「女子枠」とセクハラは紙一重
先月11月22日、日に日に下がる気温よりも寒いニュースが流れてきた。
帝京大学の教授が、ゼミのメンバーを募集する際に「女子は基本的に応募=採用」としていたというものだ。
男子学生がゼミに応募しようと教授に連絡したところ、彼の名前を見て女性と勘違いした教授から、以下の大迫力のメールが届いた。
短く簡潔ながら、女性から応募があったことへの歓喜と、相手の予定を聞かずに日時と場所を指定して食事をナチュラルに強制する、大学教授としての権力性を感じさせる文章だ。
それから1か月経った今、話題に上ることもなくなったが、この件を「気持ちが悪い」の一言で風化させてはいけない。なぜならこれは特殊なケースではなく、これから多発しかねないことだからだ。
東工大の「女子枠」への違和感
さらにさかのぼること約2週間前、11月10日に東京工業大学が、2024年度の入試から推薦入試に「女子枠」を作ることにしたと発表した。
これは入学募集数の約14%が女性限定となり、さらに女性は性別での区別がない「一般枠」との併願受験も可能だ。これにより東工大は女性の割合が20%を超えることになる。
企業から女性の理系人材を求められているので、それに応えるためにこのような「女子枠」を作ったとのことだ。
たしかに数を増やすという目的に対する手段として、効果的ではある。しかし私はこのニュースを見た時に強い違和感があった。そしてその違和感は、先ほど紹介した帝京大学の教授によって具現化されたのである。
「女性優遇」は「女性蔑視」と紙一重
それは「女性であること」を理由にハードルを下げることは、女性を下に見ていることと極めて近いということだ。
「女子枠」を作るということは、女性を重要視している姿勢を対外的に示すことができる。しかしそれは「ハードルを下げれば女性は来る」という発想でもあり、「女子には難しいだろうからハードル下げてあげるね」、「女子はハードル下げるから来てよ」という感覚と紙一重だ。
「〇〇枠」とは
東工大は「Diversity and Inclusion」、つまり多様な人材を受け入れることが大切だとして、男性が9割の現状を変える必要があると述べている。多くの大学や企業もそのような方向を見ているといって良い。
そのために「外国人枠」や「障がい者枠」が作られるようになってきたが、これらは「女子枠」とは意味合いが異なる。
言語の面でハンデを負う外国人や、身体的にハンデを負う障がい者は、入試において特別なケアをしたり、枠を作ったりしないと不利になる可能性が非常に高い。
しかし妊娠・出産が絡まない大学入試において、女性が男性より明らかに不利になるようなハンデは存在しない。
つまり「女子枠」を作るということは、「女性であること」が外国人の言語や障がい者の身体と同じようなハンデだという発想や、「助けてあげる」という感覚と紙一重なのだ。
「女子=文系」は偏見か
この点について、男子は理系、女子は文系という社会的な刷り込みにより、女性が無意識のうちに理系を避けているという考え方がある。これを「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」と言い、女性は理系の能力が低いのではなく、環境が女性に不利に働いているという学者もいる。
しかし統計を見てみると、男子は理系、女子は文系を好むという傾向は、小学生のうちから見て取ることができる。
さらに、「男の子だから」「女の子だから」という性別を理由として何かを制約したり推奨したりすると答える親は大幅に減っているし、それを受けたと感じている人の割合も世代とともに減っている。
たしかに男子は理系、女子は文系というイメージは一般的にあるが、それが家族や社会から無意識のうちに刷り込まれたものだという考えは、これらの統計からは導くことができない。
若者に聞いてみよう
もちろん統計が常に真実を示すとは限らない。本当は家族や社会から文系に行くよう圧をかけられていたけど、アンケートにそうは答えられなかったのかもしれない。あるいは無意識のうちに刷り込まれているので自覚がないのかもしれない。
そう考えている人は、身近な新卒社会人、大学生、高校生の話を聞いてほしい。彼女たちは今の中高年世代よりもはるかにきちんと考えて進路選択をしていることに気づくだろう。
「女子枠」を設けるということは、そんな彼女たちに対して「それでもあなたは無意識のうちに社会から刷り込まれた進路選択をしていたんだよ」と言っていることになる。つまり「僕がかわいそうな君を助けてあげるよ」という感覚と紙一重なのだ。
やっぱり女性蔑視
私は先ほどの統計、そして自分が聞いた女性の話を統合すると、女性が理系を避けがちなのは社会が作り出した偏見ではなく、女性の主体的な選択によるものだと考える。
そうだとすると東工大が「女子枠」を作ることは、女性が自ら文系に行きたいと考えているところに、「女性なら入りやすい」というメリットを提示し、女性の主体的な意思決定をゆがめることになりかねない。
また、「学力的に足りないから本来受験しなかったけど、女子枠ができて入りやすいから受験した女子」というイメージが生まれてしまい、男子学生からの女子学生への蔑視を産む可能性もありうるだろう。私が話を聞いた女性の1人はこのことを懸念していた。
このように様々な角度から考えてみても、東工大の「女子枠」は女性蔑視と紙一重なのである。
自覚なき加害者にならないために
それでも「女子枠」を設ける大学が後を絶たない。なぜならそれはDiversity and InclusionやSDGs、ジェンダー平等という社会正義の名の下に行われているからだ。社会的正義だと信じているからこそ、やっている側は「自分は女性を下に見ているかもしれない」、と考えられなくなる。だからこれからセクハラが増える可能性は極めて高い。
冒頭に紹介した大学教授も特殊な例ではないのだ。彼は日経新聞社に定年まで勤めあげた人で、時代の情勢を知らなかったはずがないからだ。そんな彼のメールをもう一度読んで、女性優遇の持つ加害性に思いをはせてほしい。
その女性優遇は、
女性の能力を男性より下という前提で話していないか、
ハードルを下げてあげているという上から目線になっていないか、
女性を大きなハンデを負う人として扱っていないか、
女性であることをハンデとして見ていないか、
女性に主体性がないと決めつけていないか、
女性の主体的な判断をゆがめることにならないか、
女性に不当なハードルを課すことにならないか、常に問いかけ続けなければいけない。
それを怠ると、
「女性は大歓迎です!明日の12時にスタバに来てくださいね(^^)
サンドイッチにコーヒーでも飲みながらお話ししましょう♪
男子には内緒ですよ?」
という純度の高いセクハラが、自然と出力されてしまうことだろう。
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