズブの甘えた自治であったw

20代から自営業の私には「仕事がない」「人がいない」ことなど全く気にしてなかったってよりも、気にしてる余裕もなかった。
これから50代の都市生活しか経験のなかった男の挑戦が始まったのではなく、やらなければいけなかった、悩んでいる暇もなかった。

あれから10年過ぎて・・・
自主避難生活でこの島に来たときには貯金も使い果たし現金で50万円しかなかった、必然的に食べるだけを考えた生活でしたがローカルだったからこそ可能だった。
むしろ今までの都市生活のお金のかかるライフスタイルに気がつくことができた。
無駄なもの必要でないものだらけの他人との競争生活から、必要なものだけの購入で食べ物だけがあれば人生は生きていけると実感
させてくれた島だった。

そして現在生活を切り詰めたわけでもなく、小金をためながら地方の安い不動産購入などに投資をしてきたんですが、いまだに島の住人は収入を不思議に思っているのですw
補助金助成金目当ての発想しか持たず、創意工夫や学びをしない島の人間には不思議でしょうw。

総意と工夫と島の必要な知識習得を行って10年経過した現在、飲食店・アクティビティ事業・ゲストハウス・貸し別荘をそこそこの利益で行っている。
2020年のコロナの状況でも慌てることなく赤字の飲食事業自粛で赤字が減り非常に助かった。
自店舗であり持続化給付金も頂き元々そこそこの利益で良い考えなので苦しかった感じは一度もなく、今現在も自粛継続で余裕で生活しています。
大きく稼ぐことは無理だと思いますが、大金を稼ぐ必要のない生活なので有り余るお金には興味がないんです。
資金を他の事業などに投資しないのは、次の移住者の職業に手を出してはいけないと思っているからです。十分足りてる生活なのであれば他の事業を展開すべきではないと思っています。
家族の時間を減らしてまで仕事に使いたくない本心もあります。
やるなら雇用創出のために行いたいですが、奴隷の様に雇用を考えてないので、移住者が希望すれば事業はあげたいと思っています、もちろん無償です。
今も何事業があげてもいい事業がありますが、条件は移住です。
仲間を増やして若い子たちの活力のある場所にしたいのです。
生活費が少なくていいので経済的に若い子も暮らしやすいでしょう浪費家でなければw

この島で学んでわかったことは欲しいものは買わない、必要なものだけにする。
稼ぎ過ぎずそこそこの収入で家族の時間作り出し、娘を大切に考えて来た結果が現在です。

すべては10年支えて頂いたた関係者の皆様に感謝し、
この島に感謝、
島民の皆様にありがとう、
訪れるお客様にありがとうと、
全てに感謝しながらの10年でした。

ありがとうと心から感謝する気持ちが一番大切なことで、島で困った人に必要とされる事業を自然に行なった結果なんだと思っています。


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